第11話:城下の陽と影
朝陽が城の高窓から柔らかな光を落とし、エリスの頬を暖かく照らしていた。穏やかな光に包まれながら目を覚ました彼女は、しばし天井を見つめて昨日の出来事を思い返す。
――陛下の言葉……そして、優しさ。
知らず微笑みが浮かぶと、扉の外から控えめなノック音が響いた。
「エリス様、朝食の時間でございます」
それはフィーリアの声だった。
「はい……今、行きます」
エリスはゆっくりと体を起こし、簡単な身支度を整えた。
そのまま案内されて朝食の間へと進むと、そこにはすでにレオンが席についていた。彼の背に朝の光が差し、広い窓辺に佇む姿はまるで絵画のように荘厳だった。
「よく眠れたか?」
その低く落ち着いた声が穏やかな朝に響く。エリスは小さく頷き、席につきながら答えた。
「はい、おかげさまで」
「そうか」
たった一言の返事。不愛想にも感じるが、その一言にはレオンの優しさが滲み出ているようで少しむず痒く、使用人たちが丁寧に朝食を並べていく間もエリスの心は落ち着かず波立っていた。
静かな朝食の中、レオンは一口スープを飲んだ後に口を開いた。
「今日は城下町を案内しようと思う。城内にばかりいても退屈だろう」
エリスは一瞬驚き、思わず顔を上げた。
「私が……城下町へ?」
「ああ。この国の民の暮らしぶりを知るのも、悪くはないだろうしな」
エリスの胸が小さく高鳴った。城の外の世界、知らなかった日常、それをこの目で見る機会が訪れるとは思わなかった。
「……わかりました。ご一緒させていただきます」
◆
城門を抜け、城下町へと向かう道は緩やかに下っていた。石畳には朝の光が反射してきらめき、往来には既に行き交う獣人たちの活気が満ちていた。獣人たちは犬族、猫族、兎族、鳥族など様々で、種族ごとに装いや立ち振る舞いも異なる。
市場では色とりどりの果物や布が並び、陽気な掛け声が飛び交っていた。エリスは目を見張りながら、豊かさの中にどこか哀愁の影を感じ取っていた。
所々に目を向けると剣を帯びた兵士の姿や、壁に貼られた『魔物注意』の張り紙が目につく。それでも、彼らの表情は明るい。魔物の脅威に晒されているとは思えぬほど、皆が逞しく生きている。
だが、レオンが歩けば空気は少しだけ張り詰める。皇帝の威光は民に敬意と緊張をもたらし、誰もが一歩下がって見送るのみだった。
「……なんだか、皆さんが距離を取っているような……」
エリスが小声で問うと、レオンは気にする様子もなく答えた。
「皇帝というのは、そういうものだ」
「でも、少し寂しいですね」
その言葉に、レオンはふと足を止めた。その表情に揺れはなかったが、琥珀色の瞳が僅かに柔らかくなったように見えた。
その時、一人の猫獣人の中年婦人が屋台から出て近づいてきた。
「陛下! レオン陛下!」
レオンが足を止めると、婦人は深々と頭を下げた。
「陛下、失礼いたします……! 先日は、夫を森でお助けくださって……本当にありがとうございました!」
「気にするな」
レオンは短く応じたが、その言葉の中には確かな温かみが宿っていた。短くも確かな声。その返事に婦人は感激したように顔を上げた。
「何のお礼にもなりませんが、どうかこちらを! うちの屋台で焼いた猪肉の串です。朝仕込みたてで、柔らかくて香ばしいんですよ!」
婦人が差し出した串焼きは、香ばしい匂いを漂わせていた。レオンはちらりとエリスに目をやり、「食べるか?」と尋ねる。
「はい……いただきます」
一口齧ると、肉の旨味と香辛料の香りが口に広がり、エリスは自然と笑みを浮かべた。その様子を見て、周囲の屋台の獣人たちもざわつき始める。
「お、陛下が食べたぞ! うちのもぜひ!」
「可愛いお嬢さん!こっちのパンも焼きたてで美味しいですよ!」
エリスは目を丸くしながらも、一つ一つ丁寧に応じた。レオンも時折小さく頷き、屋台の品々を口にした。民たちは初めは少し緊張していたが、次第に笑顔を向け、町は賑やかな空気に包まれていった。
◆
町を歩いていると、ふとエリスの目に小さな庭が飛び込んできた。民家の隅に設けられたその庭には、申し訳程度に野菜が植えられていたが、葉はしおれ、土も痩せているのが一目でわかった。
「……この畑、なんだか元気がなさそうです」
思わず足を止めエリスが呟く。レオンが隣に立ち、淡々と語った。
「この土地は長年の瘴気の影響で作物が育ちにくくなっている。昔は豊かな土壌だったが……今はこうして枯れていくばかりだ」
その言葉に、エリスは胸の奥が締め付けられる思いだった。
エリスは庭の野菜たちを見つめた。町の人々は魔物の脅威の中でも懸命に生き、笑顔を忘れず暮らしている。それなのに、大切な土地が枯れていく――。
「(こんなに優しい人たちが住んでいる国なのに……もっと豊かになればいいのに……)」
心からそう願った瞬間、エリスの胸元が小さく光を放った。温かな黄金色の光が彼女の体を包み、やがてその光は庭へと広がっていった。
次の瞬間、しおれていた野菜の葉がシャキリと立ち上がり、瑞々しい緑色を取り戻した。つぼみは花開き、青々とした生命力が庭を満たしていく。
エリスは目を見開き、思わず手を胸に当てた。
「わ、私……いま……」
周囲の人々がざわつき始めた。
「なんだ、今の光は……?」
「おい!畑が元気になってるぞ!」
「まるで奇跡だ!」
エリスは戸惑いの中で視線をレオンに向けた。レオンも目を細めて庭を見つめていたが、すぐに表情を引き締めた。
「……ここは一旦引こう。余計な騒ぎになる前にな」
エリスは困惑したまま頷き、レオンの後に続いた。
◆
城へ戻る馬車の中、エリスは無言だった。胸の奥が不安と戸惑いで満ちていた。使おうと思って使ったわけではない。けれど、確かに力が反応した。エリスは胸の前で震える手を組み、視線を落とした。
「……怖いのか?」
不意にかけられたレオンの声に、びくりと身体を揺らしながらも、エリスは小さく頷いた。
「……はい。わからないんです、自分が何なのか……」
心の中にはまた不安が芽生えていた。自分は何者なのか、今まではほんの小さな傷を治すくらいしかできなかったはずなのに、何故突然こんな力が宿ったのか、分からないことだらけだった。
目の前に座るレオンは静かに口を開いた。
「……無理に理解しようとしなくていい。分からないことは、ゆっくり知っていけばいい」
その言葉にエリスは少しだけ安堵し顔を上げる。レオンは窓の外に視線を向けたまま低く続けた。
「お前は一人で抱え込む癖があるようだ。……だが、今は俺もフィーリアも……誰かがお前の傍にいる」
その言葉に、エリスの胸がじんわりと温かくなるのを感じた。
「……ありがとうございます」
城に戻ったエリスは、いつもより少し長くレオンと共に過ごした。
たまに他愛のない会話をしながらも、レオンはエリスが眠くなるまでそばに居続けた。
その微かな穏やかな時間が、彼女にとってどれほど救いになったかをまだ誰も知らない。




