第8話:書庫の静寂と夜の安堵
庭の案内が終わり、フィーリアの静かな促しに従ってエリスは城内の石造りの廊下を進んだ。
足音は自分のものだけが響き、壁に反射して冷たく広がっていく。窓から差し込む午後の柔らかな光が、古い石の床に長く影を伸ばしていた。
「こちらが書庫でございます」とフィーリアが静かに声をかける。重厚な木製の扉の前で立ち止まり、ゆっくりと開けると、埃の匂いと静けさが二人を包み込んだ。中は薄暗く、だがそこかしこに古びた本の威厳が漂っている。
エリスは目を見張った。天井まで届く棚には数えきれないほどの書物がぎっしりと詰まっていた。歴史書、獣人の伝承、医療書、魔法に関する古文書——それぞれが語るは過去の断片と知恵の蓄積だった。
エリスは棚の間をゆっくりと歩き、手にとった本の一冊に視線が止まった。表紙は擦り切れ、かすかに「聖女」とだけ記されている。恐る恐る開いてみると、聖女たちが担った役割、その奇跡の力と試練、そして孤独な背負いが詳しく綴られていた。
エリスも小さな傷を治すことはできる。
―――だが、それだけだ。この本に書かれているような奇跡の力はない。
「(私は、ほんの小さな傷を治すだけ……)」
けれど、読み進めるほどに胸の奥に焦燥感が湧いてきた。自分には何もできないのではないか、でも何かを掴みたい。そんな入り混じる感情に揺れていると、遠くから静かな足音が響き、廊下を歩くレオンの姿が視界に入った。剣を携え、出発の準備を整えている。
フィーリアが小声で耳元に囁く。
「最近、瘴気が強まり、魔物の数が増加しております。陛下も先陣を切っておりますが、危険は増す一方で……」
エリスの心はざわついた。握りしめた手に力が入る。
「どうか、皆さんがご無事でありますように……」
◆
レオンたち一行を見送ったあと案内は続き、夕刻に差し掛かる頃にエリスは一人静かな部屋に戻った。
簡素な食事をとりながらも、心はずっとレオンのことばかり。夜の闇が深くなるほど、不安が募る。
「彼が怪我なく戻るのか……そんなことばかり考えてしまうわ……」
眠気も襲ってきたが、胸のざわつきは消えず、何度も目を閉じては開く。
やがて深い眠りに落ちかけたその時、静かな扉の開く音に目が覚める。
そこには疲れた表情のレオンが立っていた。頬に小さな傷があり、彼の全身からは闘いの痕跡が見え隠れしている。
レオンが何か言っているような気がするが、微睡んでいる意識では聞こえない。
しかし無意識に手が伸び彼の頬の傷に触れると、指先から温かな光が静かに広がり、みるみるうちに傷が消えていった。
「ご無事でよかった……」
レオンの姿を見たエリスは安堵し、再び眠りについた―――




