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蒼き剣のアリス  作者: 門司柿家
1章
12/30

十一.衛士隊の船はさすがに頑強な造り


 衛士隊の船はさすがに頑強な造りをしていた。船体は鎧のように金属で守られ、船底には水生魔獣対策に魔獣除けの術式も刻まれているという。

 二、三十乗り程度の規模で、普段は小隊がいくつか乗って巡回の任務に使われるものだという。大勢が乗れるようなものではないが、速度が出る分、海戦などで海賊とやり合うにも丁度いいらしい。

 衛士隊の詰め所近くには専用の港がある。主に衛士隊の巡察船や軍艦が出入りする所で、一般の漁船などは入港できない。

 今はあちこちに船が出払っているからやや閑散としているが、タイミングによっては大小の船が所狭しとひしめき合っている事もある。


「何だか大ごとになってるね」


 とヤスハが言った。アリスは苦笑いを浮かべた。


「急な事だけどね……むっちゃんをよろしくね、ヤスハ」

「うん、任しといて。ついでに工房の修理の手配も父ちゃんに頼んでみる」

「ごめん、助かる。後々お礼はするから」

「ふふん、期待していいのかなー?」


 いたずら気ににやにやするヤスハを、アリスはくすくす笑いながら小突いた。

 ムツキがむぎゅうとアリスに抱き着いた。


「おねぇ、気をつけてね」

「うん、むっちゃん、留守番よろしくね」

「ん」


 いつもアリスの冒険について来たがるムツキだが、今回はさすがに事の次第を理解しているのか、一緒に行くとは言わなかった。


「姉さん、そろそろ出るよ」


 船の上からナルミが怒鳴った。


「はーい、今行くー!」

「ナルちゃーん、怪我しないようにねー!」

「おにぃ、頑張って」


 とヤスハとムツキが手を振った。ナルミは照れたように手を振り返した。

 気の置けない幼馴染にムツキと家の事を任せ、アリスは船に乗り込んだ。


 まだ係留されているにもかかわらず、船はぐらぐらと揺れている。波は随分荒いようだ。

 足をしっかと踏みしめながら、アリスはナルミと一緒に船尾の方へ向かった。舵の前には操舵の衛士とカンナが立っている。


「アリス様」

「カンナさん。舵取り、大丈夫そうですか?」

「ええ。このサイズの船は初めてですが、何とかなりそうです」


 とカンナは笑った。憔悴していない彼女は何だか快活だ。

 ミサゴの号令で板が外され、係留ロープも解かれた。錨が上げられると、船はぐんと動き出す。帆が張られて、追い風を受けて一気に港から出た。

 波は高い。比較的大きくて重量もある衛士隊の巡察船でも揺れが大きい。甲板にいる者はほとんどが腰を降ろし、立っている者もマストや縁に掴まっている。

 カンナは舵を動かしながら、隣に立つナルミに時折何か言っていた。どうやら風向きの調整などをしているらしい。

 ナルミは魔法で風を起こし、それが常に追い風となるようにしているようだ。安定はしていないが、それでもキオウに向けてまっすぐに、それもいい速度で進んでいる。確かに風の司のような事はできているらしい。

 弟の成長に驚きつつも、ひとまずは大丈夫そうだな、とアリスは甲板の隅に腰を降ろした。


 順調である。ハブカ付近まで一度行ってから、向きを変えてキオウを目指す。カンナ曰く、海流の関係で、むしろ大型の船の方がこういった航路でなければ危険なようだ。

 時折大きな横波で船が揺れるから、漫然と立っていると転びそうだ。しばらく立って海の方を見ていたアリスだったが、やがてまた元通りに腰を降ろした。


「揺れるな」


 ふと声がした。見るとトラジが船の縁に手をかけて立っていた。


「トラジさん」

「お前の妹はゲンザにそっくりだな」

「す、すみません、先ほどは失礼を……」

「いや、いい。歳食ったSランク冒険者なんて、顔色を窺われるばかりでな。ああもはっきり言ってくれるやつは貴重なもんだ」


 とトラジは縁に寄りかかった。怒っているようではなさそうだ、とアリスはホッと胸を撫で下ろした。

 船は順風を受けてぐんぐん進んで行く。

 船尾に立つナルミはしっかと足を踏ん張りながら、符を幾つも浮かべてしきりに手を動かしていた。その傍らで舵を取るカンナが、時折風の具合などを指示しているのか、何かナルミに言っていた。


「……あれが弟か」

「はい、ナルミといいます」

「あいつは鍛冶はやらんのか?」

「やりませんね。たまに手伝ってはくれますが」

「そうか。きょうだい仲がいいんだな」


 言いながら、トラジは海の方を眺めている。大小の波が暴れる中を、魚が跳ね上がって来ているらしく、鳥の群れが輪を描くように飛び回って、時折水面に向かって急降下した。


「トラジさんは、ご家族は?」

「いないさ。この歳まで冒険者なんぞやっていりゃ家族なんぞ作れやしない」


 どこか自嘲するような口ぶりだった。

 アリスはトラジを見上げるように見た。長い間、剣だけを頼みに戦い続ける人生というのはどういうものなのだろう。自分も剣士ではあるが、そうやって生きる事は少し想像しづらかった。

 トラジがアリスを横目で見た。


「お前は、鍛冶師として生きて行くつもりなんだな?」

「そうありたいと思っています」

「ゲンザの背中が見えるくらいにはなったか?」

「いえ、そんな風には思えないです」

「はは、正直だな。見えると言っておけば仕事が増えるかも知れんぞ?」

「見抜かれますよ。昔のトラジさんみたいに」


 そう言うと、トラジはバツが悪そうに頭を掻いた。


「お前の妹に怒られたからな……別に意地悪をしたつもりじゃないんだが」

「わかってます。あの頃は未熟で……今もそうですが」

「謙遜はいいが、あまり卑下するもんでもない。封印の剣はいい出来だったぞ」


 お世辞ではない。アリスは少し照れ臭くなって、下を向いた。

 そこにミサゴが大股でやって来た。


「やあ、ここにいたかね」

「ミサゴさん、船の具合はどうですか?」

「順調だよ、この分ならあと小一時間でキオウに辿り着けそうだ。カンナさんの舵取りもそうだが、ナルミがしっかり風の司をしてくれているからね」


 とミサゴはからからと笑った。

 アリスは舵の方を見た。相変わらずナルミは符を浮かべ、カンナは真剣な表情で舵を握っている。何だか面白い組み合わせだ。

 ミサゴは船の縁に寄りかかって腕組みした。


「トラジ殿、何か注意する事はあるかね?」

「波があるとはいえ、水生魔獣に警戒するべきだ。キオウから瘴気が出ているならば、島に近づくほどに魔獣は凶暴になると見ていい。そろそろ気を張った方がよかろう」

「道理だな。まあ、魔獣除けの術式は船底に仕込んであるが……気を付けるに越した事はあるまいね」


 とミサゴは腰の剣を抜いて、懐の布で拭いた。トラジが目を細める。


「魔石仕込みか」

「ああ、雷石だよ。これもアリスが作ってくれたのだ。見るかね?」


 とミサゴはトラジに剣を差し出した。

 受け取ったトラジは変な顔をして剣を見、アリスをちらと見た。ぐっと力を込めると雷石が光り、刀身からぱちぱちと電光が走った。それからまた裏に表に刀身を見る。何だか合点がいっていない様子だ。


「三年前よりは確かによくなっているが……」


 と呟き、ミサゴに剣を返した。ミサゴは怪訝な顔をした。


「お気に召さなかったかね?」

「悪くはないが……実の剣ほどのものは感じないな」

「ふむ……まあ、鋼の木の実は別格という事かな」


 とミサゴはフォローするように言った。アリスは何とも片付かない気分で視線を泳がした。ミサゴが絶賛してくれた剣も、トラジの目にはまだ一流に映らないらしい。

 その時、不意にアリスの腰の剣が震えた。


 ――嫌な気配だよ。


 アリスは立ち上がり、縁から海面を見た。ミサゴが眉をひそめる。


「どうかしたかい?」

「何か来ます」


 そう言ってアリスが剣を抜いた時、急激に海面に影が浮かんで来たと思うや、小舟を一飲みにしそうなくらい巨大な魚影が船の周囲をぐるぐると回り始めた。

 縁から海面を見る冒険者たちがざわめく。


「でけぇぞ」

「術式で小物が近づいて来ねえ分、大物が来やがったか」

「ちっ、海ン中か……面倒くせえな」


 と言いつつも武器を出して銘々に狙いをつけている。

 ブリョウの群島部を拠点にする冒険者は水上戦にも慣れてはいるが、やはり水は基本的に魔獣の味方である。船がやられては元も子もない。


 船底に仕込まれた魔獣除けの術式のせいか、魔獣は下から船を攻撃しては来ないようだ。だとすれば、跳ね上がって甲板を狙って来る可能性が高い。

 その時を狙って迎撃するか? とアリスが剣を構え直していると、不意に大きな波が船を大きく揺らした。不意打ちにも似た揺れに、バランスを崩して転倒する者も出る中、魔獣が跳ね上がって来た。船を飛び越すようで、カンナが咄嗟に舵を切らなければメインマストがダメージを受けていただろう。


 魔獣の大きな口からはナイフのような牙が覗き、両方の目の間から額に当たる部分に、大小不揃いの目がぎょろぎょろと凶暴な光をたたえている。背びれも胸鰭も刃物のように鋭い。尾鰭には棘がびっしり生えていて、はたかれればただでは済むまい。イソナデという鮫の魔獣だ。

 水から出た姿は予想以上に大きい。

 メインマストを噛み損ねたイソナデは、身を捩じらすと棘のついた尾鰭で甲板を一撃した。大きな揺れに。武器を構えようとしていた冒険者や衛士たちは再びバランスを崩した。

 再び海中に潜ったイソナデは、様子を窺うように舟の周りを泳いでいる。


「くそ、どうする」

「飛び道具か魔法だ。誰か」


 そこで再びイソナデが飛び上がって来た。今度は明確に船を破壊する意図があるのか、尾鰭を叩きつける助走の如く振り上げていた。魔法使いや射手が狙いを付けようと銘々の武器を構えるが、それを制するようにトラジが前に出た。


「下がっていろ」


 面倒くさそうな顔をしたトラジは腰の剣を抜くと、全身をバネのようにしならせて下から斬り上げた。丁度船の真上に来ていたイソナデは、これをまともに受けた。

 強烈だった。

 刀身の長さよりも遥かに長い斬撃が走ったと思うや、巨木の幹ほどもある魚体が前後に真っ二つになり、飛び出して来た時の勢いそのままに再び海の中に落ちて行った。


 あまりに呆気なく、また一瞬の出来事だった為、誰も彼も困惑と驚きで目を白黒させている。何でもない顔をしているのはトラジのパーティメンバーくらいだ。


「なるほど、“山断ち”……山さえ断つような斬撃か」


 とミサゴが感心したように呟いた。

 異名の由来となるくらいの一撃だったわけだ。Sランク冒険者というのは凄いな、とアリスは感じ入り、確かにこのレベルになると生半可な武器では満足できないだろうな、と思った。


 船は元通りに進んでいる。見事な舵取りでイソナデの一撃をかわしたカンナを、冒険者たちがやんややんやと囃し立てていた。カンナは照れ臭そうにはにかみつつも、舵を取る手は変わらず緊張していた。


「わたしも、もっと修業が必要だな……」


 とアリスが剣を収めようとすると、トラジがやって来た。


「待て。その剣はお前のか?」

「え? ああ、はい」

「自分で打ったのか」

「はい。十二の頃に」


 トラジは目を細めてアリスの剣を見た。青い刀身はきらりと光った。


「……これも実の剣だな」

「ええ、未熟な実でしたが気に入って……」

「……不思議なものだな。お前は鋼の実と相性がいいのかも知れん」


 トラジはそう言って肩をすくめた。

 アリスは手の中の剣を見た。剣は黙っている。この剣の事も、トラジは認めてくれたようだ。嬉しいような気もしたが、逆に言えば、アリスが打つ実以外の剣はまだまだという事になる。


 とはいえ、鋼の木の実専門というわけにもいかない。

 実自体は高価で貴重なものだし、そもそも誰もが鋼の木の実の武器を扱えるわけではない。トラジのように魔剣と化してしまうだろうと言われる者もいるし、そもそも武器に意志を求めない者だって多い。ゲンザとて、鋼の木の実の武器を打つ事はそれほど多いわけではなかった。

 アリスは思い切って尋ねてみた。


「……トラジさん、わたしの剣には何が足りないと思いますか? どうすれば改善すると思いますか?」

「ふむ……」


 トラジはしばらく目を伏せていたが、やがて言った。


「すまん、それは俺にはわからん。鍛冶師ではないし、感覚を余さず表現できるほど言葉が上手くもないんでな」

「そう、ですよね……」

「……やはり普通の剣と実の剣は違うか?」

「違います。打つ時の感じも、仕上がった剣も」

「鋼の実の武器を打つ訓練はしていたのか?」

「いえ、特には。やはり高価なものですし、練習で使うには勿体なくて」

「だとすると、感覚でやれるわけか」

「感覚……というより、実の方が導いてくれるという感じですかね」

「普通の鉄ではその感覚がないのか」

「そうですね。生きているわけではないので……」


 トラジはしばらく考えるように腕を組んでいたが、やがて顔を上げてアリスを見た。


「お前は、どこか他所の工房に入ってはいないのか」

「はい」

「それで鍛冶だけで暮らしが成り立つか?」

「いえ、難しいです」

「だろうな……やはり、お前には経験が足りないのかも知れん」

「経験、ですか?」

「感覚でそつなく出来ちまう奴は、がむしゃらに何かに取り組む機会が乏しくなる事もある。冒険者も、基礎訓練も大事だが、実際に野山やダンジョンを行き、空間を把握する事や魔獣と相対する事が重要だろう。鍛冶師も毎日沢山の仕事をこなして、沢山失敗を重ねた方がいいんだろうよ。だが、生活に追われていては失敗するのは難しい」


 アリスはドキッとした。

 確かにそうだ。修行となれば失敗も許容できる、というよりはむしろ失敗した方がいいと言えるが、今の暮らしの中ではそんな余裕がない。失敗作を重ねて家計を圧迫するわけにはいかないのだ。

 トラジは肩を回した。


「ゲンザも若い頃は他の工房で修行したと聞く。お前も本気で鍛冶師として身を立てたいなら、家に籠るばかりでなく、違う環境に身を置くのも必要なんじゃないか」


 そう言って、トラジは大股で向こうに歩いて行った。


 ミサゴとの縁を皮切りに、剣鍛冶の仕事が入るようにはなりそうだ。

 しかし、それでいいのだろうか、とも思う。

 今の腕前でもある程度は顧客を満足させる事はできるにせよ、自らの腕前を向上させるという意味合いでは、何かしらの修業が必要なようにも思う。

 特に、自らの作品を職人の目線で批評してくれる人にいて欲しい。最も信頼できる批評者だった父は既にいない。だとすれば、別の所へ行く必要があるのかも知れない。


 ついゲンザと比較してしまうせいで他の職人を軽んじている面があったのは否めない。

 だがアリス自身、一人きりで武器を打つ事になってからは、自分以上の職人が大勢いる事は身に染みている。トラジの言うように少し視野を広げて別の場所で修行を積んだ方がいいのだろうか。

 しかし、そうしたら弟妹はどうだろう。家族を放ってどこかに行くというのはアリスには考えられない。だが、このまま漫然と日々の暮らしに追われていては、道を見失ってしまうような気もする。


 考えているうちに、キオウの島影が濃くなった。空気が澄んでいるせいか、膨れるように茂っている深緑の形がくっきりと見えるようだった。

 美しい島だが、今は瘴気にやられて魔獣が増えていると聞く。気を抜けない場所だ。

 アリスはぱしんと自分の両頬を手の平で叩いた。今は将来の事よりも、目の前の事に集中しなくてはならない。考える未来も、無事に家に帰りついてからの話だ。


 不意に、周囲の雰囲気が変わった。青空はそのままなのだが、奇妙な圧迫感と息苦しさがある。瘴気の影響だろうか。

 そういえば、キオウには結界があるのだと聞いていた。

 見ると、カンナの胸元のペンダントが赤い光を放っている。結界を通り抜けるにはあのペンダントが必要らしい。まさに今結界を抜けたという事なのだろう。

 さっきまではどこか呑気な風だった冒険者たちも、警戒したようにざわめいて武器などを点検している。


 アリスは腰の剣の柄に手をやった。

 剣はアリスを勇気づけるように小さく震えた。


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>「ええ。このサイズの船は初めてですが、何とかなりそうです」 何となく、ブリョウでサイズと言ってるのに少しだけ違和感が。 でもナイフやペンダント、メインマストは何故だか気にはならないんですよねぇ。
[良い点] イソナデ=磯撫で、かな 日本の妖怪、魔物がファンタジーな世界で生息しているのが不思議で楽しい
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