第1話 旅立ち
新緑の若葉が芽吹き始め、麗らかな陽気が気持ちのいい季節となった。
「兄さん、カノン、おはよう」
「やぁ、おはよう。よく眠れましたか?」
木漏れ日が差し込むリビングに最近ではお馴染みの光景が目に入る。
「おはよう、クロス。またリア様よりも遅いお目覚めですね」
カノンのチクリとした嫌味も今では日課みたいなものだ。
「まぁまぁカノン。寝坊している訳じゃないのですから構いませんよ。そんな事よりクロス、早くこっちに来て朝ごはんを一緒に食べましょう」
「まったく……リア様はクロスに甘過ぎますよ……」
小さく呟かれた本日二度目の小言に聞こえないフリをして席に着く。
淹れたての紅茶がティーカップに注がれ、焼きたての厚切りトースト、具材たっぷりのオムレツ、これまた具材たっぷりのミルクスープにフルーツたっぷりのヨーグルトが並ぶ。
「何か今日の朝食、いつもより豪華だね」
「こうして僕が世話をするのも最後だからな」
そう言って微笑むカノンの顔は少し寂しそうに見えた。
「……しかも俺が好きな朝食セットだ」
ボソッと呟いた言葉に「そうだったか?」とシラを切るカノンの耳が少し赤くなっているのを俺は見逃さない。
――ほんと、優しいくせに素直じゃねーんだから
「昨日の夜、丹精込めてパンの生地から作っていましたもんね」
「――っ!? 見てらしたのですか!」
ブワっと一気にカノンの顔が赤く染まった。
「愛されてるね~俺ってば」
「あ゛?」
「何でもないですっ!」
――怖っ! ったく……冗談が通じないのも困ったもんだ
射殺すような鋭い視線から全力で目を逸らし、何事もなかったかのように「いただきます」と手を合わせた。
「ふふっ。こうして賑やかに食事をするのもしばらくお預けですね。名残惜しくてこの一週間、毎日帰って来ちゃいましたから余計名残惜しいです」
「一週間どころか一ヶ月近くほぼ毎日帰ってきてた気が……しかもカノンも一緒に。変わらず忙しいはずなのに大丈夫なのかって思ってたんだけど」
「もちろん、大丈夫ではないですけど大丈夫にしてあるので大丈夫です」
「リア様が帰って来るのに僕がお世話をしない訳にいかないだろうが。だから、大丈夫だ」
――え、結局どっちなのか分からないんですけど……
「ま、まぁ大丈夫ならいいや。俺も、最後に沢山一緒にいれて嬉しかったし」
そんな俺の言葉に、兄は少し憂いた様子で視線を落とした。
「あの日からもう三ヶ月……時間が経つのは早いですね」
「あの時は二人とも人が悪いよな。俺がここを出るって言い出すの分かっててあんな芝居までするなんてさ」
「お前の実力を正確に調べるためだ。それに、僕もリア様も嘘は言っていないさ。お前の覚悟が腑抜けだったなら許す事はなかったよ」
そう、カノンとのあの戦い、実は最初から想定されたものだったのだ。
あの日、ネタバラシは急に告げられた――
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「これでクロスのデータはすべて揃いました。学力は申し分ありませんので、試験は問題なく終了です。後の手続きはつつがなく済ませておきますので」
「ええ、よろしくお願いしますね」
感動に浸っていた俺を置いてけぼりにして訳の分からない話が進んでいく。
「ちょ、ちょっと待った! データ? 試験? 手続きって何の事だ?」
「ああ、お前が行く学校のだよ。入学式は春だからな、ちゃんと準備しておけよ」
「学校⁉」
予想外の展開に混乱がMaxになる。
「ちゃんと説明しますから、とりあえず家に戻りましょう。まずは一息ついてからです」
そう兄に促され、俺達三人は一先ず家へと入る事にした。
リビングで待っていると、一人台所へ向かったカノンが三人分の紅茶と焼き菓子をお盆に乗せて戻ってきた。品の良い紅茶の香りと甘い焼き菓子の匂いが未だ混乱している心を少し落ち着かせてくれる。
「……さて、何から説明しましょうか」
出された紅茶を優雅に飲みながら兄がにこやかに尋ねてきた。
「出来たら全部……最初からお願いします」
――俺はもう考える気力が無いよ……
「そうですね……まずは最初に、誤解のないよう伝えておきましょう。クロス、私達が貴方へ伝えた言葉に嘘偽りは何一つとしてありません。正直に言えば、今日ここへ帰ってくるのも本当に気が重かったのです」
「……リア様はな、だいぶ前からお前の気持ちに気付いておられたんだ。『いつの日か、ここを出たいと言われる日がきっと来る。その時は私達の気持ちで縛り付ける事なく、クロスの気持ちを受け止めてあげましょう』ってね。だからお前に話したい事があると言われた時、僕達は覚悟をしてここへ帰ってきたんだ」
神妙な面持ちで語られた言葉は俺の心にストンと落ちる。
「そうか……二人とも驚いた様子がないなと思ってたんだけど、やっぱ分かってたんだな。じゃあ学校っていうのは……」
「さすがに貴方の気持ちを確認して、じゃあ行ってらっしゃいって訳にはいきませんからね。道筋を用意する事ぐらいは許して下さい」
そう言って兄が優しく微笑んだ。
「あの戦いはお前の覚悟を確かめるためでもあったんだが、魔法学院の入学試験も兼ねてたんだ。基本となる四大元素魔法の扱い、魔法操作と魔法知識は十分かどうか、そして“魔法使い”になるための魔力量と質の測定だ。あとは学力テストがあるんだがそれは僕がずっと教えてたからな、これに関しては問題なしって事で免除してある。そして全部の試験が終わった結果、見事無事合格ってわけだ」
「なるほど。その合格手続きをカノンがしてくれて、三か月後が入学式って事か……って、急過ぎないか⁉ だったら最初から教えといてくれたらよかったのに」
「お前の本気を見定めるのが本題だったんだ。言う訳ないだろ!」
兄の前だから飲み込んだのだろう。その目は『このバカが』と続けて言っていた。確かに、先にテストも兼ねていると言われたら認められる事が前提となってしまってあそこまでがむしゃらに戦えなかったかもしれない。
――けどさ……
「いきなりそんな事聞かされても俺、他人としゃべれる自信ないんだけど……」
「あんな啖呵切っておいて何だ今更」
「当然だろう! 世間知らずもいいとこなんだから……」
「ふふっ。クロス、肩肘張らずに行けばいいのですよ。貴方の夢は確かに険しい道のりでしょう。ですが、人の世で生きていくという事は他者との関りは絶対に避けられません。人付き合いを学ぶ事も、世界を知る事も、セラフィナイトの名を背負う事に必要不可欠なのです。
焦る事はありません。まずは楽しみなさい。そして色んな事を見聞きして見分を広げるのです。その全てが貴方の夢の糧となるでしょう」
そう言って、兄は安心させるようにふわりと優しく微笑んだ。
「それにな、僕と同じ魔法騎士を目指すなら魔法学院の卒業は絶対条件だ。基準以上の魔力保有者も学院への入学は義務付けられている。お前はどっちにも当てはまるだろう?」
「そっか……」
「クロス、君の場合、既に他の生徒よりも学問や技術の面では相当なリードがある。ここでは出来なかった勉強を沢山してくるといい」
あまり見る事のないカノンの優しい表情に、俺は不安を抱えながらも不思議と自信が湧いてくのを感じた。
「……そうだね。ありがとう、兄さん、カノン。俺、必ずなってみせるよ。セラフィナイトの名に恥じない立派な魔法騎士に――」
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食事を終え、紅茶を一口飲んでから、ボソッと思った事を口にした。
「今日からいよいよ新しい生活のスタートか……」
「緊張しますか?」
「う~ん……それよりもわくわく? そわそわ? してるかもしれない。楽しみの方が勝ってるかも」
「それは良かった。時間は有限ですが、最初から必死になりすぎてはすぐに参ってしまいますからね」
「でも遊びに行くわけじゃないんだ。ちゃんと気合いは入ってるよ」
「ふふ、頼もしいですね」
兄は嬉しそうに微笑むとティーカップを手に取り、残りの紅茶を全て飲み干して静かに皿の上へと置いた。
「それではそろそろ行きましょうか。準備は出来ていますか? ここへはもう戻って来られないからね」
「大丈夫、これでもかってぐらい確認したよ」
「では私は先に行って転移の準備をしておきます。荷物を持ったら私の部屋へ来てください。カノン、後の事はお願いしますね」
「畏まりました」
そしてリビングには俺とカノンの二人だけが残った。
昨晩、カノンと一緒に昔話に花を咲かせながら荷物の準備をしたのだが、気恥ずかしくて最後まで言えなかった事がある。
――次、いつ会えるか分からないんだ。言いたい事は伝えておかなきゃな……よし!
「カノ……」
「クロス」
意を決した俺より先にカノンが神妙な面持ちで口を開いた。
「知っているだろうが、僕には家族と呼べる身内はいない。リア様に拾われて、こうしてプライベートな時間も一緒に居させてもらってるが、僕にとってリア様はどこまでいっても崇拝する主なんだ。でもお前は……なんて言うか……弟がいたら、こんな感じなのかとか……思う事がある」
カノンが言い辛そうに鼻の頭を掻きながら目線を床へ落とす。そのうちガシガシと頭を掻いたかと思うと、ガバッと顔を上げて力強い目を俺に向けた。
「だから……あーっと、なんだ……挫けるなよ! 僕の弟みたいなもんなんだから、諦めたら許さないからな! 必ず、戻って来い」
顔を真っ赤にしながら言い放ったカノンを思わずまじまじと見てしまう。
「な、なんだよ。何か反論でもあるのか」
「いや、嬉しいなと思って……俺もさ、口に出した事は無かったけど、ずっと言いたかった事があるんだ」
恥ずかしいとかそういった事は全くなく、素直な言葉が溢れ出る。
「カノンは俺にとってもう一人の自慢の兄貴だぞって、ずっと伝えたかった。それに、俺達はとっくに家族じゃんか。兄さんも言ってただろ? 俺とカノンが本当の兄弟みたいになった時、家族が増えたようで嬉しかったって。だからさ、家族に血の繋がりなんて関係ないんだよ」
それはきっと兄も思っているはずだ。
「俺はカノンを兄だと思ってる。カノンは俺を弟だと思ってる。兄さんもそれを喜んで歓迎してる。みんながお互いを大切に思ってるんだ。その気持ちだけで、家族って呼ぶには十分だろう?」
「…………」
「少し時間はかかるかもしれないけどさ、弟を信じて待っててくれよ。な、兄さん」
言い終わると、俯いたカノンがこちらに背を向けてしまった。その肩が少し震えたような気がしたのだが……俺は敢えて見て見ぬふりをする。
一つ大きく息を吐いて、カノンがこちらに向き直った。
俺の言葉を受け入れてくれたのか、その顔には気恥しそうな、それでいて晴れやかな笑みが浮かんでいる。
そしてカノンはヒュンッと何かを放って寄越した。
「やる。気休めだが、お守りだ」
両手でしっかりと受け取り、開いた手の中にあったのはシンプルな十字架のロザリオだった。
それはいつもカノンが首から下げている物だ。
「これ……」
「お前は自分で運命を切り開いていける奴だ。その先に、明るい未来がきっと待ってる」
「……うん」
「クロス、自信を持って行ってこい! リア様に教えを受けた僕が鍛えたんだ。大丈夫、お前ならやれるさ」
カノンが力強い激励と共に拳を突き出す。
「ああ、必ず!」
その拳へ己の拳を突き合わせ、互いにニッと笑い合う。
そしてリビングの隅に置いておいた荷物を手に取り、カノンに背を向けて兄の部屋へと向かったのだった。
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部屋へ入ると既に転送魔法装置の準備を終えた兄が待っていた。
「ごめん、お待たせ」
「では行きましょうか。まずはセラフィナイトの城へ向かいます。クロス、この円の中へ」
兄に続き、促されるままに展開された魔法陣の中へと入る。そのタイミングでいつの間に来たのか、リビングに居たはずのカノンが扉の前に立っていた。
「私は片付けがありますのでここで失礼致します。セラフィナイトに女神様のご加護があらん事を――」
カノンは惚れ惚れするほどの綺麗な動作で騎士の礼を行うと、最後に深々と頭を下げた。
そんなカノンへ俺は初めての言葉を口にする。
「カノン、色々本当にありがとう。行ってきます」
言うと同時、魔法陣から発した白い光に包まれる。
光の奥に、優しく微笑むカノンの姿が見えた。
それは一瞬。あっという間に目の前が真っ白になり、その光景は消えていく。
向かうは新たなる地、兄フリティラリアが治める聖なる都【聖なる箱庭】。
セラフィナイトの城へと移る――




