表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪徳のフランチェスカ  作者: 長月 灯
令嬢は感傷に浸る
9/54

9、崩壊の兆し

(今日は静かね……)

 いつもなら苦痛でしかない正餐の場であるが、エリザベスは穏やかな気持ちで食事を進めていた。


 ローズが黙って食事に専念しており、大食堂は静かな空気に包まれていた。

 彼女なら、二日前の劇場での出来事などを得意気に話すだろうに。

(まあ、この人が原因なのでしょうね)

 ちらりと覗き見たのは、黙々と手を動かす父の姿。

 目の下に暗い翳りを落とした彼は、時々溜め息を洩らしている。

 疲労を隠さない姿に、流石の義妹も遠慮したのだろう。



 手早く食事を終えて席を立つエリザベスの後ろ姿に、父が声を掛ける。

 後で書斎に来るように――珍しい言いつけに内心首を傾げながらも了承の意を返した。

(何を言われるのかしら……)

 嘲罵か、叱責か……考えるだけで憂鬱になるが。

 父の食事が終わった頃合いを見計らって書斎へと赴いた。



「結婚、ですか?」

 父から告げられた言葉に、エリザベスは己の耳を疑った。

「ああ、お前が公爵家に嫁ぐ日が決められた」

 忌々しそうに呟く父。

(私が……あの方と……)

 いつかこの日が来ると思っていたし、まだ来ないのかと待ち侘びた時期もあった。

 しかし、婚約者に拒絶されているという事実を受け入れた今、喜びの感情は全く無かった

 さらに、日を聞けば、式まであと十日もない。

(そんな急に……)

「準備をしておきなさい」

 口答えする間もなく、エリザベスは別館へと返された。



 それからは、慌ただしく時間が過ぎていく。

 グラナート伯爵家には様々な人間が出入りし、婚礼の支度は順調に整えられていく。

 屋敷の人間は、清々したというような顔つきで喜びの声を洩らしていた。



「あら、急に決まったのね」

 フランチェスカに結婚の事を告げてみれば、彼女は驚いたように手で口元を覆った。

「早く追い出したいみたいね。辛かったでしょうに……」

 そっと自分の背を擦る手が心地良い。

 自分の心情を理解してくれるのは、フランチェスカだけ――エリザベスはそう感じていた。


「もう、私……」

 婚約者にも、婚家にも望まれていない結婚。

 生家にも頼れる人間はいない。

 日が経つごとに、いよいよ自分の人生が終わって行くような、処刑台へと一歩ずつ歩いているような錯覚さえ感じていた。

「大丈夫よ」

 励ますように、フランチェスカが強く肩を叩く。

「あの婚約者はローズにご執心なのだから、貴女に指一本触れる気はないわ。“白い結婚”でも貫き通せばいいじゃない」

「白い……結婚……」

 その概念は、エリザベスも知っている。

 対外的には夫婦とされていても、夫婦の機能を果たしていない関係。

(そんな事が許されるのかしら……)

 公爵家の一員として、社交は仕方ないと割り切れる。

 しかし、世継ぎを産む努力を要求される事を危惧していた。

「夫婦としての関係が不成立なら、教会に申請して離縁に持ち込む手はあるわ……まあ、時間はかかるけど。貴女は修道院で過ごせばいいじゃない。その間、サラの手掛かりは私が探してあげる」

「……ありがとう、フランチェスカ」

 この数日間、エリザベスも努力したつもりだった。

 結婚を機に、伯爵家の使用人達に『お世話になったお礼』と称して挨拶に回ってみた。

 しかし、顔を引き攣らせた彼らから、有力な情報は得られていない。

 サラの行方が分からないまま生家を離れる事が、エリザベスの唯一の気掛かりだった。

「貴女の名誉を護る為に、高潔で従順な姿を見せつける必要があるの……だから、当分は、此処に来ない方が良いわ」

 その言葉に、エリザベスは渋々納得するのであった。



「お義姉様、とても素敵」

「似合っているわ、エリザベスさん」

 エリザベスが袖を通しているのは、白いドレス。

 婚礼の為の衣装ではあるが、所々擦り切れていて、着古された物のようだ。

 式まで時間が無いため、適当なドレスを調達してきたのだろう。

 エリザベスの体形に合わせて縫い直し、装飾も付けられる予定ではあるが、どうにも急造した印象は拭えない。

「私も、早くこんなドレスが着たいわ」

「貴女には相応しくないのよ、ローズ」

 嫌味としか取れない遣り取りに、エリザベスは思わず溜め息を漏らした。



 エリザベスの反応が楽しいのだろう、ローズは顔を合わせる度に白いドレスの話を持ち出す。

 周囲の含み笑いが、エリザベスの苛立ちに拍車を掛けた。



 結婚まであと一日という時、婚約者が訪ねて来た。

「久し振りだな」

「ええ……」

 珍しくローズが来ないので、二人で向かい合って座る。


(何をしに来たのかしら?)

 彼は出された茶にも手を付けず、ずっと俯いている。

 エリザベスが訝しげに見つめていると、彼はゆっくりと口を開いた。

「エリザベス……その、俺達は、明日から……正式に、結婚する」

 何かとても言い難い事柄のように話す婚約者。

「だからといって、将来の公爵夫人だなんて考えなくていい。別館を用意したから、そこで過ごせ。お前は何もしなくていい」

 明日、夫婦となる二人は教会で宣誓し、嫁ぎ先の公爵家で夜会を開く。

 そして、エリザベスは公爵家で暮らす予定だった。

 しかし、彼の言い方では――

(今までの生活と変わらないじゃない……これまで公爵夫人に受けた教えは無駄だったというの……?)

「伯爵の許可も取っている」

(お父様まで、そんな風に考えているのね)

 自分は、ただ“お飾り”として存在しろ――そういう事らしい。

「ええ、分かっています」

 自分でも驚くぐらい、冷静な声が出た。

「貴方の気持ちは、充分に」

 こちらとしても、ヘンリー・スマラクトと本当の“夫婦”になるつもりは毛頭ない。

「そうか……それならいい」

 相手を見据えていれば、婚約者の口元は緩み、安堵したような表情を見せる。

 それからは、ただ黙って茶を飲んで過ごした。



 不安や不快感に囚われて、寝付けない夜。

 ようやく睡魔が迫って来た頃――急に、息苦しさを感じた。

 辺り一面が深い闇に包まれているようで何も見えず、手足を動かしても何かが纏わりついているように重い。

(誰か、誰か助けて……)

 思い出すのは、金色の髪と碧い瞳。



 何処からか、光を感じて目が覚める。

 辺りを見渡すと、いつもと変わらない自室であった。

(夢だったのかしら……)

 何かの暗示だったのだろうか――と、これからの事を考えて、打ち消すように頭を振る。

(とうとう、朝が来たのね)

 気怠い体を動かして、窓の外を見る。

 エリザベスを苛むように、空がゆっくりと白みはじめていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ