10、純白の悪夢
※性行為を連想させる描写があります
その日、グラナート伯爵の屋敷は、喧騒に包まれていた。
長女のエリザベスがスマラクト公爵家に嫁ぐ日とあって、早朝から使用人たちが慌ただしく動き回る――筈であった。
しかし、彼らは自分の役割を遂行できず、待機を命じられている。
どうしたものかと皆が囁き合っていた。
その原因は、エリザベスが着る筈であったドレスにある。
伯爵家の一室に保管されていたドレスは、宝飾品も含めて消え失せていた。
その為、花嫁の支度が始められていない。
「どういうことだ?」
「部屋の施錠は厳重にしていた筈ですが……」
エリザベスの目の前には、頭を抱える父と家政婦長の姿。
顔を突き合わせて相談するも、『なぜ消えたか分からない』と繰り返しているだけに見える。
この部屋には義母もいたが、隅で静かに佇んでいるだけ。
「どこかで調達できるか……」
「商人達に確認します」
エリザベスに問うことも無く、父と家政婦長は足早に去って行く。
(間に合わせのドレスで……愛されない私に相応しい扱いね)
エリザベスは内心自嘲した。
婚礼の衣装など、もうどうでもいい。
自分の支度は当分先だろうと判断し、別館に戻ることにした。
義母に声を掛けても返事が無い。
何か、別の事に思い悩んでいる様子であった。
別館に戻る際に、使用人達の囁きが漏れ聞こえた。
どうやら、ヘンリー・スマラクトも公爵邸から姿を消したらしい。
(どういう事かしら?)
エリザベスは、婚約者の渋面を思い出す。
彼も今日が重要な日だと分かっている筈だ。
エリザベスを厭っているからといって、式を放棄するなど考えられるだろうか。
(わけが分からないわ……)
結婚してからの事だけでなく、式が無事に終わるのかという不安まで重なるとは――
「フランチェスカ……」
一人きりの部屋が心細い。
安らぎを求める声が、空しく響いた。
扉を叩く音に目を開けると、寝台に横たわっていた事に気付く。
いつの間にか微睡んでいたようだ。
開けても良いと声を掛けると、執事が姿を見せた。
ドレスの調達が出来たのかと憂鬱になるが、それならば家政婦長が来そうなものだと思い直す。
父の補佐や屋敷の管理を担う彼は、怜悧な視線を向けてくる人物だとエリザベスは記憶している。
しかし、今日の彼は、額に汗を浮かべ狼狽している様子であった。
「その……王太子殿下がいらしております」
「王太子殿下が?」
エリザベスの脳裏には、夜会で義妹と微笑み合っていた青年の姿が過ぎる。
王太子はヘンリー・スマラクトの友人であるが、グラナート伯爵家を訪ねる理由が分からなかった。
(ヘンリー様がいなくなった事と関係があるのかしら? それとも、ローズに用事が……?)
王太子とヘンリーに挟まれていた義妹の姿を思い出す。
「……屋敷の方々を呼んでほしい、とのことです」
その言葉に、エリザベスは重い腰を上げた。
執事に従って屋敷の正面玄関に来てみれば、堂々とした佇まいの王太子がいた。
彼の後ろには、武装した騎士達が控えている。
(随分と物々しいわね……)
さらには、粗末な身なりの子ども達まで。
物珍しそうに周囲を見渡している子ども達の姿に、使用人が眉を顰めているのが見える。
ますます、王太子の意図が分からなくなった。
エリザベスの顔を見ると、王太子は頷く。
「全員揃ったようだね」
集まった顔ぶれを確認すれば、父と義母に、使用人の中でも地位の高い者達。
「殿下、今日は大事な……」
「これを見てくれ」
非難めいた父の言葉を遮り、王太子が紙片を掲げる。
父がそれを受け取って読むと、隣の義母と顔を見合わせた。
「これは、一体……」
エリザベスも近付き覗き込む。
破り取られたような紙片には、褐色の字で『ケヴィン助けてくれ。グラナート家の倉庫』と書かれていた。
(これって……)
その色は、エリザベスに古びた血を連想させた。
「この子達が、王宮の門番の所へ届けてくれたんだ」
王太子は後ろを一瞥する。
紙片の内容が真実であると疑っていないような素振りであった。
「私をこう呼ぶのは、ヘンリーぐらいだからね」
王太子は拳を握りしめる。
王家の人間であることを証明する、紋章を刻んだ指輪が目に付いた。
「ヘンリーに危険が迫っているなら、私が助けなくては」
「それだけで、このような……」
父が咎め立てているかのような声を上げるのは当然だと、エリザベスは思う。
真偽の分からない話の為に、王宮の騎士を動員する――醜聞が漏れることを父は気にしているのだろう。
しかし、王太子は周囲の空気を気にしていないようだ。
「グラナート伯爵。申し訳ないが、屋敷を調べさせてほしい」
金茶の髪を輝かせて厳かに振る舞う姿は、まさに神話の英雄の出で立ち。
彼にそう言われてしまえば、断る権利は誰にもなかった。
「当家で倉庫と呼ばれている場所は幾つかありますが、現在はお嬢様の婚姻の為に荷物が運び込まれている状態です。殿下が危惧されているような事は不可能かと……」
王太子の対応を任されたのは家政婦長。
こめかみを抑えながら、屋敷の中を案内している。
彼らは余す所なく調べているようだが、ヘンリーの姿が見つかることはなかった。
ついでに、エリザベスのドレスも。
(こんな騒ぎになるとは思わなかったわ)
右往左往する使用人や、残るように言いつけられた子ども達の声で、正面玄関は騒がしい。
エリザベスがフランチェスカの絵画を見上げていると、足音が聞こえる。
家政婦長達が戻ってきたようだ。
「何処にもいませんね。殿下、やはり子ども達のいたずらでは……」
「おかしいな……他に、倉庫のような場所は?」
「裏庭にありますが……もう古く、何年も使っていない筈です」
「では、そこに行こう」
彼らの会話に、エリザベスは慌てて振り返る。
「あの……私も行きます」
彼らの後ろ姿を追いかけると、王太子が此方を見て頷いた。
「ヘンリーの事が心配なんだね」
エリザベスは沈黙で返す。
(裏庭の古井戸を調べられたら……)
中にいるフランチェスカが見つかってしまっては、どのような仕打ちを受けるか……それだけが心配だった。
芝生を踏み荒らし、王太子は目的の倉庫の前で立ち止まった。
「鍵は……」
その言葉に、頭を振る家政婦長。
「誰かが紛失したらしく……重要な物は入っていないので、そのままにしていたそうで……」
「なら、仕方ないな」
王太子は騎士の一人に指示を出す。強引にこじ開けるようだ。
(どうか、すぐに終わりますように……)
エリザベスは騎士達の後ろで身を強張らせていた。
つい、視線が古井戸の方へ向いてしまう。
幸いな事に、誰も其方を気にしていないようだ。
物々しい音を立てて、倉庫の扉が開かれた。
葡萄酒が入っていたらしき空瓶が転がる。
「そんなっ」
家政婦長の悲鳴じみた声に驚きながらも、エリザベスは倉庫の中を覗き込む。
「え……」
最初、目にした光景を信じられなかった。
倉庫の床に横たわるのは、二人の人間。
一人は、ヘンリー・スマラクト。
そして、もう一人は――
「まさか」
掠れた声は、王太子の呟きか。
彼の見下ろす先には、純白のドレス。
エリザベスが着る筈であった婚礼用の衣装に身を包んだローズが其処にいた。
胸元は大きく開かれ、腿も露わに曝け出しており――
(そんな……まさか、二人は……)
この中で行われていたらしき所業に、エリザベスは戦慄する。
「花嫁さんだ」
「どうして服を脱いでいるの?」
「司祭様に教えなきゃ」
「みんなに教えてあげてって言ってた」
方々に散って行く子ども達の声を背に、皆が呆然と立ち尽くしていた。




