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悪徳のフランチェスカ  作者: 長月 灯
女王は歓喜した
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9、女王の侵食

(……そろそろ、新しい体が欲しいわね)

 グラナート伯爵家の食事とお茶が恋しくなったこの頃、フランチェスカは次の移り先を探していた。

 小さな人形の体で、夜の屋敷を散策中。

(いい体は無いかしら?)

 低い目線で彼方此方を見渡しながら、思案する。

 伯爵夫人に近付く機会は無いし、頭の足りない義妹は論外。侍女や女中も今一つ――


「……誰かいるのですか?」

 強張った声を聞き、フランチェスカは立ち止まる。

 一人の女性が、燭台の光を此方に向けていた。

 背筋を伸ばした立ち姿に、無駄のない動作。

 相手の顔を確認し、フランチェスカは気を良くした。

 屋敷内で発言力が強く、誰とでも接触出来て、ついでに良い物が食べられそう――彼女が求めていたものを具える人物だった。

(まあ、見た目は我慢してあげるわ)

「……人形? お嬢様方がこのような……」

 相手は、此方の意図に気付かず、人形の体を持ち上げる。

 その手に、フランチェスカはそっと触れた。


 こうして、フランチェスカは家政婦長の地位を難なく入手する。

 彼女の新しい体は、地下室の天井に吊るしておいた。

「お友達を差し上げるわ。私って優しいでしょ?」

 サラと家政婦長の魂を入れた人形は、二体並んで手足を動かしていた。



「エリス様……どうかされたのですか?」

 早朝に別館の前で立っていれば、女中達に声を掛けられた。

 普段と様子の違う家政婦長に疑問を抱いたのだろう。

「あ……ごめんなさいね……」

 フランチェスカは、家政婦長が出さないであろう声で謝って見せた。

「近頃のエリザベスお嬢様を見ていると、奥様を……アネット様を思い出してしまって……」

 ハンカチで目元を覆って見せれば、女中達は涙を浮かべている。

「ええ、私も……」

「茶会の日のお嬢様は、本当に……」

 年配の彼女達も、前夫人が存命の頃から勤めているのだろう。

 皆が、家政婦長の内心を察したかのように頷いていた。

「エリス様、今日はお休みください」

「後は私達が……」

「本当に、ごめんなさいね……」

 女中の一人が自分の腕を引いてくれたので、フランチェスカは大人しく従った。



 初めて入る家政婦長の部屋は、彼女の厳格な性格を表すような内装だった。

 質素で頑丈な家具と、大きい本棚。

 飾りの類は何もなく、赤子を抱いた女性の絵だけが存在を主張していた。

 机の上には主人達の予定表や使用人の当番表が広げられている。

『リリー様の診察』『ローズ様の学習』等と言った文字列の中で、『エリザベス様、ザフィーア公爵家の夜会』という一文が強調されていた。

(エリザベスが……ザフィーア公爵家に、ねぇ……あの婚約者なら断りそうな気がするけれど)



 ザフィーア公爵家で夜会が開かれる日――

 周囲の心配を余所に、フランチェスカはエリザベスの支度をしていた。

 エリザベスに付けた侍女が立て続けに不始末を起こしていることに関して、伯爵から叱責された所だった。

(面倒だわ……本来なら、女主人も気を配るべきじゃないのかしら……)

 フランチェスカは、自分が責任を持って嫁入りまで世話をすることを涙ながらに訴えた……つもり。

 周囲の反応を盗み見るに、受けは良かったようだ。

 女中や夫人の侍女達が積極的に仕事を引き受けてくれたから、フランチェスカは悠々と過ごす心算だった。


 鏡越しに見るエリザベスは、いつもと変わらない、悲観的な表情。

 とても婚約者と夜会へ赴く様相ではなかった。

(ほら、ドレスが辛気臭いのだから、貴女まで辛気臭い顔をしないで欲しいわ)

 折角、化粧や髪形を整えてあげたというのに、これでは台無しだ。

 おまけに、華美で幼稚なドレスを着たローズを見て、そっと溜め息を漏らす始末。

 婚約者から贈られた地味なドレスの意味を理解していないのだろう。

(まあ、どうでもいいけれど)

 誤解を解くつもりは無い。

 せいぜい婚約者の行動を悪く捉えて嘆いていればいい。



 エリザベスとローズを送り出し、家政婦長としての業務を幾つか終えたフランチェスカは、自室で日記を読んでいた。

 一番古い記述は、二十年近く前。

 家政婦長はこの屋敷に勤めだしてからの事を、丁寧に書き残していたらしい。

(あらあら、随分と几帳面なのね)


『奥様の不調は妊娠だと思っていた。まさかあのような事になるとは』

『エリザベス様が健やかに育って下さることだけが、旦那様の希望だった』

『男児を産むための婚姻だが、幼いエリザベス様に理解していただくのは難しい様子』

『リリー様も最近は落ち着いて、薬を飲む頻度も減った』

『エリザベス様が今日着ていたドレスは、旦那様が奥様を見初めた時のものであった』


「ふうん……」

 家政婦長の思い出が詰まった日記を、フランチェスカはその辺に投げ捨てた。

(まあまあ面白かったわ)

 事務的なエリザベスの覚書よりも、情感にあふれて読み応えがあった。



 ふと窓の外を見ると、スマラクト家の馬車が見えた。

(……あら、どうしたのかしら)

 想定していた時間より、エリザベス達が早く帰って来たようだ。


 馬車から降りたのは、エリザベス一人であった。

 ローズ様は、と確認しても「ヘンリー様といるわ」と素っ気なく答えるだけ。

 よく見れば、ドレスの襟元が濡れている。

(あらあら、夜会で何かあったのかしら)

「このドレスを処分したいの。着替えを手伝って」

 冷たい声で言い放つと、彼女は足早に別館へと向かう。

(……あの坊やはいったい何をしたの? 婚約破棄、なんて言い出されたら困るわよ)

 フランチェスカは内心嘆息した。

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