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悪徳のフランチェスカ  作者: 長月 灯
王子は正しきを為す
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10、栄光や権威よりも

 ライアン・ザフィーアは、普段、他家を訪問する事はない。

 “フランチェスカの再来”と忌み嫌われている自分を招待する酔狂など存在しない。

 だからこそ、『ハンカチを返す』という理由で令嬢の元を訪ねる――その行為は、ライアンにとって難易度の高いものであった。

 手紙の内容を考えあぐねる彼を、執事と女中は物珍しそうに見ていた。



 後日、グラナート伯爵家を訪れたライアンを出迎えたのは、冷淡な目つきの執事とフランチェスカの絵画であった。

(やはり……あまり気分の良いものではないな)

 王宮でこの絵を見る度に、自分も処断されろと言われているように感じて憂鬱な気分にさせられた。


 屋敷の奥から聞こえる物音が気になったが、執事とハンカチを交換し、追い出されるように屋敷を後にした。


(ローズ嬢に続いて、夫人と使用人も亡くなったそうだな……エリザベスの気持ちを、少しでも慰める事が出来たら、と思ったが……)

 失意のまま自分の馬車に戻ろうとした時、微かに自分を呼ぶ声が聞こえた。

 振り返ると、粗末な服に身を包んだエリザベスの姿があった。

(どうして使用人のような恰好を……しかも、服も焦げているようだが……)


 戸惑うライアンに、エリザベスは紙片を差し出す。

『旦那様が奥様を』――紙片を読んだライアンの脳裏を過ぎったのは、王太子とローズの姿。

(まさか、あれも伯爵が……だとすれば……)

 彼女を保護するべきだと、ライアンは判断した。

(しかし、私の力で何が出来る?)

 ふと、思い出したのは、葬儀での一幕。

 王家への発言権があり、伯爵家に忖度しない人物――

「……申し訳ないが、私一人では力が及ばない。グリンマー侯爵を頼ろう」

 伯爵家の人間に気付かれる前にと、急いでエリザベスを連れ出した。



 グリンマー侯爵家に到着した時、見覚えのある人物が入って行く所であった。

(あれは司教か? 侯爵と面会するのか……)

 “フランチェスカの再来”とされるライアンの存在は、教会からも快く思われていない。

 彼の介入を危惧しながらも、馬車を止めた門番に侯爵への取次ぎを依頼する。

 ライアンの予想に反して、彼はすんなりと応じてくれた。


 すぐに侯爵家の執事が出て、応接間に通される。

 茶を飲み干す前に、グリンマー侯爵は姿を現した。

(随分と対応が早いな……)

「侯爵、来客中に申し訳ありません」

「来客? 何の事ですかな?」

 彼は、気にしていないように微笑んだ。



 エリザベスの訴えを聞いてからの、グリンマー侯爵の行動は早かった。

 グラナート伯爵を擁護する素振りを見せながらも、王家に進言し伯爵家を捜索させる――ライアンは内心驚いていた。


『娘の部屋が燃えた。娘はどうなったんだ』と錯乱するグラナート伯爵を追いやり、侯爵は騎士達に指示を出していた。

 自らも屋敷中を歩き回る侯爵の後に続きながら、ライアンは彼の意図を考えていた。

(この男も暇ではないだろうに……義憤に駆られて、という性格でもないか……ただ、グラナート伯爵の粗を探したいだけか)

 エリザベスが持ち出した家政婦長の告発は、都合の良い大義名分となったのだろう。


 結局、グリンマー侯爵は失踪していた侍女を見つけ、証言を引き出すことで伯爵を蟄居に追いやった。

 伯爵家の後継は、グリンマー侯爵の意向を汲む者。

 正義を履行する振りをして、彼は本懐を遂げたのだろう。

 良く出来過ぎている――というのがライアンの感想であるが、グラナート伯爵が元凶である事には疑いを持っていなかった。



(とうとう、行ってしまった……)

 ライアンは、気が抜けたような面持ちでグラナート伯爵家の庭園を歩いていた。

 今しがた、修道院へ向かうエリザベスを見送っていた所だ。

(出来る事なら……この手を離したくなかった……)

 エリザベスが自分の隣にいてくれたら――ライアンはそれだけを願っていた。

 しかし、今のライアンは彼女を守る力を持っていない。

 王都から離れた場所で、静かに過ごせるよう願う事しか出来なかった。


(最後まで、彼女は優しく、気高く、そして美しかった……)

 思い出すのは、彼女がグラナート伯爵と面談する姿。

 罪を犯した伯爵を彼女は抱きしめ、何かを囁き――

(『お前は娘じゃない』か……何て愚かな……)

 逆上した父親に罵られようと、彼女はずっと微笑んでいた。



(ここで、私の運命は変わったんだ……)

 柵を潜り、裏庭に入る。

 井戸の蓋を開けると、焦げた匂いが鼻を突いた。

(まさか……あれから、何日経ったと思っているんだ)

 中を覗くと、焼け焦げた井戸の底。

 隅に、白い塊のようなものが見えた。

(何かを焼いて捨てたのか?)

 王太子の死に場所に大それた事をする人間がいるのか――と疑問に思うが、すぐに興味は薄れた。



 公爵家に戻ると、執事が慌てて此方に駆け寄ってくる。

 彼の手には、盆に積まれた手紙の山。

「これは……」

 ざっと差出人を改めると、貴族や王宮の文官、果ては教会の関係者まで。

 王太子亡き今、新しい勢力に取り入ろうと必死なのだろう。

(随分と、浅ましい奴らだ……精々、私を利用すればいい)

「さて、どれから相手にするべきだろうな。選別を手伝ってくれ」

 執事を従え、書斎へ向かう。

(待っていてくれ……どんな手段を使ってでも、必ず……)


 ライアン・ザフィーアが求めるものはただ一つ。

 この世の何よりも尊き笑顔であった。

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