8、憎悪を流しゆく紅涙
ライアン・ザフィーアの人生は、これまで疑問と怨嗟の声を押し殺すだけであった。
見た目だけで両親に捨てられた挙句、弟の所為で静かに生きる事も叶わずに。
愛される事も、認められる事も諦めて。
いつしか、報いを果たしたいという気持ちが、何処かにあったのだろう。
自分のように苦しめと、汚辱に塗れて生きろと――
いつもなら王太子の後ろで俯き、周囲の目を避けるようにしていた王宮内を、ライアンは晴れやかな気持ちで歩いていた。
王太子の死によって注目を集めている事は理解しているので、悲しむ振りは忘れていないが。
「閣下……どうか気を落とさずに……」
普段は王太子にのみ挨拶をし、ライアンを見下していた貴族や文官達も、今日は声を掛けてくる。
嘲りの対象から、哀れみの対象へ――
煩わしさを感じながらも、ライアンは丁寧に対応していた。
「殿下は、ローズ嬢を愛していると……生涯、添い遂げたいと仰っていたのに……どうして……」
目元を覆い呟いて見せれば、誰かが息を呑む。
(愛に溺れて愚行に走った男として、あいつは人々の記憶に残るんだ……)
皆の反応に手応えを感じつつ、馬車に戻る。
グラナート伯爵家に向かうよう指示すると、御者は怪訝に思いつつも馬車を走らせた。
グラナート伯爵家を訪ねると、応対した使用人は『迷惑だ』という感情を隠さない態度だった。
これまでの騒動で使用人達も疲弊しているのだろう。
しかし、彼が呼んだ家政婦長は、丁寧な物腰で裏庭へ案内してくれた。
多くの人間が行き来したらしく、少し荒れた芝生を歩いた先に、目的地はあった。
古びた倉庫と井戸――ライアンが隠し通路を用いた先で見た場所だ。
作業の途中らしく、杭や工具が置かれていた。
井戸を見ようとした時、家政婦長の此方を窺うような視線が気になった。
「殿下の為に祈りたいので、少し一人にしていただけませんか……」
そう声を掛けると、彼女は躊躇う様子を見せながらも立ち去って行った。
井戸は、真新しい木の蓋で覆われていた。
持ち上げて奥を覗き込むと、焼け焦げたような臭いが鼻を突く。
井戸の底には、何かが燃えた痕跡。
(そうか、この中で……)
蓋を戻しつつ、二人が死亡した時の状況を推察する。
ローズ・グラナートが、王太子と焼死を図ったのか。
若しくは、別の誰かが王太子とローズを殺害したのか。
(焼死は長く苦しみそうだが……あいつは、どんな声を上げたのだろうか……)
その現場を見られなかった事を、ひどく残念に思った。
倉庫を見ようと考えた時、ライアンの耳に微かな足音が届いた。
振り向くと、榛色の髪を持つ女性の姿。
見覚えのある顔だが、頬は痩せ、以前よりも弱々しく見えた。
「……公爵閣下」
呟く声は、雛鳥のように愛らしい。
「お久し振りです、グラナート嬢」
エリザベス・グラナートの姿を見て、ライアンは些か動揺していた。
婚約者の不貞や義妹の死、王太子の死に場所となった伯爵家が受ける誹り――エリザベスの心労は計り知れないだろう。
義憤や復讐心に突き動かされていた自分の醜さを、少しずつ実感していく。
「こんな時に、申し訳ありません。どうしても、王太子殿下が……亡くなった場所を見ておきたかったので……」
気まずさから、つい視線を逸らしてしまう。
「王宮へ伺ったのですが……私は、彼の顔を見られなかったので……」
つい口走った言葉に、すぐ後悔した。
(何を馬鹿な事を言っているんだ、私は……)
死に顔の代わりに死に場所を見たいなどという、浅ましい心を知られてしまったら――
意を決してエリザベスの顔を見れば、彼女の瞳からは、涙が溢れていた。
涙を拭おうと咄嗟に手を出して、また後悔して。
恐る恐るハンカチを差し出せば、彼女は受け取ってくれた。
伯爵家を発った馬車の中で、ライアンはエリザベスの言葉を噛み締めていた。
(貴方が……か。自分があのような災難に見舞われていても、私を慮って……)
執事の所為で曖昧になったが、彼女は、自分の為に泣いてくれた。
それだけで、ライアンのこれまでの不遇が救われたような気持ちであった。
あの姿を思い出すだけで、心の中の澱みが消えていくような感覚を覚えた。
(せめて、彼女の真心に応える為に、今だけはあいつの為に祈ろう……)
ライアンはそっと目を閉じた。




