6、神罰に等しき報い
ヘンリー・スマラクトとエリザベス・グラナートの婚姻は保留となった。
ヘンリーが婚約者の妹と不義の行いに及んでいた、という事実は多くの者に伝わっているらしい。
「どうして……」
ライアンの前には、憔悴しきった王太子の姿。
王家が推し進めた婚姻での不祥事や友人の背信は、大層気まずいものだったのだろう。
事後処理を終えた後、彼は王宮に戻らずザフィーア公爵家を訪ねて来ていた。
「殿下、そう気を落とさずに……というのも、無理な話かもしれませんが」
使用人の準備した茶を勧めると、王太子は弱々しく微笑む。
(……お前が全て台無しにしたようなものだからな)
内心の喜びを隠しながら、ライアンは慰めの言葉を掛けていた。
ヘンリー・スマラクトの不在時に届けられた、一枚の紙片。
王太子はそれを見て、ヘンリーが窮地に陥っていると考えたのだろう。
自分の行いによって、友人が愛する者と結ばれて幸せに――それを信じて疑わなかった筈だ。
王太子が苦しむ様は、ライアンの溜飲を下げてくれた。
「何かの間違いだ」
(間違い? お前はまだそんな事を……)
俯き、頭を掻きむしる王太子を、ライアンは冷ややかな眼差しで見下ろしていた。
「ヘンリーは、エリザベス嬢を大事に思っていたのに」
(お前も、あの男が何をしたのかを知っているくせに……)
「スマラクト家とグラナート家の間で、話し合いはされたのでしょうか……?」
心配する振りを装って、ライアンは気になっていた点を確認する。
その問いに、王太子は首を振った。
「結論は出ていないよ。グラナート伯爵は怒り心頭でね、責任を取ってローズ嬢と婚姻するよう主張している。スマラクト家の方は、ヘンリーも不義を否定しているし、エリザベス嬢との婚姻を望んでいる」
(あの状況で? 言い逃れできると思っているのか?)
ヘンリーの愚かさに、ライアンは内心呆れていた。
「その……ローズ嬢の事を考えると……婚姻は避けられないのでは……?」
恐る恐る、といった口調を作り、ライアンは自分の意見を主張した。
(あのような男には、その程度の女で十分だろう)
ライアンの脳裏には、姉の婚約者と王太子を侍らせて悦に浸るローズの姿。
しかし、王太子は苦笑を漏らした。
「ローズ嬢は、何というか……まだ幼いし……とても、出来た令嬢とは言えないしね。スマラクト家の後継の嫁としては……」
慎重に言葉を選んでいるものの、王太子もローズを良くは思っていない様子であった。
「二人は、どうやら酩酊していたらしくてね」
黙って茶を飲み干した後、王太子が呟く。
「ローズ嬢の精神状態も安定していないんだ。だから……その、診断が終わっていない」
(診断? ああ、そういう事か……)
王太子の口籠る様子から、ライアンも何が為されるのかを察した。
「明日に、医者と産婆が正式に診察する。その結果で、今後の対応を決めるようだ」
(結果がどうであろうと、お前の過失は変わらないのに……)
「もし、二人が潔白と証明されれば……私は……いや、その前に……せめて、エリザベス嬢にヘンリーの気持ちだけでも……」
(今更、彼女に何と言葉を掛けるつもりなんだ。傷付いている筈の彼女に、あれを受け入れろと?)
憎悪の言葉を隠し、ライアンは「そうですか」と返答するだけに留めた。
社交辞令でザフィーア公爵家に逗留する事を勧めたが、結局、王太子は夜明け前に出て行ってしまった。
執事からその旨を伝えられた時、ライアンは、「殿下は大層気落ちされていた様子ですので、そっとして差し上げた方が……」と告げておいた。
執事が去るのを待ってから、ライアンは地下通路に入っていた。
王太子が、エリザベスに会いに行くと漏らしていた事を、懸念した為だ。
(あいつが、自分の立場を利用して、エリザベス嬢に犠牲を強いようとするなら……)
自分の手を汚してでも、今度こそ、彼を止めなければ――ライアンは、決意を抱いていた。
グラナート伯爵家までの通路を歩き――途中で止まる。
昨日に利用した筈の通路は、崩落したかのように塞がれていた。
(これは……人為的な物なのか?)
ライアンは、グラナート伯爵家に繋がる井戸の底と、人の手が入った地下室を思い出す。
(あの部屋を利用していた人間に気付かれたのか? 一体誰が……)
伯爵やエリザベスにローズ――見た事のある者達の顔を思い出すが、見当も付かなかった。
此処にいるのは得策でないと判断し、急いでザフィーア公爵家まで戻る。
心身共に疲労を感じていたが、懸念事項が多く、寝台に入る気になれなかった。
朝を迎え、王太子の動向が気になったライアンは、王宮へと入り込んだ。
王族専用の庭園で周囲の様子を窺い――違和感に気付いた。
王宮の中は、多くの人間が忙しなく動き回っている。
しかし、使用人達だけでなく、文官や騎士達の姿も見える。
全員が顔を強張らせて、彼方此方を走る光景は、ただ事ではない雰囲気を感じさせた。
(何があったんだ?)
そっと、開けられた窓に近付く。
「本当なの? 王太子が亡くなったって……」
「どうしてグラナート伯爵邸で……」
「顔が分からない? どういう事だ……」
(……あいつが? 伯爵家で?)
漏れ聞こえた会話に、思わずライアンは立ち尽くす。
その胸の内には、ゆっくりと、歓喜の感情が満ち始めていた。




