12、哀憫の指先
昨日までの喧騒が嘘のように、屋敷内は静まり返っていた。
父は力なく書斎に座り込み、義母も自室から出てこない。
王太子が伯爵家の次女と心中を図る――思いもよらない事態が起き、全員が動揺を隠せないでいた。
すぐさま王宮へ連絡を取り、王族の侍医や化粧師による処置が施された王太子は手厚く運ばれていった。
義妹の方は、伯爵家の医師が軽く検分しただけ。
「今日に産婆と診察する手筈だったのですが……亡くなられてしまうとは……なんとも……」
おそらく、ローズ・グラナートの遺体だろう――そう結論付けて、医師は立ち去った。
彼女の遺体は棺に納め、ひとまず自室に安置した。
教会に葬儀の手配を依頼していたが、王太子の葬儀との兼ね合いで遅れるらしい。
窓の外を眺め、溜め息を吐く。
(どうしようかしら……)
エリザベスは自室で一人、気を揉んでいた。
使用人達の話を纏めると――
倉庫の掃除を命じられた者達が、異臭に気が付いて井戸の底を覗いたらしい。
そこで、何かが燃えていることに気が付いて引き上げてみたとのこと。
周囲の芝生に燃えたような跡は無かったため、火を付けられたのは井戸の底。
あの隠し扉の先はどうなったのか、と危惧していた。
裏庭は封鎖されるらしく、庭師達が頻繁に出入りしている。
作業は数日で終わるだろうという会話は漏れ聞こえた。
(今の内に見に行かないと……)
庭師達が休憩に入った昼過ぎ、エリザベスは裏庭へと赴いた。
古井戸の傍らには、先客がいた。
陽光の輝きを受けた髪が、風に揺れる。
懐かしきその色に思わず立ち止まった。
地下室の友人より短い金の髪。
質素だが上質な黒の外套を纏う姿は、見上げる程の背丈。
振り向いた瞳は、碧い光を湛えていた。
「……公爵閣下」
夜会の日に言葉を交わした、ライアン・ザフィーア公爵であった。
礼を執るエリザベスを、彼は軽く片手で制する。
「お久し振りです、グラナート嬢」
あの時と変わらぬ、ゆったりとした口調。
茫洋とした、と言い現わせるような穏やかな笑みを浮かべていた。
彼は王太子の実兄であるが、このような場所で出会うとは思ってもみなかった。
掛ける言葉が見つからず、エリザベスは黙って俯いた。
それは相手も同じらしく、暫し、その場を沈黙が支配した。
「こんな時に……申し訳ありません」
先に切り出したのは、公爵の方。
「どうしても、王太子殿下が……亡くなった場所を、見ておきたかったので……」
彼は井戸を見下ろす。
真新しい木の蓋が宛がわれており、井戸の底は見えない。
「王宮へ伺ったのですが……私は、彼の顔を見られなかったので……」
伏せた彼の表情は、エリザベスには窺えなかった。
それでも、詰まらせた声や震えた手から、彼の心中が推し量れる気がした。
(閣下は、そこまで御兄弟の事を……それなのに、そんな不遇な扱いを受けるなんて……)
エリザベスが思い出すのは、母が亡くなった日。
幼い彼女は、母の死を受け入れられなかった。
母の遺体から離れる事が出来なかったが、父に無理やり引き剥がされた。
そして、母は教会で……
「エリザベス嬢……」
ザフィーア公爵がハンカチを取り出す。
その手はエリザベスの涙を拭っていた。
ぼやけた瞳で、公爵の姿を見上げる。
「あ……申し訳ありません、つい……」
公爵は慌てて手を離す。
恐る恐る、彼はハンカチを差し出した。
「……ありがとうございます」
エリザベスは手を伸ばす。
僅かに接した指先は、エリザベスが久々に触れる誰かの温もりだった。
「悲しんでくださる方がいて、彼も喜ぶでしょう」
彼も泣きたいのではないか――そう思わせるような瞳で、公爵は微笑む。
エリザベスは首を振った。
「……私は、貴方が……」
「お嬢様っ」
エリザベスの後ろから、執事の声が響く。
「こんな所におられましたか……」
足早に近付いた彼は、公爵の姿に気付いて一礼する。
態度こそ恭しいが、その目つきは鋭い。
「突然の訪問、申し訳ありませんでした……では、私は失礼致します」
剣呑な空気を察したのか、公爵は足早に去って行った。
(何て失礼な態度を……)
エリザベスが咎める前に、執事が口を開いた。
「奥様が……」




