第100話 甦った者への涙
※ 少し長めになります。
転命を受けた陽がいる、岡山空港近くの施設。
他の者と同様、いやそれ以上に彼の復活を祈る、耶都希がいる。心中不安、そして後悔で一杯である。それに加え周囲の動きも、心配になってきた。緊迫する状況の中、肌白く紫唇の少年に変化は、まだ見られない。
だが……
陽の中では変化が現れていた。
――幼少の陽。
上限前後左右の区別もない、真っ暗な場所。無音の世界。重力もなく浮遊しているようだ。しゃがむように腰を曲げ、両腕に膝を抱え丸くなり、頭を両膝の間に埋めている。何もすることなく、何も考えることなく、何も感じることなく、ただただその姿勢で浮遊している小さな身体。
そのまま眠りにつこうとする。その時、微かな声がどこからともなく聞こえる。
「ょぅ」
顔を上げたが、真っ暗で何も見えない。眼を開けていることさえも、分からないほどに。再び、顔を埋める。
「よう」
再び聞こえた。聞き覚えのある優しい声。顔を上げ、首を左右へ回してみる。暗闇が見えるだけである。諦め、目を閉じようとする。
「陽! 」
より大きく、確かに呼ぶ声。
「姉、さん」
目を再び開け、首を左右上下にゆっくり振ってみる。足先の真っ暗な空間から砂粒くらいの白点。瞼を大きく見開いた。
その白点は徐々に大きくなっていく。と思った瞬間、子どもの陽の目の前を足元から頭上へと、もの凄いスピードで輝く白線が引かれた。
驚いた拍子に、立つが如く身体を伸ばしている。
「陽ぉ! 姉さんがあなたを守るからぁ。だから戻ってきてぇ! 」
再び姉の声。
何も考えられなかった陽の脳内に、姉の様々な笑顔、様々な泣き顔が、走馬灯のように現れる。
次第に意識が明瞭になり、口を開いた。
「いや、姉さんを僕が護る! 」
力が漲るように、眼が、口が、腹が、拳が、足がエネルギーと化した。同時に身体が大人化していく。
そして鼓動音を響かせるように胸内で、一動。――
この時、陽を見つめる2人は何かを感じたようだ。嵩旡が彼の胸に耳を充ててみた。ドックンと一度だけ微かに、聞こえる。一呼吸ほどした後に、再びドックンと鼓を打った。顔を上げ、傍の女にアイコンタクトで伝える。
自然に涙が溢れ、彼の顔がぼやける耶都希。感激と安堵が、周囲に起ころうとする不安を打ち消した。
先ほどとは違う少年の、顔。肌には色が付き、唇はピンク色が浮かび上がってきていた。
――少年の陽。
上下に走る白線をゆっくりと力強く、両手で握る。瞬間、その光る白線と同スピードで引っ張り上げられた。徐々に温もりを感じ始める肌。そして、白線の向こうに見えてきた虹色の円が、迫ってくる。と思いきや、一瞬にしてその中に包まれた。
先ほどまでの暗黒界にいたため、その中があまりにも眩しく目を閉じる、しかなかった。
しかし、皮膚で感じる。経験したことのない優しく包まれる感覚。不思議な空間。それを直視したいがために、躊躇なくゆったりと目を開けてみる、少年。――
目覚めた。視野には、見慣れない部屋の天井。
(夢!? )
手を動かし、感覚で布団の中にいることを理解する。頭をズラし左に視線を変えると、そこに見たことのある人物が座っていた。
「ね、姉さん、何で、泣いてるの? ここはどこ? 」
涙を両目から垂れ流している、姉さんと呼ばれる女。
目覚めたばかりの彼の声は、小さく、掠れていた。
「陽……」
彼女から横へ視線をズラすと、知らない男が立っている。
「誰? 」
「……この人は、私たちの護衛、阿部阪嵩旡さん」
「あべ、さか……」
ぼんやりとしていた眼が、徐々に鋭さを増す。思い出したように、起き上がろうとする、少年。
「ウッ! 」
全身に鈍い痛みを感じたようだ。さらに固くなっているのだろう。動こうにも、動けていないのが分かる。
「ダメ! まだ動かないで」
少年を制止するために、叫ぶ女。
彼女に従うわけではないが、自らの力で起き上がれないことを理解し、諦めた。少し整理するかのように、大人しく天井だけを見ている。しばらくして、現状を把握するため、質問を投げかけた。
「僕は、NSに、やられたんだね!? 」
「うん」
「誰にやられたの? 」
「分からない」
「そっかぁ……あっ! ごめん」
「何が?」
「姉さんに闇儡したよね、大丈夫だった」
「大丈夫よ。言ったでしょ、私は平気だって」
「そうだね。……ところで、ここはどこ? 病院じゃ、ないみたいだけど」
「そうね、普通の家、というより、民宿かなぁ」
「……東京? 」
「うぅんん、岡山」
「岡山!? ……誰が運んでくれたの? そこの阿部阪さん? 」
「そう。それに、伊武騎グループ、碧くんよ」
「伊武騎……この僕を、助けてくれたんだ」
「そう、色々とね。今度ゆっくり話してあげるわ」
「……僕、どのくらい、寝てたの? 」
一瞬躊躇ったが、正直に答えることにした。
「寝てたんじゃないの。……呼吸も心臓も止まってしまったわ。それも昨日のことよ」
驚く少年だったが、少しずつ理解してきたようだ。
「僕は、命毘師によって、甦った、ってことだね」
「そういうこと」
「命毘師って誰? どこにいるの? 」
「端上レイさんよ。でも、ここにいないの」
「いない!? じゃぁ、どうやって? 」
「遠隔で転命してくれた。進毘師さんと一緒に」
「遠隔……スゴいなぁ〜、そんなことも出来るんだぁ」
「レイさんは初めてだったみたい。でも、ちゃんと成功した。陽が今、ここにいる」
「……誰が、命をくれたの? 」
「あなたのお姉さん。光さんよ」
「ねえ、さん、……光、姉さん! 」
NSに捕まり、危険な状況にいる姉のことを思い出したのだ。再び起き上がろうとする。
「ダメ! 」
肩を押さえようとする、耶都希の手。
「もし助けに行っても、陽……今のあなたじゃダメなの」
眉毛を上げ、目を大きく開け、少年は不思議そうな表情を見せた。
「どういうこと? 」
「……陽、あなたには、もう、力がないの。……普通の人になったのよ」
「ぇ? 」
「転命の掟。……本当は、私の命をあなたに与えようと考えた。そうすれば、陽は力を持ったまま甦ることが出来た。でも……あなたは以前私に言った。『この力を恨んでる』って。……通常者の命を受ければ、奉術師の力は無になるらしいわ。だから、甦ったあなたが、もう苦しまないように、闘わなくてもいいように、普通の男子になれるように、光さんに、お願いしに行ったの。レイさんたちは、今も光さんと一緒よ」
目を瞑り、質問を止めた少年。だが、暫くして再び続ける。
「僕はもう、光姉さんを、護れないんだね!? 」
「違う、違うよ陽。護るとか護れないとかじゃない。お姉さんと仲良く2人で、普通の幸せな生活を送って欲しいの。それでいいじゃない。……だから、だから皆、必死になって光さんを助けに行ったの」
彼女の必死さ、言わんとしていることを、理解したようだ。目を閉じ、口を閉ざした。かつてない、優しく、少年のような表情を見せていた。
人の温かさを、生まれて初めて感じたのではないだろうか。今まで闘ってきた耶都希と、今自分のために闘ってくれている人たちに感謝したい、という想いが含まれているのかもしれない。
「……ありがとう」
彼の素直な感謝のコトバに、嬉しくなる耶都希がいた。その2人に安心する、嵩旡もいる。
まだレイたちに報告していないことを思い出し、耶都希が電話することに。ところが何度かけても通信不能。嵩旡も現場にいるはずの姉に連絡するが、通じない。伊武騎の仲間も同様である。
助けに行った皆に何かあったのではないか、新たな不安が、彼女らを襲った。




