妄想探偵事務所 『八王子大本営』
マスター・キーマンは身長百八十センチあり日本人としては長身である。声をあげて笑うことは少なくはにかんで笑ったものだ。先日彼は、とある遺跡保存団体から、風変わりな依頼を受けて出張した。団体の依頼は市役所が窓口になって、彼が所属する遺跡調査会社に通達された。八月も下旬にさしかったばかりのことだった。
案内することになったのは教育委員会文化財保護課の職員で、風間という若い女性だった。彼女の運転で、市役所所用車コロナのワゴンにキーマン青年を乗せて遺跡走った。
「キーマンさん、どこかで、お会いしたことがあったと思ったら、やっぱりそうでした。私が学生のとき、遺跡発掘実習でお世話になったんですよ」
そういえば、そんなことがあった。風間という名前を久しく忘れていた彼は、記憶をたどった。そうそう、長袖の作業着、真っ黒に日焼けした肌。ただ若いというだけで、なんのインパクトもない女子学生がいた。しかし今は、大人になり、化粧をして、見違えるようになっている。身長百六十センチ、アーモンドのような目、めくれあがった唇、少し尖った耳が特徴的だ。とはいえ、耳に関しては肩まで伸ばした髪に隠れていて気づきにくい。遺跡が山深いところにあるためか、工事用作業着と安全靴を履いていることに関しては違和感を感じた。
「八王子大本営を御存じでしょうか? ここ東京八王子に巨大塹壕が存在します。大戦中、極秘裏に掘削された浅川地下塹壕のことです」
八王子市役所を出立した所用車は、JR中央線と京王線が合流する高尾駅の横をかすめて行くと、高尾山北東の麓に、ぽっかり、と空いた巨大洞窟の入り口にたどりついた。風間女史は懐中電灯をつけてキーマン青年を案内した。
「当初は、戦局悪化時に備えた大本営として構築されたものだが、敗色が濃くなり、東京陥落も予想されたため、長野県松代に同規模の施設、松代大本営を新たに構築したんです」
「跡地は?」
「中島飛行機の地下軍用機製造工場になったのだとか……」
野鳥が鳴いている。洞窟の奥からは雫が落ちる音だけがしていた。二人は中にいった。人に話すとからかわれるのであまり口にしなくなったのだが、彼には霊視能力があった。闇の静寂の中に、岩盤掘削中に亡くなった、動員学徒・朝鮮人労働者らの霊が横切って行くのがみえたのだが無視した。アーチを描いたトンネルはどこまでも奥に続いて行く、側面に、横に抜けるトンネルも存在した。その一つは半ば開いた錆びた鉄製の扉になっている。
「会議室です」
朽ちた机と椅子が置いてある。二人が中に入った途端、おびただしい数のキャンドルへ一斉に灯火がともされた。男女二十名がいて、中央には黒いの司祭服を着た男が立っていた。風間女史が訊いた?
「あなたたちは?」
「つれないですね、風間さん。八王子大本営遺跡保存会の者ですよ」
「いったい、なんでこんなところにいるんです?」
「そうそう、われわれが、調査を依頼した本当の目的をお話ししましょう。ここの、大本営跡地は、風水でいうところの竜穴に相当するところなんですよ。ふつうは皇居といわれますがね。第二次大戦のときに軍部が、人工的にこしらえたというわけです。われわれは、遺跡保存会をしていると同時に、『竜』を現代に復活させるべく活動もしている」
「ま、まさか、あなたたち――」
「噂ぐらいは訊いたことがあるでしょう。宗教法人『竜の記憶』」
司祭が前にでて、市役所職員の腕をつかんだ。一団の背後にはコンクリートでできた寝台があり、さらに後ろには、猿の頭をした二メートル近い大きさの石造が立っている。巨大な斧を持った者まで立っているではないか。
――悪魔教団!
マスター・キーマンの脳裏にその言葉が横切った。
司祭がいった。
「どうやら、あなた方はわれわれの崇高な計画に異議があるようですね」
連中は、若い研究者と市役所女子職員を取り囲んだ。キーマン青年が手刀と足蹴りで払いのけている間に、風間は寝台に仰向けに寝かされ、命がついえるだろうことを予測した。恐怖で身体が強張って動けない。斧が容赦なく振りかざされた。首に落ちる。刹那――。狂信者の一人から奪った鉄パイプで、キーマンが、振りかざされた斧を弾き飛ばした。彼は、剣道五段で、得物を手にすれば、格闘家へと変わる。
得意技の合し打ちが決まる。柳生新陰流の奥義で、野球に例えるならリズム打法だ。左足を前に置き、打ちこむときに、右足を前に出すというシンプルなもの。単純化された技こそ奥義である。ばたばた、と敵を倒し。囲みを突破する。
片手で、女史の手をとり、背後に回らせながら、少しずつ後ずさりして行き、鉄扉からアーチのメイン坑道へと抜け、そこからは手をつないで脱兎のように走り去った。光だ。助かった!
トンネル入り口に停めたカローラのバンがみえる。まぶしい陽の光の下にでた。エンジンキーを回し所用車が発車した。邪教の狂信者たちが後を追ってきたとき、トンネル入口が突然爆発して埋まった。
しばらく車を走らせてから野猿峠で車を停めた。遠くでパトカーのサイレンが訊こえる。二人の鼓動が高鳴っていたのは、突然の出来事と走ったことによるばかりではない。生死をともにした男と女に芽生えた自然な感情だった。二人は強く抱き合い、唇と唇を重ねたのだった。
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私は千葉県木更津に近いとある遺跡のテントでパソコンを打っていた。役場からいわれた書類は退屈だったので、つい書きかけたブログ記事に手をいれてしまった。ふいに、後ろから刺すような視線を感じる。相棒のマスター・キーマンと、彼の助手役につけたアルバイトの女子学生風間が立っているではないか。
「ああ、奄美さん。仕事さぼって、また、ブログ書いてる!」
(み・た・なあ~っ)
了
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ノート20120823




