妄想探偵事務所 『バイオテロ』
例のごとく私とマスター・キーマンは遺跡調査の昼休みにランチに出かけた。その日は、イタリアンのファミリーレストラン・サイゼリアだった。盆明けだったためか、いつものような満席状態ではなく、比較的すぐに座ることができた。玄関に近い禁煙席でドリンクバーに近い席だ。天井をみれば教会風の絵で悪戯っ子のような天使がこちらをのぞきみるような絵がある。
キーマン青年の後の席に還暦過ぎの男と四十前の女性がいた。男は白シャツで背が高いという以外は特に印象がない。四十代婦人向けファッション誌にでてくるような四肢が長くバランスのとれた容姿の女性だ。不倫だろうか? さらに後ろの席にいた男が携帯電話でメールチェックをしていた。首下げ式のプラカードをしていることから、大きな会社または市役所職員風にみえるのだが、不倫男女を撮影するためにしてきた興信所の職員ではなかろうか? そんな風に推定してみた。
ドリンクバーに置かれた大型珈琲メーカーにカップを置く。エスプッレッソ、レギュラー、カフェラテのボタンあり、私はカフェラテを押したのだがミルクが出ない。異常に気づいた女性店員が慌てたように、機械の蓋を開け、「ミルクが切れていますので、少々お待ちください」といった。片手で機械を操作していたのだが、指の動きが謎めいて映った。
――た・い・た・ん。
店員の指の動きは、携帯端末打ちこみに似ていて、そのつづりを示していた。
――暗号? 何のためだ?
私は珈琲の代わりにグラスにコーラを注いで席に戻った。
タイタン。ギリシャ神話にでてくる巨人族の名前か? 私は首をかしげて席に戻った。
「そういえば奄美さん。タイタンといえばカッシーニ宇宙探査機が有名ですよね」
「カッシーニ?」
タイタンは土星最大の衛星でギリシャ神話からとられた。直径五千百五十キロで惑星である衛星よりも大きく、太陽系惑星では木星衛星ガニメデに次ぐ。窒素を主体とした濃い大気と雲に覆われており、気象というものが存在している。
天文学者の名前をとっている欧米の宇宙機構が共同で打ち上げたもので、二〇〇五年一月十四日に小型探査機ホイヘンス・プローブをパラシュートでタイタン地表に着地させた。氷でできた陸地を、液体メタンの皮が流れ、デルタをなした河口から海に注がれていた。地球そっくりの光景に視聴者は驚いたものである。
私はメタンの海があるということはタンパク質の合成は容易ではないか? 私はそんなことを想像した。もし内緒で、探査機が液体メタンを回収したカプセルを小型ロケットで打ち上げ、地球に送り返していたら? それに、未知のバクテリア系生物がいて、テロリストが盗んだとしたら?
推定不倫男女が席を発った。代わりに座った客は五十代くらいの男女三名で、男が二名で女が一名だった。研究開発関係もしくは医療関係の制服を着ている。そういえば、あまり知られていないことだが、遺跡に近い木更津には、大規模な研究開発施設があるということを訊いたことがある。
科学者によるテロといえば、昔、オウム真理教による同時多発テロがあった。一九九五年三月二〇日に起きた「地下鉄サリン事件」では科学者が毒ガス製造スタッフにいた。
――いやな予感がする。
科学者の男女三人はテーブルの下にビニール袋を置き、傘で突いてそれを破ると、脱兎のごとく店の外へ逃げていく。女性店員は工作員の連絡係で、私を仲間だと思い、合言葉の、「た・い・た・ん」で確認をとった。それから本物がやってきて、「計画」を実行するに違いない。
「キーマン君、逃げるぞ」
「?」
「バイオテロだ!」
われわれが外に出ると、サイゼリアから泡が吹き出してきたではないか!
ふしゅるるる……。
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キーマン青年が泡立つコーラで満たされたグラスを食い入るようにみつめる私に、「どうしたんですか?」と訊ねた。私は、今しがた妄想していたバイオテロが登場するサスペンスを話すと、彼は呆れ返った。ほどなく店員が動作が停止していた珈琲メーカーを復旧させ、カフェラテを運んできてくれた。青年の後ろの席に座った科学者たちは、パスタランチを同じ店員に注文していた。
了
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ノート20120821




