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白虎の宝玉  作者: 西都涼
風光の章
116/201

116

 白い髪の神は、器用にそして複雑に、娘の艶やかな黒髪を美しく結い上げていく。

 目を閉じ、微動だにしない翡翠に何やら話し掛け、歩揺の簪を挿し入れて飾り立てる。

 それが出来上がったとき、あちらこちらでうっとりとしたような溜息が洩れた。

 髪を結う道具を片付けた女官が、今度は杯と神酒を運んでくる。

 杯を受け取った翡翠に、もう一人の女官が神酒を注ぎ、そうして白虎がその杯に己の手首を掻き切って血を一滴垂らした。

 そんな話を聞いていなかったのだろう娘は、わずかに驚いたようにかの神を見上げ、そうして促されるままに杯に口をつける。

 鮮やかな紅を刷いた唇に、赤い酒が消えていく。

 その赤が、さらに唇の紅を際立たせていくような錯覚を覚えた客たちは、陶然とその有様に溜息を漏らす。

 想像していた以上に、至福の時間であった。

 この先も、このような不可思議で幽玄夢妙な世界が続くのかと、すでに際立った美貌と知性を誇る娘を妻に迎えようと思う青年たちは、もう一度、満足そうな溜息を吐いた。


 髪結いの儀を終えた娘は一旦下がり、衣を改めてから、儀式を見届けた者たちに感謝を捧げることになっている。

 その多くは舞を披露する。

 噂に聞く新年の大祭の再演だと、客たちは翡翠が母屋から姿を消した直後からそわそわし始めた。

 その中、彼女の従兄弟は、勝手知ったる屋敷を誰に咎められることもなく、本日の主役の控え室へと向かう。

「翡翠!」

 扉の警護についていた笙成明と祝青藍に片手を上げてふたりを労った若者は、案内を請わぬまま、あっさりと中に立ち入り、従妹に声をかけた。

「……熾闇様」

 衣装を改め、振り返った娘は、穏やかに微笑む。

「予告通りに来たぞ。近くで見せてくれ。どうなってるんだ、その髪?」

 無邪気に笑いながら、翡翠の傍まで近付いた熾闇は、興味深そうに彼女の複雑に結い上げられた髪を眺める。

「さて。白虎様にお尋ねくださいませ。わたくしにも意外でございました。白虎様がこれほど見事に女性の髪を結い上げられるとは思いませんでしたもの。さぞかし練習をなさったことでしょうね」

 くすくすと笑いながら、すでに部屋にいた白虎に視線を流す。

 その意味合いにしっかり気付いた白虎は、居心地悪そうに視線を逸らした。

「いや、なんだ……せっかくだから完璧に仕上げようとだな……うん。俺の翡翠の晴れ舞台のため、日夜努力を」

「白虎殿! 『俺の翡翠』と呼ぶな! そう呼んでいいのは俺だけだ」

「お二方、わたくしは、わたくしのものでございますれば、他の方々が誤解なさるような呼び方はご遠慮くださいませ。御覧なさいませ、青藍殿が笑いを堪えておられます」

 呆れたように主役の娘が告げると、扉のところに控えていた娘が口許に手をやったまま頭を垂れる。

「失礼をいたしました。翡翠様、よろしければ音合せをと思いまして……」

 白金の髪の娘が辛うじて笑いを噛み殺し、控えめに言葉をかける。

「おぉ、祝の娘か。母親に似て美人に育ったな。翡翠と並べると好対照の対だな」

 翡翠と青藍を見比べ、楽しそうに白虎が告げる。

「青藍か。翡翠の儀式が滞りなく進んでおること、成明とおぬしのお陰だな。礼を申すぞ。後で藍衛も加えて、正式に労うゆえ、今は堪えてくれ。俺の時も、尽力してくれてありがとう」

「勿体無いお言葉。主将も喜びましょう。警備の方は、暫しの間、季籐様と藍衛様が全指揮を取られる由。わたくしと主将は翡翠様と共に楽を……笙将軍の笛の見事さは言うに及ばずでございますが、まことにわたくしの筝でよろしいのでしょうか?」

 ゆったりとした笑みを浮かべて一礼した青藍は、少しばかり困ったように小首を傾げて問い掛ける。

 戸惑うような微妙な感情がその表情から読み取れる。

「えぇ。何度も合わせましたでしょう? わたくしの琴とあなたの筝はとても相性が良いのです。あなたでなければ嫌だと我侭を言わせていただいて申し訳ないとは思いますが……」

「え!? 翡翠、舞わないのか!?」

 てっきり舞を披露するものだと思っていた熾闇は驚いたように従妹を見やる。

「はい、三の君様。わたくしは、女舞は舞いませぬ。どうしてもとご所望なさるなら、剣舞をお見せいたします」

 にっこりと笑顔で答える娘に、落胆の色を見せた若者は、残念そうに首を横に振る。

「まぁ、よい。翡翠の楽は、舞と同じほどに見事だからな」

「上将、お顔とお言葉が正反対でいらっしゃいます」

 くつくつと笑いながら青藍が指摘する。

「だってなー、本当に見事なんだぞ、翡翠の舞は! 一日中でも見飽きないほどにすごくて綺麗なんだ。それに、滅多にこんな風に髪を結ったりしないし……」

「上将は本当に翡翠様がお好きなのですね。わかりました。いつでもわたくしが翡翠様の髪を結って差し上げますので、舞をご所望なさいませ」

「本当か!? 恩に着るぞ、青藍!」

 ぱっと嬉しそうに表情を変えた熾闇は、白金の髪の娘に素直に礼を言う。

「まぁ、ひどいですわ、青藍殿。わかりました。わたくしもあなたの髪を結って差し上げましょう。従兄殿からご所望あらば、一緒に舞っていただきますわ」

 拗ねたように唇を尖らせ、子供のように脅迫する翡翠に青藍は声を上げて笑い出す。

「両成敗ですね。下手な舞い手で申し訳ございませんが、お供させていただきましょう」

「対の美姫の舞なら、見応えがあるな。そのときは俺も混ぜてもらおうか」

 嬉しそうに白虎が告げ、王子へと視線を向ける。

 件の第三王子は、茫然と従妹に見蕩れていた。

「どうした、坊主?」

「熾闇様?」

 不思議そうな白虎の問いかけに、翡翠も怪訝そうに声をかける。

「うぇっ!? な、何だ?」

 我に返り、ぎょっとした若者は、何度も瞬きを繰り返し、従妹と人型の神獣を見比べる。

「どうかなさいましたか? お加減が?」

「いや? ぼうっとしていたか、俺?」

「えぇ。お熱でもあるのかと思いました」

「いや、ないない! ちょっと考え事をしていただけだ」

 慌てて首を横に振った若者は、席に戻ると告げて、その場を立ち去ろうとする。

「……あ。あのな、翡翠」

 戸口で立ち止まり、肩越しに振り返った第三王子は、迷子のような表情で従妹を見つめる。

「何でございましょうや?」

「成人の祝い、何が欲しい? 俺が用意できるものはないか?」

 少しばかり照れ臭そうな表情で問い掛けた若者は、大切な従妹の答えを待つ。

「わたくしにくださるのですか?」

「気持ちだけで充分、なんて言うなよ?」

 驚いたように目を瞠る娘に、先に回って釘を差す。

「それは……困りました。何がよろしいでしょうね。お時間をいただけますでしょうか?」

「うん」

「熾闇様は、欲しいものがございますか?」

 逆に問い掛けられ、闇色の瞳の王子は視線を彷徨わせる。

 目に留まったのは、艶やかな黒髪。

 長かった髪は切り揃えられ、綺麗に結い上げられている。

「……おまえの髪……」

 ぽつりと呟いた若者は、はっと我に返る。

 頬に朱が走ったのは、誰の目にも明らかであった。

「あ、じゃあ、また後でな!」

 狼狽えたように告げた王子は、慌ててその場を立ち去る。

「……今の、どういう意味でしょうか?」

 熾闇を見送った翡翠が、怪訝そうに呟く。

「う~ん……本気だと思うか?」

 腕を組んだ白虎が白金の髪の娘に問い掛ける。

「本気だと思いますが、意味は残念ながら理解していらっしゃらないと存じ上げます」

 完全に第三者の立場から、冷静に事態を見守っていた娘は至高の存在にそう答える。

「道は遠く険しそうだなぁ、あのガキには……」

「いえ。扉の前に立っていらっしゃるのですが、鍵が見つからず、扉が開けられないだけかと……」

「……青藍、おまえ、よく見ているな」

 祝家の庶子の言葉に、神獣は感心したように唸る。

「申し訳ございませんが、お二方、わたくしにわかるようにお話していただけませんか?」

 困ったような表情でふたりをみつめる翡翠に、青藍は小さく笑う。

「翡翠様の方が道が険しそうですね」

「そのようだな」

「ですからっ!!」

「失礼します、軍師殿。どうかなさいましたか?」

 笙成明が気がかりそうな表情で部屋へと入ってくる。

 慌てて飛び出していった熾闇と、部屋の中で揉めているような声に心配したらしい。

「成明殿……」

 己の思わぬ失態に気付いた娘の頬に朱が走る。

「何事もございません。ご心配をおかけしたようですね」

 狼狽えながらも取り繕う翡翠の様子に、何を感じたのか、白虎と青藍が顔を見合わせ、奇妙な表情を浮かべたのであった。

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