第36話 ただいま、私の温かい場所へ
決戦の狼煙から丸一日が過ぎた。
城に残された私たちは、一睡もせずに、ただひたすらに待ち続けた。
厨房の大鍋からは絶えず温かいスープの湯気が立ち上り、パンを焼く窯の火も一度も落とされることはない。祈りとパンの焼ける匂いだけが、私たちの不安な心をかろうじて繋ぎとめていた。
そして時は来た。
見張り台の鐘が勝利を告げる。
高く喜びに満ちた音色で城中に鳴り響いたのだ。
「帰還だ! 公爵様が騎士団がお戻りになったぞ!」
その声に城にいた誰もが一斉に城門へと駆け出す。
私もエプロンをつけたまま夢中で中庭へと飛び出した。
やがて重い城門がギギギと音を立てて開かれる。
朝日を背にゆっくりと姿を現したのは、雪と乾いた血の痕をその身に刻んだ英雄たちの姿だった。
誰もが疲労困憊の様子で、中には仲間の肩を借りてやっと歩いている者もいる。
けれど皆、誇りと故郷へ帰ってきた安堵に満ち溢れていた。
先頭に立つのは、漆黒の鎧を纏ったヴィンセント様。そしてまるで忠実な番犬のように銀色の巨体フェンリルが歩いている。
「「「おおおおおぉぉぉぉっ!!!」」」
出迎えた人々から地鳴りのような大歓声が上がる。口々に主君と騎士たちの武勇を称え、その無事を喜ぶ声が城中に響き渡った。
ヴィンセント様は、馬上からその光景を静かに見渡すと馬から降り兜を外した。
汗と泥に汚れたその顔は、私が今まで見たどの顔よりも、凛々しく美しかった。彼の深い青の瞳が人込みの中からまっすぐに私を探し当てる。
視線が合った。
その瞬間、周りの歓声がすうっと遠のいていく。
私はもう何も考えられず、ただ、彼に向かって駆け出していた。彼もまた、私に向かってゆっくりと歩み寄ってくる。
人々の輪の中心で私たちは向かい合った。
「……おかえりなさい、ヴィンセント様」
私の声は涙で震えていた。
「……ただいま、エリアーナ」
彼の声は、ひどく掠れて優しかった。汚れているのも構わず、その力強い腕で私の体をぎゅっと壊れそうなほど強く抱きしめたのだ。
鉄と汗、血の匂い。
それが彼が生きて帰ってきてくれた何よりの証だった。
私も彼の硬い背中に必死で腕を回す。
「ご無事でよかった……本当に……」
「ああ。……腹が減った」
私の耳元で彼が掠れた声で囁いた。
「お前の作った温かいスープが飲みたい」
そのあまりにも彼らしい言葉に、私は泣きながら笑ってしまった。
「はいっ。世界一美味しいスープを用意してありますから」
もう言葉はいらなかった。
お互いの温もりを確かめ合うように、私たちは、しばらくの間、そうして固く抱き合っていた。
こうしてアシュフォード公爵領を襲った、短くも激しい戦いは終わりを告げた。
私の愛する人が、私の待つ温かい食卓へと帰ってきてくれたのだ。




