お菓子の魔法
「な、何? 今の魔力……」
反射的にマノンが額に紋章を浮かべて、壁の向こうの魔力の発生源を警戒する。
腰に提げた剣の柄に手をかけて、未だに肌がしびれそうな程の圧を放つ方向へ足を進めようとして──すぐに異常事態に気が付いた。
「なにこれ!?」
マノンの足下に水が絡みついていた。マノンが足を上げると、その動きに合わせて水もうねり、トロリと粘性を保ちながら落ちていく。
むんむんと咽るような甘い香りが、地底湖に充満していた。
「うわっ」
異変は水だけではない。
マエリスが腰掛ける岩。それがマエリスの体重に耐えられず崩れ、マエリスも水の中に落ちた。
べチャリとゆっくり沈む体。沈み切る前にマノンが拾い上げたが、その様子からマエリスは正体を推測した。
「これ、もしかして水飴?」
「え? こんな飴があるの?」
「飴が固まる前はこんな感じのはず。それに岩は、クッキーかな」
「『菓子の魔女』の能力よ」
今までマノン達の前では黙っていたアケボシが、慌てたように口を開く。三人の視線が一斉に集中した。
「確か、自分の周囲をお菓子に変える能力があったはず。消去不可のデバフで、時間経過でデバフがさらに悪化するし別の状態異常も呼ぶのよ」
「あ、テンションの高いシルフだ」
「神託を受けた本気のアムレート様ですね。それだけの異常事態ということでしょうか」
「じゃあ、この魔力の発生源はトルテってことかな?」
マエリスは発生源の方へ視線を向ける。
「となると、異常の原因も向こうにあるってことでいいのかな。あの壁を壊して向こうに行ってみる?」
「待って。『菓子の魔女』に挑むならソロ、やってもデュオが必須よ。大人数で挑むと状態異常が連鎖して手に負えなくなるわ」
「なら、二手に分かれよう。街に影響が出ないとも限らないし……アケボシ。聖女と聖騎士、どっちが相性がいい?」
「はあ? その前に戦略的撤退っていう選択肢もあるでしょうが。私、モブがいくら死──マノン様さえ無事ならそれでいいんだけど」
(その考えは同感なんだけどさ……)
すんでのところで言い換えたアケボシに、マエリスは内心苦笑する。そして持論でもって反撃した。
「悪いけど、ボクは後のマノンがどう思うかまで考慮してるんだよ。これでフィエットに何かあったら? 街が滅茶苦茶になったら? マノンは後悔するんじゃない?」
「うぐぐ……」
さっきアケボシが語ったばかりだ、対策装備なしで魔女に挑む無謀さを。故にアケボシは歯軋りする程に嫌がっているわけだが。
「それで? 聖騎士と聖女。どっち?」
「……聖騎士よ。火力と抵抗力を両立できるのは聖騎士だもの。だけど、いくら鍛えたマノン様でも本編開始前じゃ絶対に無理よ? 対策装備だってないのに」
最終的に、アケボシが折れて予想を語る。
「勝利条件は別に、討伐じゃない。それならなんとかならないかな?」
「……一定時間生存、なら、いけるかも。空気がお菓子になってないなら、向こうもそこまで本気ではないと思うし」
「え、空気がお菓子になるの?」
「そうなったら現状負け不可避だから。あまり追い詰めすぎないようにしないといけないわ」
「それなら──うん?」
ふと、マエリスは視線を感じて顔を上げる。ユリとマノンがアケボシとの会話を見ていた。
「どうしたの、マノン?」
「お姉ちゃん、シルフと大分仲良くなったんだね。私は嬉しいよ」
「アムレート様も、何だかんだ言いながら慈悲深いようで。仕えるものとして感無量です」
「そ、そんなんじゃないわよ! 誰がこいつなんかと!?」
顔を赤くしたアケボシはマエリスから距離を取る。素早く動きたかったのだろうが、水飴に足を取られて転びそうになったのをユリに支えられていた。
「ほらユリ! 行くわよ! マエリス、マノン様の足引っ張るんじゃないわよ!」
そんな捨て台詞のような言葉を吐いて、アケボシはユリを連れて来た道を戻っていく。
「──じゃ、ボクらはこっちの対応だね」
「お姉ちゃんはここで待ってていいよ? さっきシルフも人数が少ない方がいいって言ってたし」
「それなんだけどさ。マノン、ボクの腕を水飴に入れてみてくれない?」
「もしかして、お父様みたいに上手くいったり?」
言われるまま、マノンはマエリスを抱えてしゃがむ。そしてマエリスの手を取り水飴に浸した。
直後、マエリスの手の周囲は粘性を失い、ただの水に戻った。
(やっぱり! エレノアの空間でボクの腕が再現されていなかったから、魔女の魔法も弾けると思ってたよ)
「マノン。あの時みたいにボクはマノンの盾になる。片腕をそれに使うだけの価値があると思うなら、ボクも連れて行ってほしい」
「お姉ちゃん……うん、分かった。お姉ちゃんの頭と腕を私に貸して」
そう言いながらマノンはマエリスを肩に乗せ、空いた手で目隠しを取り出し身に付けた。
「いいの? 明るさは今の方がいいって言ってなかった?」
「うん。何があるか分からないからね」
マエリスを再度腕に抱えると、反対の手に剣を構えるマノン。
そしてクッキーとなった地面を踏み砕きながら壁を一閃。
木っ端微塵。まるで発破されたかのように吹き飛び砕け散った壁は、大きな穴へと変貌した。
「思ったよりも踏み込めないね。力加減が大事かな──苦手なんだよね」
「あはは……まあ、頑張ろう」
若干締まらない空気。それを置き去りにしてマノンは駆け出した。
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