からっぽの部屋
「……ごめんな、皆。心配……かけさせちまってよ。……それと……お見舞い、ありがとな。」
時刻はレクスが目覚めてから、一刻弱後。
既に夕陽も大分傾き、もうすぐ夜の帷が降りてくるであろう時間帯になっていた。
病室をあとにしようとするカルティアたちに向け、レクスは頭を掻きながら言葉を零す。
レクスは胡座をかいて、ベッドに座っていた。
何処か頬を染めて気恥ずかしそうなレクスに、カルティアたちは可笑しそうに微笑んだ。
「レクスさんが無事で、本当に良かったですわ。このくらいは婚約者として、当然のことですわね。」
「…レクスを助けられて、よかった。…うちも、もっと頑張る。…旦那さまの為なら、どうってことない。」
「一先ずレクスくんが無事でよかったよ。おかーさんも心配してたんだよ? 何かあれば言ってね。わたしたちは、レクスくんの婚約者なんだから。また、明日も来るからね。」
「ビッ!」
「レクス様が無事で、ほっとしたです。間に合ってよかったです。あちしに心配かけさせた分、ちゃんと見返りは貰うです。覚悟するです。あちしはこのあと、マリエナかいちょーとアーミア様のところへ報告に行ってくるです。」
優しい微笑みでレクスを囲う四人にレクスは照れくさそうに笑いを返した。
四人全員の口調から、レクスを本当に心配しているような視線をひしひしと感じていた。
それはレクスにとって申し訳なさを感じるものでもありながら、とても嬉しいものであった。
(……本当、偉い顔なんてできねぇよな。皆にはよ。)
そう思いながら、申し訳なさそうにしていたレクスの口元が微かにほころぶ。
結局、レクスも寂しがりなのだ。
帰省した時に言われた父の言葉をレクスは否定出来なかった。
四人のいる場所が、レクスの帰る場所だと。
そう思うと、胸の中がじんわりと温かくなっていく。
「ああ。今日はありがとうな。……身体に異常はねぇし、多分、明日には退院出来るんじゃねぇかとは思う。」
「そうは言っても、無理は禁物ですわ。お大事にして欲しいですわね。」
「…レクスは、無理する。…暫く、依頼受けることは禁止。…おばあちゃんにも、頼んどく。」
「レクスくん? しっかり身体を休めることだよ? 無理な事はやっちゃ駄目だからね。わたしとの約束だよ?」
「あちしたちが何もわかってないと思わないことです。レクス様の考えはお見通し、です。」
「……ああ。わかってるっての。……しねぇよ。約束する。」
四人全員一致したレクスの評価に、レクスは眦を下げて苦笑を零した。
レクスは、図星を当てられていた。
どうやら、自分の性格をしっかり把握されているらしい。
これも「愛」の為せることなのか、はたまた自分がわかりやすいだけか。
いずれにせよ、とことん心配されている事は嬉しい事に変わりはない。
(……敵う気、しねぇな。)
皆に敵わない事を悟りつつ、レクスは口元を僅かに上げていた。
そんなレクスを見てか、ニマニマした笑みを浮かべるキューがパタパタと翅を動かし、レクスの側に寄る。
「いやー、やっぱレッくんって女の子たちに弱いよね。惚れた弱みって奴?」
「……うっせぇよ、キュー。」
「あー! レッくん照れてる! よーし、今日は夜遅くまで恋バナしよー! レッくんが皆のどんなところを好きになったのか、しっかり話してもらおーか。やっぱり、おっぱいがおっきい娘が……。」
レクスを軽く誂うように、キューがにししと悪戯っぽく笑う。
そんなキューの後ろに近寄る人影に、キューは気が付いていないようだった。
その人物は、目をギラリと輝かせ、音もなくキューの後ろまで歩み寄っていた。
「お、おい、キュー?」
「何かなレッくん? そんな恥ずかしがらなくても、ぼくはドン引きしたりしないからさー。さあ……。」
何の気配も感じ取っていなかったらしいキューがレクスの眼前に寄った瞬間だった。
くるくる、と。
キューの胴体に、輝く細い糸が巻かれた。
急に巻かれた糸の感触に、キューは目を点にした。
「……あれ? なにこれ。」
「……キューさんはこっち、です。レクス様にはしっかりと休んでもらうです。それにキューさんは麗しい女性です。間違いが起こらないように、寝るときは別です。」
「あ……あー、ちょっとー!?」
レインに糸を引かれ、キューはずるずるとレクスから引き離されていった。
戸惑ったように、キューは翅をバタバタとはためかせた。
「え!? ぼく、レッくんから離れられないんじゃなかったのー!?」
「……契約者が認識している場合であれば、何処まででも離れられますわよ。まあ、レクスさんがお呼びになればすぐに召喚される筈ですわね。」
キューの声に、カルティアが淡々と返す。
反対するものはいなかった。
どうやらキューを預かるという話で、カルティアたちは話を進めていたらしい。
キューは何も知らなかったようで、レインとレクスの顔を戸惑ったようにきょろきょろと見比べていた。
「え、嘘!? そんなー!? ぼく、レッくんと恋バナしたかったのにー!?」
「大丈夫です。キューさんはあちしが責任を持って預かるです。……ふふふ。キューさんに似合う可愛いお洋服を作ってあげるです。可愛い鞄や髪飾りも良いかもしれないです……。腕がなるです。帰ったら早速採寸のお時間です。」
妖しい視線にキューの身体がぶるりと震える。
「ちょ、ちょっとレッくん!? レインちゃんの目、おかしくないかな!? 明らかに普通の目じゃないよ!?」
キューを見るレインの眼は、何故か妖艶な肉食獣のような輝きを放っていたように、レクスには見えた。
「大丈夫です。キューさんに酷い事はしないです。……ちょっとお洋服の為に、服は脱いでもらうですけど……。」
レインの言葉に、キューの身体がびくん、と震えた。
慌てたようにレクスへと視線を飛ばし、翅を羽ばたかせて藻掻く。
「ぎゃー!? レッくん助けてー! 犯されるー!?」
「失敬な、です。そんな事はしないです。……可愛いフリフリのお洋服、きっとキューさんに似合うです。そのためにはいろんなところを隅々まで見て、測らないといけないです。」
「ま、まぁレインは酷いことはしねぇはずだし……すまねぇ、キュー。」
レクスはおもむろに頭を下げた。
「レッくーん!? 諦らめんの早くない!?」
羽ばたいて藻掻くキューだが、糸に引かれて為すすべなくレインの元に引きづられていった。
心配させた負い目もあり、カルティアたちにレクスは逆らえないのだ。
だがレインも分別は弁えている筈であり、特に問題はないだろう、と。
そう思ったのも、確かだった。
それと同時に、カルティアたちはがらりと引き戸を開く。
レクスに笑顔を向けながら、四人と一匹は手を振って病室を出る。
「それではレクスさん。失礼致しますわね。また明日、ですわ。」
「…じゃあね、レクス。…明日も来る。」
「またね、レクスくん。わたしもまた来るから、待っててね。」
「ビッ!」
「失礼するです。お大事に、です。レクス様。」
「……レッくんのはくじょうものー!」
未練たらたらにキューの叫びが聴こえたかと思った途端、ピシャリと引き戸が閉じた。
四人と一匹、そしてキューが去った部屋は、先程の姦しやかな騒ぎ声とは打って変わって静寂が流れる。
備えつけの魔導時計すらないので、針の音すら聞こえてこなかった。
全員をベッドの上に座って見送ったレクスは、ふぅと照れくさいような気持ちを抱えながら溜息を吐いた。
魔導灯の明かりが、室内を柔らかに照らす。
乾いた木材で出来ている床を歩く、誰かの足音がはっきりと聞こえる程だった。
枕元にあったミノスの魔導時計をぱかりと開くと、もうじき夜になる時間帯の一刻になっている。
レクスは倒れ込むように、身体をベッドに横たえた。
頭の後ろに手を回し、ゴロンと仰向けになると白く塗られた天井を仰ぎ見た。
枕に頭と腕がじんわりと沈みこみ、レクスの体重を受け止めた。
ふぅ、と息を吐いて、思考に身を委ねる。
『…突然「気が狂った」らしい。』
(……気が狂ったって……ノアって奴の仕業か? リュウジがなんかしたのかもしんねぇけど、流石にあのクオンを傷つけやがることが出来るのか……? 今は原因を考えても仕方ねぇ。どのみち、どうにか会いに行くしかねぇ……か。)
アオイの言葉を思い出しながら、レクスはクオンに対し、どうやって会いに行こうかと考える他なかった。
面会謝絶とはいえ、同じ病室内だ。
別の場所にいるのではない。
そうであれば、行ける時に僅か様子を見る事が出来る筈だと。
レクスはそう思いながら、頭から手を離すとポケットに手を入れて弄る。
一枚の紙切れを取り出すと、じっと眺めた。
紙切れには、病室の番号が書かれている。
アオイに教えて貰った、クオンの病室の番号だ。
(……少し、覗いてみっか。……ま、その前に。)
レクスが腕を下ろすと、タイミングを見計らってかのようにレクスの腹の虫が鳴いた。
レクスはダンジョンに入ってからというもの、まともな食事を取っていない。
ダンジョンで喪った栄養を寄越せ、と身体が訴えていた。
病院の食事といえど、まともなものにありつけることに身体が喜んでいた。
(まずは、腹ごしらえか。)
食欲に忠実な自身の身体に苦笑しつつ、レクスは食事が運ばれてくるのを心待ちにしていた。
ちらりと、カーテンを摘んで窓を覗いた。
陽の沈みゆく中で、数多の星が我先にと輝き始めていた。
◆
その日の夜。
暗闇に染まった廊下の中を、音もなく歩く影があった。
廊下は木で出来ており、足を踏み込めばぎぃぎぃと音が立ってしまうであろう廊下を、その人物はゆっくりと足を擦るように進んでいく。
頭を左右に動かしながら、周囲に誰もいないことを確認しつつ廊下に足を置いていく。
スリッパなどは履いていない。
ひんやりとした滑らかな感触を足裏に感じながら、深紅の瞳を動かして、目的の部屋を探っていた。
ただただ足を動かしながら、静かに病院の部屋の番号を確認しつつ、先へ先へと進んでいく姿は、大和の「シノビ」のようにすら思えた。
歩いているのは、レクスだ。
今、病院は消灯時間であり、廊下に出歩くというのは院内規則を破っているのに等しかった。
それでも出歩いているのは、クオンの様子が知りたかったという想いに歯止めが掛からなかったからだ。
(……クオンの部屋は……ここか?)
暫く歩くと、レクスは記憶していた部屋番号と合致した部屋に辿り着いた。
特に面会禁止などと書かれた貼り紙や、出入りを制限するものもない。
おそらく、面会謝絶というのは「面会が出来る状態ではない」と医者が判断しただけなのだろう、と。
レクスはそう、判断した。
(……ここに、クオンがいるのか……。……あれ? なんでだ?)
扉に近づいたレクスだが、扉の手前であることに気が付いた。
それは、引き戸が少しだけ空いている、ということ。
他の部屋は閉まっているのに、クオンのいる筈の部屋だけ、戸が開いていた。
不思議に思いながらも、レクスは戸の隙間から紅い瞳を覗かせた。
(……!? どうなってんだ!?)
レクスは目を大きく開け、引き戸に手をかけた。
音を立てないようにゆっくりと引き戸を開く。
部屋の中を、月光が照らしていた。
カーテンは明け放たれ、満天の星空が窓から見える。
しかし、ベッドの上に人影はない。
シワシワに丸められたシーツが、ベッドの上にぽつんと置かれているだけだ。
その部屋の中をレクスが幾ら見渡しても。
クオンの姿は、何処にもなかった。
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