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晴天のプレリュード〜幼馴染を勇者に奪われたので、追いかけて学園と傭兵ギルドに入ったら何故かハーレムを作ってしまいました〜   作者: 妖刃ー不知火
第伍章 迷宮の弓命・まもりぬくもの編

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砕け散った翡翠

 ぱちん、と。


 リュウジが指を弾いた瞬間。


 クオンの頭の中で、ある変化が起こっていた。


(……あ、れ?)


 ガラスの玉が粉々に砕けたような感覚が、雷光のようにクオンの脳裏を駆け巡った。


 目の前には、昏い笑みを浮かべたリュウジの姿が翡翠の瞳に映る。


「……ひっ……!?」


 クオンの口から、小さな悲鳴が漏れる。


 身体が、リュウジから離れてベッドの頭にまで退いた。


 白いベッドシーツが大きく波打つ。


 顔を引き攣らせ、恐怖に身体が竦む。


 縋り付くように、シーツを握り締めた。


 感じていたのは、目の前で昏く笑うリュウジへの恐怖だった。


(……ゆ、勇者様……? な、なん、で……?)


 クオンの中で眩く光っていたリュウジへの好意が、一瞬のうちに水泡の如く消え去ってしまったのだ。


 同時にクオンが記憶していたリュウジの笑顔が、全て変化してしまっていた。


 貼り付けたような笑顔ですらない。


 下心が顕になった厭らしい笑みや、蔑んだように見下すような表情。


 クオンが見たと思い込んでいた心からの笑顔なんて、本当に何処にも存在しなかった。


 まるでフィルターが剥がれ落ちるかのように、その表情は全てが変わっていった。


 それは、スキル鑑定の時。


 初めて勇者の顔を見た瞬間の心持ちに戻ってしまっていた。


 最初に持った印象は、「ただ不気味で怖い」という不信感。


 その感情で、止まってしまっていた。


 目の前にいる「勇者」は、一体何なのかと。


 好意も無ければ、不信感や恐怖が頭を占めていた。


 ただただ不気味に佇む勇者を、その翡翠が映し込んでいた。


『勇者様!私はクオンっていうのです!勇者様の力になって勇者様と一緒にいたいのです!わたしができることだったら何でもするのです!…駄目、なのですか…?』


『リュウジ様…カッコいいのです…』


『はいリュウジ様。あーんです。』


『リュウジ様が褒めてくれると思って、頑張ったのです。わたしの弓で、リュウジ様を守るのです。』


 リュウジに向けて語った言葉の数々が、クオンの頭に次から次へと反響する。


『りゅ……リュウジ、様。もし……ダンジョンでわたしが活躍出来たら……その時は……キス、してほしい……のです……。』


 自身が言った筈の好意的な台詞に、怖気だって鳥肌が湧き上がった。


 明らかにリュウジへ好意を持っていたはずなのに、その片鱗は何処にもない。


 好きになったのであれば、何らかの感情がその心に残っている筈なのだ。


 それが、何も残っていない。


(「リュウジ様」?……わたし、は……なんでそんなことを言ったのです? ……嘘。嘘。嘘。嘘。嘘。嘘。嘘。嘘。嘘。嘘。嘘。嘘なの……です……!)


 頭の中で暴走する、好意を示す台詞の数々。


 クオンにとって、自らが言ったはずの言葉が信じられなかった。


 きっかけの笑顔すら張りぼての虚像だったものから、元々なかった好意へと変えられたようにすら思えてしまった。


 まるで、自身の身体を借りた他人がその口で喋った、と言われた方がまだクオンにとっては納得出来るだろう。


 そして、クオンの脳裏に再び言葉が反響しだす。


『……リュウジ様、気持ちいいのです?』


『ああ。気持ちいいよ、クオン。もっと激しくしてほしいかな。』


 自身の縋り、目一杯媚びるような声と共に頭の中のスクリーンに映し出された、その淫靡な行為。


「……う゛ぇっ……!」


 胃の中が逆流しそうになり、咄嗟にクオンは口元を左手で押さえた。


 得体の知れない寒気ち気持ち悪さが腹部を伝い、むかむかとした不快感が全身を駆ける。


 リュウジに行なった「ご奉仕」。


 それを嬉々として行う自身の姿と声が、信じられなかった。


 裸体を晒し、リュウジを悦ばせる行為の数々。


 媚びへつらいながら、目の前に立つ男の肉体に縋るように自身の肌や口を這わせ、リュウジの手によってその裸体を幾度も幾度も穢された。


 最後の一線は越えていない。


 クオン自身の《《勇気が出なかったからだ》》。


 だが、それでも自らが望むように穢されたのは事実として頭が覚えている。


 それは自らが嬉々として行なった行為だというのに、その行為を行なった自分自身が信じられなかった。


 どうしてそんなことを進んで行なったのかどうかすらも、今のクオンには理解ができなかった。


「あ……。あっ……。あ……!」


 目を見開いて頭を押さえ、クオンはその場に身体を縮こませた。


 足を折り、腕で身体を覆うように。


 訳がわからず、ぼろぼろぼろぼろと涙が零れる。


 身体から迸るどろりとした嫌悪感や不快感がクオンの内臓を暴れ回っているようでさえあった。


 身体ががくがくと震え上がり、冷や汗がつう、と首筋を伝う。


(嘘、なのです……! 嘘なのです! わ、わたしは……そんな……こと……嫌、嫌、嫌ぁ、いやぁ……あ、あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……)


 信じられなかった。


 自身の記憶も、感情も。


 その全てが、クオンに嘘をついている、と。


 そうであって欲しいと思える程に渦巻き、湧き上がる感情の奔流に、クオンはただただ身体を抱え込んだ。


 身を守るように自身を抱くクオンの姿を、リュウジはただせせら笑うように見下ろしていた。


「……君のようなお荷物、僕から願い下げだよ。ね、《《二人とも》》」


 リュウジの声に、おそるおそるクオンは顔を上げた。


 ベッドとリュウジの間には、姉代わりの二人がいる。


 クオンにとって心許せる、リナとカレンの二人。


 二人はクオンと共に今まで過ごしてきた、家族のような少女たち。


 しかしその二人は、クオンに向けて顔を顰めていた。


 二人の瞳は輝きを失ったように、蔑むような視線でクオンを見おろしていた。


「……リュウジの言う通りね。要らないわよ、こんな役立たずの甘ちゃんなんて。」


「……リュウジ様の仰る通りです。誰にでも縋り付くような世間知らずは、リュウジ様に相応しくありません。……所詮、何もできない無能でしたね。」


 リナとカレン、二人の口からクオンへの罵倒が浴びせられた。


 信じられずに、「え…。」とクオンの口から声が漏れる。


 二人の罵倒に傷つくよりも、先に戸惑いが勝った。


「……リナ、お姉ちゃん? カレン、お姉ちゃん? ふ、二人とも……。」


「……気安く名前を呼ばないで、この裏切り者。リュウジに拾って貰った恩を忘れたっていうの? 最悪。あんたみたいなのと一緒にしないで。」


「え……?」


「リュウジ様と誓った事も忘れて誰かに靡くなんて、不義理ではありませんか。……貴方の兄と同じように、貴女も恥さらしということだったんですね。……とんだ不届き者です。」


「……ち、違……違うの……です……。」


「何が違うのですか? 役立たずの癖に私たちについてきた挙句、自ら危険に飛びこんでいった貴女は、恥さらし以外の何物でもありませんよ。そこまで無知で厚かましかったなんて……その幼稚さとあざとさに、いい加減、わたしも辟易しました。」


「何? 今さら言い訳? ふざけんのもいい加減にしなさいよ、このクズ女。リュウジに言い寄って取り繕ってもらおうって訳? 都合のいいこと考えてんじゃないわよ! だいたい、あんた何も分かってないじゃない。あたしたちにおんぶに抱っこしてもらって……恥ずかしくない訳!? 身の程をわきまえなさいよ!」


「わ、わた……わたし……は……。」


 二人の口からぶち撒けられた罵詈雑言の嵐に、クオンの声が詰まる。


 胸が締め付けられるような責め苦に、何かを言おうとしても言葉が出てこない。


 目元からは、ボロボロと流れるように大粒の涙がこぼれ落ちるだけだった。


 目の前がぐにゃりと歪むような感覚に、クオンは身体を抱え込んだ。


 信じたくなかった。


 クオンの慕う二人が、そんなことを口に出すとは思いもよらなかったからだ。


「うっ……ううっ……うええぇっ……。」


「泣いて責任逃れですか? あなたがリュウジ様を裏切ったことに、何の違いもありはしないではありませんか。許してもらおうなんて、よく思えますね。恥さらしの無能……いいえ、それ以下の屑が。」


「なんで泣いてんの? 泣いたところでどうしようもない役立たずなことには変わりないわよ! いい加減、あんたの子供っぽさにもうんざりしてたの。リュウジを騙そうなんて、ふてぶてしいにも程があるわよ! この、役立たず!」


 詰め寄られるクオンに、逃げ場などなかった。


 ただただ頭を覆い、罵声に耐える様に蹲るだけ。


 がたがたと身体を震わせ、罵倒の嵐をその身に受け続けていた。


 クオンの姿をその目に映すリュウジはふうと溜息を吐いた。


 少しはせいせいしたと言わんばかりに踵を返し、病室の出入り口に向かう。


「……ま、もういいでしょ二人とも。……こんなお荷物に構って居る時間なんて無いじゃん。とっとと帰ろうじゃないか。……あーあ、時間の無駄だったよ。」


「そうね。……早く帰りましょ。役立たずなんて、ほっとけば良いのよ。ここまであたしたちを裏切るなんて、ほんと信じらんない。最っ低。……あんたなんて、どっか消えちゃえばいいのよ。」


「はい、リュウジ様。こんなところ気分が悪いですので、さっさとお暇しましょう。こんな屑の相手をしている時間が勿体ありません。……まさか、こんなことをしでかす程の無能だとは思いませんでした。よく生き残って、恥を晒せたものです。……死ねば、楽になれたでしょうに。」


 リュウジの声に合わせ、二人はリュウジに着いて病室の扉へと向かう。


 クオンはただ蹲り、ぶるぶると震えていた。


 喉に何か大きなものがつっかえた様に、声すらも出ない。


 ぽたり、ぽたりと滴る透明な雫がシーツの染みを拡げていく。


 握った拳には、爪が食い込んでいた。


 どうして自分が罵られなければならないのか。


 どうして自分がダンジョンに取り残されなければならなかったのか。


 どうして、信頼していた姉たちすらも自身から離れて行ったのか。


 堂々巡りするクオンの脳裏に、答えなんてあるわけもなかった。


「あ……あ……。あ……。」


 ただただ口から出てくる言葉は、ただの意味をなさない音だけだった。


 そんなクオンに音もなく近づく影が一つ。


 先程まで何も喋らずに静観していた、ノアだった。


 ノアは口元に薄ら笑いを浮かべながら、クオンへと歩み寄っていく。


 ベッドの側まで歩み寄ると、にんまりと口元を三日月に吊り上げ、クオンを見下ろした。


「……まさか、あそこから出てこれるなんてね。正直、吃驚しちゃったよ。」


 ノアの声に、クオンの体躯がびくりと震えた。


 顔を上げ、クオンはノアに視線を向ける。


 心の内に刻み込まれた恐怖が、クオンの顔を引き攣らせていた。


「の、ノア、さ……。」


「うんうん。ダンジョンから出てこれる生き汚さはわたしも買ってあげるよ。……でも、さ。それ、もういらないよね。」


「な……何が……なの……です……?」


「クオンちゃんが持ってるそれ、だよ。せっかくだから、わたしが貰ってあげるね。」


「え……な、何、を……。」


「……えい。」


 ぺたり、と。


 冷たいノアの掌が、クオンの額に触れた。


 直後。


 クオンの身体から、何か、が抜かれたような。


 そんな空虚さが伝わる感覚を、クオンは感じ取った。


 何か、とてつもなく大事だったもの。


 それを、「奪われた」。


 そんな気すらしていた。


 ノアの掌が離れる。


 満足そうに、微笑みを浮かべていた。


「わ、わたしに……なに……したのです……?」


「え? 何って……クオンちゃんの「スキル」、もう使わないでしょ? だから、わたしが貰ってあげたよ。」


「……え? そ、そん、な……!?」


 クオンの顔が、真っ青に染まる。


「スキル」を奪われた。


 そんな事はあるはずがないと思うのに、ノアの顔は嘘など言っていないように思えた。


 そんな、圧があった。


 ノアは勝ち誇ったように、クオンに意地汚い笑みで見下ろす。


「……クオンちゃんのスキル、「弓聖」だっけ? 大丈夫、わたしが上手く使ってあげる。感謝してよ。右手も右眼もないのに、使える訳無いからさ。貰ってあげる。大事に使うね?」


「か、返すのです! それが、なかったら……。」


「いいじゃん、無くても。おにいちゃんとお揃いでさ。……スキルのない無能同士、お似合いだと思うけど。」


 くるり、と。


 がくりと顔を俯かせて伏せるクオンを尻目に、ノアは病室の出入り口へと歩き出す。


 靴の擦れる音を病室に響かせながら、ノアは遠ざかっていく。


「……かえ、して……。くだ……さい、なの……です……。」


 嗚咽の混じった声で、クオンは静かに呟いた。


 ノアの足が、ピタリと止まる。


 くるり、と顔だけをクオンに向けた。


 その顔は、とても嬉しそうに微笑んでいた。


「……返す訳ないじゃん。その役立たずで無様な姿、とっても似合ってるよ。だから、せいぜいたっぷり苦しんでね。……あ、死んだ方がマシだったかもね。……じゃーね、クオンちゃん。早く怪我、治ると良いね。」


 手を振りながら、ノアは再び向き直ると、病室を去っていく。


 バタン、と閉まる引き戸の音。


 部屋に取り残されたのは、惨めにシーツの上で蹲るクオンだけだった。


「あ……あああ………ああああ………。」


 嗚咽を只管漏らすクオンに、伝説のスキルを持って勇者と共に旅立った少女の面影は何処にもない。


 ただ一人。


 何も持たない非力な少女が、そこにいるだけだった。


「あ、あ、あああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 大粒の涙が、とめどなく溢れ出る。


 胸が痛むほどの悲痛な叫び声が、部屋を埋め尽くす。


 その慟哭は、奇しくもあのスキル鑑定の時。


 レクスが上げた慟哭と、同じように。


 自分一人だけ取り残された病室の中を、虚しく響きわたった。

お読みいただき、ありがとうございます。

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