反響の狂笑
「ぎひひひひひっ、くひっ、くひっ、かははははっ。」
気が触れたとさえ思えるような、不気味な嗤い声を上げてリュウジは三ツ首の番犬と対峙する。
”グルルルルルルルル”
唸り声を上げて威嚇するミツ首の番犬にも、リュウジは怯えた様子を見せない。
それどころか、瞳の焦点が一切合っていないのだ。
ぐりんぐりんと、リュウジは首を不規則に回した。
恐怖を忘れたようなリュウジの雰囲気に、その場にいた全員が息を呑んだ。
両者とも、睨み合って動かない。
静止した時間が動き出したのは、僅か一瞬の後だった。
”ガルゥアアアア!”
先に動いたのは、三ツ首の番犬だった。
前肢を大きく振り上げた番犬に対し、リュウジはその場から全く動かない。
”ガウアァ”
前肢がリュウジ目掛けて振り下ろされる。
「リュウジ! 逃げて! 」
切実なリナの声にも、リュウジは一切反応を示さなかった。
”ドォン”、と。
火炎を纏った鉄槌が地面を穿ち、火柱を上げる。
パラパラと細かな大地の破片がカレンたちに降りしきる中。
リュウジは。
「けひゃひゃひゃ? くきゃきゃきゃきゃ。」
身体をくねらせ、グルンと宙返りを決めて飛び退いていた。
気が触れたように、ただただ嗤いながらリュウジは屈み込んだ。
腿をバネのように解放し、跳ぶ。
正面には番犬の三ツ首。
リュウジを噛み砕かんと、大口を開いて牙が迫っていた。
だがリュウジは、薄気味悪く、首の据わらない笑みを浮かべたままだ。
「くけけけけけけっ。」
嗤いながら、空中で身を返して剣を振るう。
空中で剣を振るった場合、力の入れようがない為、斬れないことが多い。
足場のない空中で剣を振るうなら、相応の技量か斬れ味のどちらかが要る。
神聖剣は、後者だった。
迫る大顎の内、右側の顎が早かった。
神聖剣が叩き込まれた瞬間、緑の血液がびしゃりと撒き散った。
”ギャンッ”
ミツ首の番犬が叫びとともに顔を背ける。
「げひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ。」
リュウジはやはり壊れたような笑みを貼り付けながら、地面に着地する。
足を大きく開き、神聖剣を担いでいた。
明らかに、身体に無理をして着地しているのだが、リュウジは気にすらしていないようであった。
再び振り被られた右の剛腕。
リュウジは不格好に剣を構えたままだ。
番犬の燃え上がる掌が、再びリュウジに迫る。
「あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ! 」
意味のわからない嗤い声を発しながら、リュウジは剣を空に向けて薙ぐ。
”ギィン”と。
爪と刃が触れ合う音が、部屋に響き渡った。
◆
「な、何よアレ……。リュウジは一体どうしちゃったのよ……? 」
リナの口から、戸惑ったような声が漏れる。
目に映る番犬との戦いをしているのがリュウジだということを、リナは信じられなかった。
番犬の攻撃を尋常ではない動きで躱し、不気味に嗤いながら返しの剣で切り裂いている。
戦い方が、あまりにも違いすぎるのだ。
普段のリュウジの戦い方は、大振り気味の剣で前に踏み込んで行くというものだと、リナは覚えている。
だが、その動きとは全く異なっているのだ。
おおよそ、人の動きではない。
見ようによっては、獣が剣を握っているようにすら感じられる。
リナの背中に、ぞくぞくと悪寒が走った。
その間も紅い瞳に映るリュウジは、ひょこひょこと不気味な動きで番犬の掌を躱し続けている。
「あぴゃぴゃぴゃぴゃぴゃぴゃぴゃぴゃぴゃ!」
完全に気が触れている。
リナにはそうとしか思えなかった。
だが、情緒のないリュウジの剣は鋭く魔獣の腕を着実に切り裂いているのだ。
リナにはもう、訳がわからなかった。
「……リナちゃん。急ぎましょう。」
混乱しているリナの後ろから声が届く。
ミルラの落ち着いた声だ。
「ミルラさ……。」
「しっ……。あの魔獣がリュウジに気を取られている隙よ。……あの子たちの元へ行くわよ。」
背後から囁きかけるミルラの声に、リナはこくりと肯く。
「……ミルラさん。リュウジには一体何が起こっているの? 」
「わからないわ。でも、今のうちよ。……走って。」
戸惑いながらも、リナはミルラの言葉に従って、カレンやクオンの固まっている場所へ走る。
魔獣は狂ったリュウジを相手に、燃え盛る炎をまとって猛攻をかけている。
「けへへへへへへへへへへへへへへへへへへぇ! 」
気を違えた嗤い声が、暗く染まった窯壁に反響する。
たただだ不気味に身体をくねらせ、リュウジは猛攻をいなし続けていた。
魔術師や射手の集団には、興味を示していないようだった。
リナが駆けると同時に、ミルラも走り出す。
ちら、と。
呆気に取られた黄金百合の面々の後ろに立つ少女に、ミルラは視線を向けた。
浅黒い少女は、リュウジの活躍をにこにこと笑顔で見つめている。
ミルラは訝しむように眉を寄せるも、すぐに正面に向き直りリナの後を追った。
◆
ドォン、と。
地が穿たれた。
高熱の炎と共に、岩の欠片が散る。
猛犬の掌撃の余波が、リュウジの頬を撫でた。
「ぺひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! 」
けたたましく嗤いながら、リュウジは身体をおおきく歪ませて、掌撃を躱していた。
躱すと同時に剣も振るい、ミツ首の番犬の肌に傷を残していく。
その姿は、やじろべえを揺らすが如く。
奇怪な動きで、猛犬の攻撃に対処していた。
黒く染まった双眸に、光はない。
脊髄反射だけで動いているのかといえるようなその動きは誰もが不気味に思っただろう。
明らかなのは、動きが人間のそれではない。
手はただ力も無く垂れ下がるだけ。
それでいながら身体はぐねぐねと動き、足元も覚束ない。
だが、それでも。
”バァウァ! ”
「あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ! 」
鋭く肉を裂く爪の一撃を、リュウジは紙一重で躱す。
燃え盛る炎になど、一切の恐れを見せていなかった。
「くぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぇーー! 」
リュウジは聖剣を手に持ったまま、焼け付いた黒い大地に手をつけた。
所謂、四つん這いの姿勢だ。
脚で、大地を蹴り上げる。
狗のように、四足で駆け出した。
ばたばたと走り回るリュウジに、猛犬は三ツの双眸で追いかける。
猛犬は身体をくるりと翻し、大地を蹴りつけた。
両手を拡げ、リュウジを喰らわんと飛びかかる。
”バァウァァァァァァァ! ”
「けぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺっっっっっっ! 」
嗤い声と咆哮が重なった。
リュウジは素早く身体を曲げて方向を転換させると、猛犬へ向かいなおる。
蛙のように座り込み、びょん、と。
貯め込んだ脚を解放し、跳び上がった。
不格好に振り上げた神聖剣とミツ首の番犬が交差する。
リュウジが身体を捻じった。
身体の擦れ擦れを、血に染まった爪が撫でる。
頬に触れる熱気も、熱を孕んだ風圧にも動じない。
「けぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱ! 」
脈絡のない言葉で、ただただ嗤い声をあげるだけだ。
一瞬の後。
リュウジは反転したその身で、ミツ首の腹を撫でるように。
神聖剣を閃かせた。
”ギャァァァア!”
痛みに悶えるように番犬が吠える。
腹部から緑の激流がリュウジにかかるように溢れ出た。
緑の血液をあびながら、リュウジは恍惚の笑顔を浮かべていた。
地に着く寸前。
リュウジは四肢を拡げ、獣のように着地する。
据わっていない首をぐりん、と回しながら立ち上がると、番犬へ向き直った。
「けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ! 」
得体の知れない、不気味な嗤い声が空洞を支配する。
そこにいるのはリュウジであって、リュウジでない。
別の”ナニカ”がそこに立っている。
リナたちには、そうとしか思えてならなかった。
ミツ首の番犬はだらだらと緑の血液を流しながら、リュウジへと首を向ける。
先程の斬撃は効いているが、魔核には届いていなかったのか。
屈辱を味わったとでも言わんばかりに、ミツ首が揃って忌々しいように視線をリュウジへと流し込んでいた。
”ガルゥアアアアアアアアアアアアアアアアアア! ”
逆立った毛に炎を灯す。
怒りを顕に、狂犬が吠えた。
びりびりとした振動が、空間全体を大きく揺さぶった。
そんな狂犬と対峙しながら、リュウジは何が可笑しいのか、ひたすらに嗤っている。
両腕をだらんと下げ、口元は三日月のようだ。
だん、と。
燃え盛るミツ首の狂犬が貯めた脚を解放した。
緑の血液を撒き散らしながら、リュウジへと飛びかかる。
リュウジも合わせたように、反射的に腿を沈めた。
剣を大きく振りかぶり、跳躍して迎え撃つような姿勢をとった。
かに、思われた。
その瞬間。
がくり、と。
リュウジが地面に膝を付いた。
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