地獄の番犬
地獄の番犬の咆哮が、リュウジたちの身体をびりびりと揺らすように空洞内を響き渡る。
狂いきった視線は、真っ直ぐリュウジを捉えていた。
ぐん、と三ツ首の番犬の巨軀が沈み込む。
筋肉質で盛り上がった四肢に力を込め、ドン、と地面を蹴り抜いた。
跳び上がる巨軀に、一同は反応が遅れた。
急襲する紅い三ツ首の番犬が、爪を振り上げる。
その三ツ首の視線の先に立っていたのは……リュウジだった。
鋭く尖った爪がリュウジの身体を引き裂こうと振り下ろされた。
迫る巨軀は、リュウジにとって想定外と言わざるを得ない。
目を見開き、リュウジの身体は震えきっていた。
目の前にいるのは、本物なのだ。
リュウジが読み込んできた本や、ゲームとは全く違う。
小説やゲームとは違う、「現実」がリュウジにその牙と爪を剥いていた。
リュウジは恐怖に飲み込まれた瞳を、番犬に向ける。
「……僕は勇者なんだ。僕は勇者なんだ。僕は勇者なんだ。僕は勇者なんだ。僕は勇者なんだ。僕は勇者なんだ……。」
小さく紡がれる声は、己への暗示か。
震える手で神聖剣の切っ先を向けた。
「あああああああああああああああああああああ!」
駆け出した。
「リュウジ!」
「リュウジ様! 」
「リュウジ! 危険よ!」
後ろからの声など、リュウジは聞く余裕などない。
心の中は、恐怖心で埋め尽くされていた。
それでも動けたのは「勇者」のスキルだからなのか。
番犬の腕が振るわれると同時に、リュウジも神聖剣を番犬の腕に向かって振り抜く。
爪と剣がぶつかり合った刹那。
何かを斬った、感触はあった。
しかし、次の瞬間。
「ぐぷふぇっ!!? 」
リュウジの身体は、大きく宙を舞っていた。
全身の骨を砕かれるような衝撃が、リュウジを襲う。
たしかに、リュウジの神聖剣は番犬に届いていた。
だが、浅かったのだ。
タイミングが合っていなかったとも言える。
深く切れていれば、リュウジへと迫る番犬の剛腕を切り抜いていただろう。
しかし、リュウジの神聖剣は番犬の骨までは届いていなかった。
だが、当たるポイントがずれ込んだために、リュウジの身体は爪には当たっていなかった。
故に、リュウジは番犬に弾き飛ばされていたのだ。
修練などもしていない故に、受け身などリュウジはとったことすらない。
「がはあっ………!? 」
リュウジの身体は、”ドゴォ”と大きな音を立てて黒い窯壁に叩き込まれた。
叩き込まれた振動で、パラパラと壁の破片が剥がれ落ちる。
内蔵がシェイクされるような感覚と衝撃をリュウジは全身で味わった。
言うなればそれは、大型ダンプカーにノーブレーキで衝突されたようなものだ。
窯壁から剥がれ落ちたリュウジは、力無く地面に落ちるとそのまま崩れ落ちた。
幸いなことに、リュウジの落ちた先に溶岩は滴り落ちていなかった。
だが、リュウジの食らったダメージは相当なものであった。
「け……くぺ……。……おぇぇ……。」
意味のわからない言葉を呟きながら、血混じりの吐瀉物を吐き出す。
ぴくぴくと身体を痙攣させながら、白目を剥いて泡すら吹いていた。
そんなリュウジに、番犬は再び飛びかかろうと身体を素早く翻す。
身体の力を溜め、一気に後肢を解放したのか。
番犬が、再びリュウジに向かって飛びかかった。
飛びかかる番犬に、今のリュウジはなす術がない。
再び番犬がリュウジに牙を剥く。
牙で噛み砕かれようものならば、リュウジの命など薄氷の如く砕け散ってしまうだろう。
しかし、そんな番犬の前に飛び出す面々がいた。
分厚い黄金の鎧を身に纏う、可憐な女性たち。
「黄金百合」の五人だった。
「リュウジ様! お気を確かに! 」
「リュウジ様! 御守り致します! 」
彼女たちはリュウジに出遅れたものの、金色の盾を構えてリュウジと番犬の間に入り込む。
リュウジを噛み砕かんと剥かれた牙は、黄金の鎧を纏った五人によって阻まれた。
”ガキィ”と番犬の牙を「黄金百合」の四人は盾と鎧で防ぎきったのだ。
元々、黄金百合はタンクが主体となるパーティであり、五人全員が囮となれる。
タンクでありながら、全員が魔術や武術を使い熟し、受けながら攻めるパーティなのだ。
冒険者のランクでは、AとBの間に高い壁が存在している。
それを己の防御しながら突撃する戦法で突破し、Aランクとなったパーティ、「黄金百合」の戦い方であった。
「黄金百合」は番犬の牙を盾で防ぐと、ディアンは剣を番犬に突きこむ。
しかし、防御されたことを察したのか。
番犬は素早く後肢を蹴り出し、後ろに飛び退いた。
ディアンの剣が空を斬る。
「放って!」
響いたのは、ミルラの声。
瞬間、ヒュンヒュンと数多もの矢羽根が風を切り裂き、番犬を射抜かんと上から雨のように矢が降り注ぐ。
「リュウジ様を御守りするのです! 」
「リュウジにおイタは許さないヨー! 」
クオンやマティアを始めとした、リュウジのパーティの射手たち。
彼女らが一斉に番犬目掛けて矢を放っていた。
これはミルラがリュウジがとび出た瞬間に、射手たちに指示を飛ばしていたのだ。
当初は”正妻の座”を目指していた面々でも、命の危機をその身に感じ取れば話は変わる。
生き残るには、唯一のSランク冒険者であるミルラの指示に従わざるを得なかった。
塊となり、集中的に矢の雨を降らせてしまえば大型の魔獣といえどただでは済まないだろう、とミルラは考えていた。
迫る矢の応酬に、番犬も避ける事など出来ない。
ミルラの読み通り、数十もの矢尻が番犬を穿たんと降り注ぐ。
しかし。
”ルォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ! ”
番犬が大声で吠えた。
それは地獄から這い出てきた亡霊が叫ぶが如く、悍ましさを振りまいていた。
ミツ首が震える雄叫びを上げた途端、その身体から炎が噴き上がった。
「……え、嘘……だよネ? 」
マティアの口から、思わず声が漏れ出る。
目の前で起こった光景に、マティアを含めた冒険者たちは己が目を疑った。
番犬の纏う踊り狂う炎の色が、橙色から黄色に変わり、青白く変化したのだ。
雨のように降り注いだ矢は、炎に触れると瞬時に燃え上がり、ボロボロと灰となって崩れ落ちる。
矢は一本も刺さっていない。
全て、一瞬で燃え尽きたのだ。
ポロポロと落ちる矢の残骸に、射手たちは絶句する他なかった。
しかし、番犬が動かずその場にとどまったことで僅かな隙が生まれる。
その間隙でリュウジに近寄る影があった。
「リュージ! だいじょーぶ!? ……じゃ、ないよね。」
ノアが長い髪を振り乱して、リュウジの傍に駆け寄っていた。
リュウジに近寄ったノアはしゃがみこむと、その状態を目の当たりにして嫌そうに一瞬、顔を顰めた。
リュウジの身体はぴくぴくと痙攣を続けたままだ。
手足は折れているのか歪に変な方向を向き、横を向いた顔は白目を剥いている。
血混じりの吐瀉物と泡を吹き、リュウジの周囲は失禁したのかしとどに濡れそぼっていた。
漂う饐えた悪臭もあり、一目見れば死んでいるようにも見えただろう。
そんなリュウジを見下ろして、ノアは口元を下げながら溜息を溢した。
「……生きては、いるかなぁ。……まあ、リュージには今は生きてて貰わないと困るんだよね。……だから、貸し……だよ? 」
リュウジは、生きていた。
明らかに複雑骨折などもしているが、腕のいい聖魔術士に見せれば治すことが出来るだろう。
ノアは黒く透き通った液体が入った瓶を二本、懐から取り出した。
ノア特製のポーションだ。
不敵に笑いながら、ノアはポン、とコルクの蓋を取る。
「リュージは「勇者」、なんだからさ。」
リュウジの顔に垂らすように、透き通った黒い液体をノアはじゃばじゃばとかけ始めた。
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