発覚 2
は、と気がつくと塔の部屋のベッドの上だった。
開くたびにボロが出る口をなんとか閉じて、でも返事をしないのも気まずくて顔を伏せているうちに、どうやら眠ってしまったらしい。
(なんということ。さすが私……)
塔の螺旋階段を上り始めたのは覚えている。部屋に入った記憶はないから、着くまでの間に寝てしまったのだろう。
これまでも魔力が暴れた日はどっと疲労を感じたから、今日は最大限に消耗したはずだ。
だから、眠ってしまったのは納得するが、ディランに抱えられながら……というのは我ながら豪胆すぎだ。
(院長先生やシスター・マライアから「呑気すぎる」って、また怒られそう)
崖から落ちても干しキノコを作っていたあの頃から、まったく成長していないではないか。
両手で顔を覆い、仰向けたまま大きく息を吐く。しおしおと反省しながら、軋む体をどうにか動かして起き上がった。
どのくらい眠ったのだろう。窓の外はまだ明るいから短時間だろうが、あれだけ「話を聞かせてもらう」と譲らなかったディランの姿はない――はずだったが。
「やっと起きたか」
「まだいた!?」
「第一声がそれか?」
まったく死角だった背後から声を掛けられて、座っているのに飛び上がる勢いで驚いた。
振り返ると、この部屋唯一の椅子に脚を組んで悠々と腰掛けるディランがいる。
(うわ、椅子がちっちゃく見える! しかも、なにあれ、脚長っ!)
デリックは迎えに来るだけですぐ外なり厨房なりに向かうから、こうして部屋の中に男性がいることはない。珍しくて思わずしげしげと眺めたら、リリーの狼狽ぶりを笑っていたディランが怪訝そうに眉を寄せる。
「……なんだ」
「いえ、その。ずっとそこに?」
「逃げられでもしたら、事だからな」
「そんな、寝たふりをしていたわけでは……と、ところで私、どのくらいこうしていたのでしょう」
「一時間ほどだ」
「いちじかん」
そのくらいで良かったと思えばいいのか、一時間も寝顔を見られていたと恥じ入ればいいのか、とにかくやはり気まずさが募る。
そういえば、外套は脱がされたようだが中のワンピースドレスはそのままだ。皺になっているんじゃないかと慌ててベッドを下りようとした。
「そ、それは大変お待たせを……今、起きますので、ご領主様は安心して本館にお戻りに――」
「おい」
案の定、まだ回復しきっていない体は足に力が入らず、ぐらりと傾いて伸ばされた腕に支えられる。
折れた膝が床に着く直前で止められて、見上げればすぐそこに顔があった。
(ふわっ、近っ!)
心臓が煩くて息切れがする。少し休んだ程度では回復しなかったようで、疲労もそのまま残っている。
(そうだ。コーネリア様の体なんだから、もっと大事にしなきゃ)
息を吐いて整えつつも、目のすぐ前ではらりと乱れたディランの髪が気になって、ちょっと触ってしまった。
(……はっ? わ、私はなにを!?)
慌てて離れようと、足に力を入れる。
「し、失礼しました。では、これで」
「どさくさで終わったことにしようとするな。立てもしないくせに逃げられると思っているのか」
「ひえぇっ」
突っぱねた手をあっさり取られ、ベッドに戻される。寝台に座らせられて、真向かいに椅子を置き直された。
(ど、どうしよう、これは逃げられない……って、んん?)
尋問の始まりを察して身構えたところ、扉の向こうから、なにやら言い合う声が聞こえてきた。
よく知ったティナと……相手はきっと、アーサーだ。
「ディラン、入るよ」
「だから! あの人はリリー姉さんだって言っているじゃないですか! 私がお世話しますから!」
「ティナ?」
「リリー姉さん!」
口論しながらノックをしたアーサーを押しのけて部屋に駆け込んだティナに抱きつかれた。勢いに負けて背中からベッドに倒れ込めば、ぼろぼろと涙を流す灰色の瞳がしっかとリリーを捉えている。
「え、えっと……」
(これって、ティナにバレて……るね!)
非常に気まずくて目が泳ぐ。だが、どういう状況だろうが、妹分に泣かれると弱い。
そのまま、よしよしと髪を撫でて指の背で涙を拭うと、ティナはますます顔を赤くして本格的に泣き出してしまった。
「ほら、その慰め方も……リリー姉さん、ですよね?」
「っ……ごめんね、ティナ。でも内緒なの」
「へえ、内緒か」
「うわっ、人がいたんだった!」
えぐえぐとむせび泣くティナを抱き締め返しながら、しまったと天井を仰ぐ。
「ディラン。お前の言うとおり、とんだ間者だな。これでどうやって今まで隠してこられたんだ」
「見抜けなかったことは、俺も反省している」
「まあまあ。ディランを責めても仕方ないよ」
ディランとアーサーの会話に、もう一人、魔術団のローブを羽織ったままのカイルまで加わった。数少ないここでの顔見知りが勢揃いである。
「今だって魔力量はまんまコーネリア嬢だし、外見もそうだし。実際、アーサーだって話したのに疑わなかっただろ」
「それを言われると弱いな」
言い合いをぼんやり眺めていると、ぱちりとディランと目が合って、残りの二人もこちらを向いた。にこりと不敵な笑みを浮かべたのは、アーサーだ。
「さて、それじゃあ聴取を始めようか。あなたは、コーネリア・ウォリスを騙った別人ですね?」
「も、黙秘します」
「そうきたか……そこのティナが、君は聖ギルベリア修道院のシスター・リリーだって言っているよ。大人しく自供したほうが身のためだけど」
アーサーが組んでいた腕を解いて伸ばしてくる。それがリリーに届くよりも先にティナが起き上がって両手を広げて拒んでみせた。
「リリー姉さんになにかしたら許しませんから!」
「ティナは離れていて」
「いやです」
精一杯の威嚇にじんと胸が熱くなるが、これはいけない。
ティナはお城の下働きだ。ティナ自身に対することでならともかく、部外者であるリリーのことで雇用主たちに逆らうのはよろしくない。
(……もうこれ以上、隠せないよね……コーネリア様、ごめんなさい!)
春まで誰にも気づかれないというのは無理だった。ならば、命だけは守らなくては。
よし、と心を決めると、リリーは自分を庇うティナの肩に手を置く。
「ティナ、大丈夫よ。ええと、あの。最初に言わせてください。悪意も作為もありませんし、コーネリア様は悪くありません」
「ふうん、コーネリア嬢も承知の上なんだ」
「……間の悪い偶然だったんですよ」
入れ替わりは本当に偶然だった。
誰も予想なんてできなかったのだから、コーネリアだって悪くないし、意識不明の二人を外見で取り違えた彼らのことも責められない。
悪いのは、あの山中で襲ってきた奴らだ。
「さあ、全部話してもらおうか」
そうアーサーに宣言されて、リリーはしっかりとティナの肩を持つとディランへ顔を向けた。
「ティナを守ってくださいますか」
「ティナを?」
「……このことで、危ない目に遭うかもしれないので」
ここにいる「コーネリア」が修道院のリリーだと確信しているティナは、リリーが打ち明けなくても、既に危ない状況にいる。
「リリー姉さん? あたしなら平気よ」
「私が平気じゃないの」
大事な妹の安全確保は必須である。
自分を守る細腕を下ろさせてにこりと微笑むと、ますます涙ぐまれてしまったが。
「それに当然、コーネリア様と私のことも殺さないし、守ってくれるって約束してくれたら、お話します」
「……分かった」
「ディラン、いいのか」
「こちらにも落ち度はある。それに、さっきの襲撃の件も」
「んーまあ、それなら」
ディランはまっすぐリリーを見つめ返しながら、アーサーを黙らせた。
「お前たちを殺さないし、この領内での安全は保障すると約束しよう」
「ありがとうございます……!」
(よかった……これで最低限、春までは大丈夫だね!)
言葉だけの口約束でも、なぜか疑う気にならない。きっとディランは約束を守るだろうという確信めいた予感があった。
「では、話せ。なんの企みがあって、コーネリアに成り代わっている?」
リリーは一度深呼吸をすると、ロザリオを握って顔を上げ――
(……待って。ご領主様ってこんな人だった?)
ディランから気まずそうに目を逸らした。
「おい、どうした」
「いや、あの……直接話すのはちょっと……ムリかも」
「は? なにを言い出すかと思えば、わけの分からない――」
「だ、だって、ほぼ初対面じゃないですか! 知らない人にこんな大事な話……それに、なんかやたら美形だし、目のやり場に困るというかっ」
「毎日顔を合わせていただろう」
「私が会っていたのはデリック! 第一、いっつも帽子を被っていたから、あんまり顔は見えなかったもの……」
ディランが分かりやすく呆気にとられる一方で、リリーの必死の言い訳にアーサーが吹き出した。
「ははっ、じゃあディランはもう一度『デリック』になりなよ。そうしたら大丈夫だろ?」
「は、はい。たぶん」
「面倒なことを……」
「その面倒なことを始めたのはディランだからねえ」
意外にも、側近のはずのアーサーとカイルがリリーの味方をしてくれた。
(……悪い人たちじゃないのかも)
そう思ってしまうリリーは単純なのかもしれない。
けれど、暴力などで強引に口を割らせるのではなく、リリーの意志を優先してくれているのは事実だ。
(コーネリア様は「誰も信じるな」って言ったけど)
――あのおんぼろ修道院で、コーネリアはどんな気持ちでリリーが目覚めるまでの五日間を過ごしただろう。
気丈に話していたけれど、この入れ替わりにコーネリアが責任を感じていないわけがない。
祭壇の十字架に魔石が嵌まっていると気づいて、いつ繋がるかも分からないそれに呼び掛け続けたのは一晩や二晩ではないはずだ。
(入れ替わりを隠し通すことはできなかったけれど、話して、味方になってもらえたら)
できることはしよう、と改めて誓うリリーの目の前で、黒髪に青い瞳のディランは、薄金色の髪と茶色の瞳の見慣れたデリックになった。
「わあ……魔法だあ。すごいですね」
うっかり見とれたリリーに、ディランが先を促す。
「これでいいな、話せ」
「あっ、はい。……うん、大丈夫そう。ええと、どこから話したらいいかな……ティナ」
今度はリリーのために泣いてくれた妹に向き合う。二人して両手を繋いで、昔のようにこつりと額をくっつけた。
内緒話の始まりだ。
「心配かけてごめんね。なにが知りたい?」
「全部よ、姉さん。それと、あたしこそ最初の時はごめんなさい」
「いいの。ティナがここで一緒にいてくれて、すごく嬉しかったし、頼もしかった」
安心したように、でもしょんぼりと項垂れるティナにふふ、と笑って、あの市の日の朝のことからリリーは話し始めた。




