始まり-1
この世界の神は、不公平だ。
生まれてくる子供を選別し、気紛れにかそれとも規定通りにか、希少数の人間に力を与える。大多数の人間には与えない。
生まれる時点で優劣を決められた子供達は絶望するのかというとそうでもなく、むしろ特別な方を余計持ち上げることで自分らが普通なのだと思い込もうとした。それは見事成功し、相対的に、次第に選ばれた者達の地位は上がっていった。でも、そのことが力を持つ全ての者にとって幸福であるとは、限らない。
そう、私のように。
私の村は、裕福であるとは決して言えない。農産業でやっていっているのだが、その年の天候に左右されるため収入は不安定だし、若い者は王都の方に出て行ってしまうことも少なくないため慢性的に人手が足りていない。
だが、自然は美しい。貧しくても、村の人々は自然を楽しむことを忘れなかった。自然を敬い、恐れ、そして愛しながら生きている。そんな環境だからだろうか、人々の心は、豊かだった。
子供たちもみな一様に良い子に育ち、だからか親に我儘を言う子があまり居なかった。貧乏だから、お菓子をねだってはいけない。明日の食があるかどうかもわからないのだから、自分たちが我儘を言ってはいけない。ーーそんなことを子供たち同士で約束し合っているような、そんな風に思えた。
だから、私は、自分の力を活用しようと思ったのだ。
トン、トン、トン……
規則正しい包丁の音が、心地よい。エリシアは瞼をそっと開けて、ベッドから抜け出した。窓を開けて下を見ると、外の地面はしっとりと濡れている。肌寒いのは雨が降ったせいか、と納得してからエリシアはそのまま部屋を出た。
階段を下りると、キッチンに叔父が立っていた。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
叔父は視線をエリシアに向け、穏やかに微笑んだ。ガタイが良い男性がキッチンで朝食を作っている姿は初めて見れば驚くのかもしれないが、エリシアにとっては生まれてからこうなので、これが普通である。まだ重い瞼を擦りながら、コップを二つ用意してそこに牛乳を注ぎ、テーブルに置いた。
四人掛けのテーブルに、エリシアと叔父のオーウェンの二人きり。それがエリシアの普通で、日常だ。
両親はエリシアが7歳の頃に居なくなった。亡くなったと聞いている。その頃のことは、あまり覚えていない。オーウェンはそんな彼女を心配して養父になり、それから10年間ずっと世話をしてくれていた。その生活の方が長いからか、エリシアにとってオーウェンは、兄のような叔父のような父のような、その全てを請け負っているような存在だった。
実際、オーウェンはまだ33歳だ。兄という年齢の方が、まだ近い。
(叔父さんは、結婚しないのかな……)
33歳ならもう子供がいても良い年齢なのに、彼は妻どころか彼女さえ居ないように思える。実際、彼が仕事に行っている間のことはわからないから何も言えないが、少なくとも女の気配を漂わせたことはこの10年間全くなかった。
(……私のせいなんだろうな)
ふ、とエリシアは息を吐いて目を伏せた。
叔父のオーウェンは、モテるタイプだ。艶のある黒髪に、夜空を切り取ったような黒い瞳。切れ長の瞳に整った鼻筋、薄く形の整った唇。ひいき目無しに、カッコいいのだ。それなのに恋人がいないということは、つまり、彼自身が作らないようにしているとしか思えない。そしてその原因は明らかにエリシアなのだ。エリシアが独り立ちするまでは、彼は恋人など作らないのだろう。
(……王都にでも行くかなあ)
うーん、と悩んでいると、目の前に湯気の立つスープがコトリと置かれた。それに目を上げると、続けざまにパンの乗った皿も置かれる。もう少し顔を上げると、叔父は目を合わせて口角を上げた。
「悩みごとか?」
「……うん」
どうしたもんかな、とエリシアはまたため息を吐いたのだった。
いただきます、と手を合わせて朝食を食べ始める。
「……王都に?」
「うん」
頷いて、スープを一口飲む。野菜がたっぷり入ったコンソメスープは、とても美味しかった。昔はあんなに料理が下手だったのにな、とぼんやり思い返して思わず口元が緩んだ。
「急にどうしたんだ」
顔を上げると、叔父は別に怒った様子も驚いた様子もなく普段通りの顔つきでパンを頬張っていた。そのことに安堵し、エリシアは続ける。
「そろそろ私も独り立ちした方がいいかなって思って。王都なら仕事にも困らないだろうし」
「……まあ、王都ならな。お前は家事全般出来るし、住み込みで働くことも出来そうだが……」
そこまで言って、オーウェンは牛乳を一口飲んだ。ごくり、と喉仏が上下する。
そして手の甲で口を拭い、コップを机に置いてから彼はエリシアを真っ直ぐ見つめてきた。
「だがまあ、手っ取り早いのはお前の力を活用することだぞ?」
「……だろうね」
エリシアは肩を落として深く息を吐いた。
オーウェンは月に二度ほど王都に仕事をしに行くから、王都には詳しい。彼が言うことは正しいのだろう。
(そういえば私、叔父さんが何の仕事してるか知らないな……)
まあそのことは、今はどうでもいい。
「神力が使えるとなると、その力に応じた役職が必ず貰えるからな。しかも王家直々に。城で働けるし、職に困らないどころかむしろ贅沢できる」
オーウェンの言葉に、エリシアは無言で頷いていた。
神力。それは、選ばれた者ーーアギオンにしか与えられない力。この世界の人々は必ず少しでも魔力を持っているが、神力ーー言葉通り神の力は、持っている人と持っていない人に綺麗に分けられる。
神力を持っている人はその力を解放することで神の化身へと姿を変え、そして特別な力を使うことができる。
例えばゼウスの化身ならば天候を操り、雷を降らす。ポセイドンの化身は海を操り、地を揺らす。もちろん神の何十万分の一かの力しか使えないが、しかし、それは普通の人間には大きすぎる力である。故に、その力は戦争に使われることが多い。それがエリシアは嫌だった。
それと、神力が使えるアギオンだと知られることで様々な人に好奇の目で見られるのも。
オーウェンはそのことを理解している。空になった食器をキッチンに片すべく立ち上がり、息を吐いた。
「……そろそろ魔族との戦争も起こりそうだしな」
「……。」
魔族……魔力を人間以上に持った者たちのことだ。人間も魔力は持っているが、魔族に匹敵するほどの力を持つのは魔術師くらいのものだ。その代わり、人間は魔族よりも神力に恵まれた。まあ、魔族側にもアギオンは居るのだが。
その魔族との土地争い、世界覇権争いは、この世界が創世された時からのものだと言われている。最早根付いているのだ。二つの種族は忌み嫌い合っている。
エリシアは目を伏せた。
そんな戦争の道具にされるのはごめんだ。やはり普通の人間として働きに出るのが妥当だろう。
「普通に働くわ」
「……だろうな」
オーウェンは食器を洗ったまま、顔をこちらに向けずに頷いた。表情はわからないが、彼のことだからいつも通りなのだろう。
「それにしても、何だって急に独り立ちしようなんて言うんだ」
食器を洗い終わったオーウェンは水の入ったコップを置いてまたエリシアの前に座った。エリシアは残りのスープを飲みながら、少し考える。突然の思いつきだなんて言おうものならたぶん一蹴されるし、本当のことを言えば彼は渋い顔をするに違いない。
「……外に興味が湧いてきて」
「あんなに王都を嫌ってたお前が?」
「昨日も行ってきたわ。人は多いしごちゃごちゃしてるし、光が多ければ闇も多い。そんな所ごめんだと思ってたけど……それじゃあダメな気がして」
これは本音だった。エリシアはたまに王都に行くのだが、その度に村とは全く違う雰囲気や空気や人や物に嫌気がさす。けれど、それでは私はいつまで経っても変わらないままだ。苦手なものを避けているだけじゃ世界は広がらない。それではダメなのではないかという漠然とした不安が、エリシアを襲ったのだった。
それからエリシアが朝食を食べ終わった頃、無言で頬杖をついて机の一点を見つめていたオーウェンが口を開いた。
「……もうそんな年齢なのかな」
「え?」
「いいや。……俺は別にお前を止めやしない。けど、お前が王都に行くなら俺も王都に移り住むぞ」
「ええ?」
それじゃあ意味がない。エリシアが思い切り嫌な顔をすると、オーウェンはムッとした顔つきになった。
「嫌なのか?」
「や、……それは過保護すぎない?」
「べつにお前と住むとは言ってないだろ。俺は元々王都に居たし仕事も王都に居た方ができるし、その方が都合がいい」
オーウェンはしれっと言いのけたが、それは、今までエリシアのためにこの村に居てくれたということだろう。分かりきっていたことだが、本人の口から聞くのと想像するのは別だ。
「……私のワガママに付き合ってくれなくても良かったのに」
今度はエリシアが口を尖らせると、オーウェンは歯を見せて笑って、腕を伸ばしてエリシアの頭をクシャクシャと撫でた。
「ばーか。ワガママは子供の特権だろうが」
その時の叔父さんは、本当に本当にカッコよかったと、エリシアはきっといつまでも覚えているだろう。




