60_狂気の始まり
第66話です。
ハルの本音が暴かれたあと、一体何が起こってしまうのか。すぐに一件落着、といかないのは異世界でも同じ、というお話です。
しかし私の手は届かなかった。私の脇を強引に通り過ぎた人物が、一人だけいたからだ。
「ハル……」
ルーンデール伯爵は捨てられた子供のように頼りない声で、妻の名前を呼ぶ。
「あぁ、我が愛しいハル……一体どうしたというんだ?あれほど私を愛していると言ったではないか。それに、エリザベスは君に毒を盛ったのだろう?だから私はあの女を捨てたのだ」
伯爵は血走った目でハルを見据えた。
「私を愛していないなど、冗談だろう?」
「うっさい、触んないで!」
パシン!と勢いよくハルは伯爵の手を叩き落として、背中を向けた。その顔は嫌悪に満ちていた。
「もうほんとウザイ!オッサンのくせにベタベタしてくるし、キモイ!マジで無理!」
勢いでそう言って、しかし瞬時に先程までの甘い顔にもどる
「あぁ……!!ちがう、ごめんなさい。旦那様。ちがうの、私、こんなこと言うつもりじゃないの……!」
「私を、愛していない……のか……?」
「き、決まって、るじゃない……!」
ハルは表情を取り繕うように顔を覆う。しかし言葉は隠せなかった。
「愛してないの!無理なの!なんで私が責められなきゃなんないのよ、意味わかんない!」
「そんな……」
ハルの言葉を受けた伯爵はガックリと足元に崩れ落ちた。
「ハル様……あぁ、なぜ……」
「まさか本性が、ここまで醜悪だったなんて」
「我々を騙していたのか!?」
周囲の男たちは突然突きつけられた真実に呆然としたり、ハルを責め立て始めたりと様々な反応を示し始めた。それは即ち、ハルの魅了魔法が溶けたということ。
そして私たちの任務が完了した合図だった。
「チェックメイト、ですわね」
エリザベスさんから合図を受けたクレイモアさんが、憲兵を呼ぶために警笛を取り出した。
しかし、その時。
「ううぅ……」
獣のような唸り声がホールに響く。伯爵は床に立てた爪から血を流し、瞳からは血の涙を流していた。
「我が愛を、我が願いを、人生を……っ!! 貴様、よくも、よくもよくも……!!」
最も愛した存在からの侮蔑を浴びた伯爵の精神は、ついに限界を超えて焼き切れた。彼は腰の剣を抜き放ち、血走った瞳でハルへと飛びかかった。
「死ねぇぇ! 醜悪な魔女めぇえ!!」
「あぁ、もう……うざいうざいうざいうざい!!」
ハルの瞳が、どす黒い魔力で塗りつぶされる。彼女の中に眠っていた膨大な、そして歪んだ魔力が、感情の爆発と共に制御を失って暴走を始めた。
ドォォォォォン!!
ハルを中心に、禍々しい漆黒の魔力の嵐が巻き起こる。
あまりの衝撃にホールのシャンデリアは砕け散り、参加者たちが悲鳴を上げて吹き飛ばされた。
「……っ、ビョルンさん!!」
「チッ、これだから素人は厄介だ」
エリザベスさんとクレイモアさん、そして私の前にビョルンさんが立ち、魔法の結界を張る。
「壊れちゃえ! こんな世界、全部壊れて消えちゃえばいいのよ!!」
嵐の中心で、ハルは豪華なドレスをボロボロに引き裂きながら、狂気に満ちた叫びを上げ続けていた。むせ返るような甘い匂いが毒ガスのように充満して、喉が焼けるみたいにヒリヒリする。
「死ね!死んでしまえぇえ!」
ハルの絶叫が響き渡り、窓ガラスや大理石の床にまで大きなヒビが入る。
女達は強力すぎる魔力に倒れ、魅了されていた男たちは頭を抱えて苦しんだ。倒れふす人々の中心で、ハルは高らかに笑う。暴走の勢いは増すばかりで、ビョルンさんの結界に限界が来ていることは一目で理解できた。
「クソ、長くは持たんな」
「どうしたら……!?」
「これほどの魔力暴走だ。並大抵の騎士や魔術師では敵わん」
クレイモアさんがエリザベスさんを守るように剣を抜いたけれど、ビョルンさんは無慈悲にもそれを無意味だと切り捨てる。
「でも、あなたは並の魔術師なんかじゃないでしょ?」
「簡単に言ってくれる」
額に汗を浮かべながらビョルンさんに、私は不敵な笑顔を浮かべた。
「ビョルンさん。私はあなたの『招き猫』、幸運のお守りですよ」
パキ、パキパキ……
防護壁に小さくヒビが入っていく。私はビョルンさんに手を伸ばして、力強く言った。根拠の無い自信だけれど、きっと二人なら切り抜けられる。だってこれまでもそうしてきたんだから。
「だから、私を信じてください」
パリン!
とうとう防護壁が歪んで、割れる。突風が吹き荒れて、私は背後に大きく吹き飛ばされてしまった。
「うぅ……」
一瞬白飛びしていた意識が急激に戻って、地面に叩きつけられたせいか身体のいたるところに痛みを感じて呻いた。
身を切るほど痛い静寂がホールを包む。まるで誰も生きている気配がないような、生物の気配を感じさせない。顔をあげると、中央でハルが狂った人形のように笑い声を上げ続けており、エリザベスさんやクレイモアさん、伯爵、その他参加者たちは地に伏している。
しかし、ただ一人だけ様子が違った。
ビョルンさんは一人で静かに立っている。そう、恐ろしいほど静かに。
「……?」
彼の様子がおかしい。上手く言葉にできない違和感がある。いつものような、少し気怠げだけど大らかな雰囲気とは大きく違う。
「ビョルン、さん……?」
振り返った彼の瞳は、真っ黒に塗りつぶされていた。
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次回も引き続きよろしくお願いいたします
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※次回第67話『泥棒猫 VS 招き猫』の更新は2月20日18時です




