62_ヘンゼルとグレーテルを救い出せ!
第62話です。ハルの狂気が明らかになる回です。
過ぎた権力を持ってしまった人間はどこまで堕ちるのか、そしてOLとエルフはどう立ち向かうのか?
「でしたら、ハル様」
次にハルの前に進み出たのは、この領地でも名の知れた男爵だった。その傍らには、怯えた表情で立ち尽くす十歳くらいの男の子と、まだ幼い女の子が立っていた。
「我が家にはもう、貴女に相応しい財宝は残っておりません。ですから、この者たちを差し上げましょう」
男爵は自分の子供たちの背を強引に押し、ハルの前に跪かせた。
「息子は命を掛けて貴女をお守りする近衛兵に、娘は貴女の御髪を整える下女に。この子供たちのこれからの人生、その全てを、夫人の所有物として捧げます!」
私は自分の耳を疑った。まさかこの男、公然の場で堂々と人身売買を宣言したのか?
「お父様……!?」
少女が悲鳴のような声を上げ、男の子は妹を守るように抱きしめるが、男はそれを無視してうっとりとハルを見上げた。
周囲の貴族たちからも、非難の声は上がらない。それどころか『その手があったか』と言わんばかりの、羨望の混じった溜息が漏れる。
ハルは初めて、少しだけ興味を惹かれたように身を乗り出した。
怯える少女の顎を、宝石の指輪が嵌まった指先でクイ、と持ち上げる。その瞳には、子供たちへの慈しみなど微塵もない。ただ「新しい所有物」の鮮度を確かめるような、冷酷な品定めだった。その風貌はまるで迷い込んだヘンゼルとグレーテルを見定める魔女に見えた。
「ふぅん。子供の人生を、丸ごと私にくれるの? いいわ、少しは退屈しのぎになりそうね」
「おお……! ありがとうございます、ハル様! ありがたき幸せにございます!」
男は涙を流してハルの靴に接吻しようと這いつくばる。その足元で、子供たちは未来を奪われた絶望に、ただ震えることしかできない。
ひどい光景だ。
私は握りしめた拳が白くなるほど力を込めた。
宝石や権利書ならまだしも、子供の人生まで彼女は笑って奪うのか?
いや、人の人生をこうも狂わせておいて、どうして笑っていられるの?
伯爵はといえば、その光景を『我が妻の魅力が、一族の血筋すら屈服させた』とでも言わんばかりに誇らしげに眺めている。
そんな異様な空気を破ったのは、まだ幼く高い声だった。
「妹に触るな!魔女め!」
その声の主は、先ほど男爵によって差し出された少年だった。そして。
パシン!
乾いた音がホール中に響き渡った。妹を守るために、男の子の手のひらがハルの白い手を弾いたのだ。
なんて勇気のある行動なんだろうと思ったのは、恐らく私とビョルンさんだけだろう。その場の参加者と伯爵は固まってしまえ、あんなに賑やかだったダンスホールはシンと静まり返ってしまった。
ハルはというと、先ほどまでの妖艶で美しい笑顔は消え失せて、代わりに絶対零度の表情で子どもたちを見下ろしている。
ハルは、叩かれた自分の手の甲を信じられないものを見るかのように見つめた。その白い肌には、少年がつけた赤い跡がうっすらと浮かんでいる。
「うっざ」
氷のような声が、静まり返ったホールに響いた。彼女の周囲だけ、気温が数度下がったのではないかと思えるほどの殺気が膨れ上がった。
「おっかしいなぁ。私の手を叩いたの?この私の?」
静かに、しかし確かな殺気を込めた声が、地を這う蛇のように木霊する。その周囲にいた男たちも一斉に男の子に殺意のこもった目を向ける。そう、親である男爵でさえも。
「そんな悪い子、死んじゃえばいいのよ」
さも名案のように呟いて、ハルがゆっくりと右手を振り上げる。魔法に明るくない私ですら、その指先には明らかに殺傷能力を持った光が収束し始めてることが理解できた。
誰かが止めないと!
しかしそんな希望も虚しく、周囲の男たちは真っ黒な瞳でハルを見つめて「そうだそうだ」と拍手して、ハルの恐ろしさに身を縮めた女たちは目を逸らすだけ。
ただ一人、子供達の母親と見られる淑女だけが男爵の腕に縋り付いて泣き叫んでいた。
そしてその光景をハルの傍で見ていた伯爵も、暴走した妻を諌めるどころか冷酷に言い放つ。
「無礼者が。我が妻の慈悲を泥で汚した報い、その身で受けるがいい」
ハルの目が、獲物をなぶり殺す直前の獣のように細められた。あの子が危ない。考えるよりも先に体が出てしまったのは、私の悪い癖だ。
ごめんなさい、ビョルンさん。また迷惑をかけてしまうかも。
「行け!」
ビョルンさんの声が聞こえて、私は先ほどまで感じていた足の痛みなんか忘れて男の子に向かって全力で駆けた。
そして男の子を胸に抱いて、ハルの手から庇う。どうか髪飾りが壊れませんように、なんて都合のいいことを願った。
しかし、衝撃はいつまでたっても来ない。その理由は分かりきっている。
「ビョルンさん!」
ビョルンさんが結界を張って私と子供達を守ってくれたのだ。あれ、待てよ。
「結界を張れるなら、私が飛び出す必要なくないです?」
「お前が勝手に飛び出したんだろう」
「そりゃそうなんですけど」
静まり返ったホールで、私たちの声だけが小さく響く。
「大丈夫?怪我はない?」
腕の中の男の子は震えながら怯えたように私のドレスを掴んでいた。かわいそうに、こんなに怯えてしまって。怖かっただろうに、妹を必死に守ろうとしていたんだ。
「もう大丈夫だからね」
男の子と女の子を抱き抱えて、母親の元に返してあげた。子供達は母の腕の中で泣きじゃくり、私はすぐさまビョルンさんの背後に隠れる。互いに安全基地に戻ったというわけだ。
よし。やっちゃってください、ビョルンさん!
「……っ、な、何なのよ、あんたは!」
目の前で繰り広げられた、あまりに場違いな救出劇に、ハルは振り上げた手のやり場を失って顔を歪めた。
結界に弾かれた彼女の指先が、屈辱で小刻みに震えている。
「 邪魔すんなら、あんたも一緒に……!」
「やめておけ」
ハルの叫びを遮ったのは、ビョルンさんの地を這うような低い声だった。
彼は私と母子を背に庇い傲然とハルを見据える。そのライムグリーンの瞳には普段の凪のような優しさは一片もなかった。
「旦那様、この不細工とエルフを捕まえて!!」
ハルが半狂乱になって伯爵の腕を掴む。促された伯爵は直ちに近衛兵たちを集結させようと手を挙げた。
「宴を汚す不届き者どもだ。この場で切り捨てよ!」
その非情な命令に、ホールの壁際に控えていた近衛兵たちが一斉に動いた。
普通なら、丸腰の女性や功労者であるはずの平民を斬ることに、わずかな躊躇や戸惑いが見えるはずだ。だが、彼らの瞳にはハイライトがなく、まるで感情を抜き取られた機械のように濁りきっている。
チャキッ、と無機質な抜剣の音が重なり、ホールに緊張が走る。彼らはハルの魅了という名の呪縛に魂まで塗りつぶされ、哀れな兵士たちはもはや主君の暴走を止める理性など残っていなかった。男たちは「殺せ」とヤジを飛ばし、女たちは悲鳴を上げた。
「下がっていろ」
ビョルンさんが前に一歩踏み出し、迎撃のためにその手に魔力を凝縮させる。しかし近衛兵たちは怯むことなく、獲物を囲い込む猟犬のように、鋭い切っ先を私たちに向けて間を詰めてくきた。
ハルはそれを見て勝利を確信したように、歪んだ笑みを浮かべた。
「そうよ、死んじゃいなさい。これは私を不快にした罰なんだ……」
彼女の傲慢な言葉が最後まで紡がれることはなかった。
「ご歓談中、失礼いたしますわ」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回も引き続きよろしくお願いいたします
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※次回第63話『お貴族流害虫駆除』の更新は2月18日18時です




