37_異文化コミュニケーション
五階層目の入口は真っ暗で何も見えない。
一寸先は闇を文字通り現したような洞窟に尻込みしてしまう。しかしビョルンさんは迷うことなく進み、一言呟いた。
「『灯れ』」
ビョルンさんの声に反応して、足元のキノコがふわりと青白く光る。以前連れて行ってもらったエルフの森でも見た光るキノコは、ダンジョンでも馴染みのものらしい。
「キレイですね……!」
ビョルンさんは私を振り返ると、濡れた足元を気遣うように、しかし心配を悟られないためかぶっきらぼうに言い放った。
「気を取られて転ぶなよ。あとが面倒だ」
「はい」
私たちは薄暗く硬い岩の道をひたすら下った。
暗がりの中からちょろちょろと細く水が流れる音がするので、湧き出した水や雨水がここまで染み込んでいるのだろう。ぼんやりと光るキノコたちがフットライトのように足元を照らし、時々薄緑色の光を放つ虫が鼻先を掠める。
「この光る虫はなんですか?」
「シグナルホタルだ。その時々の状況によって腹の光が変わる」
「へぇ……! 色が変わるんですね。私の世界のホタルは黄色だけなんですよ」
ビョルンさんの目がふっと緩む。
「シグナルホタルは外敵のいない時は緑、要注意の時は黄、そして外敵の襲来がある時は赤色になる」
なんか信号機みたいな色の変化だな、と思いながら頷く。
「そして繁殖期は桃色に光る」
「ぷっ! 桃色! ファンシーで可愛いですね」
「ちなみに、繁殖に失敗すると青色と桃色が交互に点滅する」
「あははっ! ホタルでもフラれたら悲しいんですね」
ホタルの生々しい裏話を真顔で話すビョルンさんに、思わず笑ってしまう。そんな私の反応を面白がっているのか、ビョルンさんはそれからも色々とダンジョンのモンスターについて教えてくれた。
「もう少し下れば最下層だ。その前に、休息を挟んだ方がいい」
「そうですね。ここなら安全そうですし」
岩肌に荷物を置いたビョルンさんの隣に腰かける。緑色のホタルたちが静かに飛び回る中、穏やかな時間が流れた。
そして腰を落ち着けたあとに感じるのは、途方もない空腹感。ビョルンさんも同じだったのか、どこか期待した目で私の方を見た。
「えぇ、わかっていますよ。ちゃんとお弁当を作ってきましたから」
お弁当といえば、そう、おにぎり!
ルーンデール周辺は小麦だけでなく稲作も盛んな地域らしく、日本人の私にとって非常に好都合である。
「米の塊か」
「はい。お米を丸めて、片手で食べやすくしました。中には焼いたソルトフィッシュを入れてるんですよ」
ソルトフィッシュは塩鮭みたいな味がしたので、代用品として入れてみたのだ。海苔が欲しいなんて贅沢は言えない。
「それからこっちは薬草の種…ええと黒星草の種子と白星草の種子と、塩を混ぜこんでみたんです」
ふむ、と珍しいものを見る目つきでおにぎりを眺めるビョルンさん。耳がひょこひょこと揺れている。初めての食べ物なんだから警戒するのも無理はないけれど、カレーライスの時よりはハードルが低そうだ。
「こうした方が美味しいし、効率的でしょう?」
「お前が作る料理はいつも珍妙だ」
ビョルンさんは少し警戒しながらも、こくんと頷いた。この人に納豆とか出したらどんな反応するのかな、なんて悪戯心が湧いてしまった。
「いただきます」
手を合わせて、白いおにぎりにかぶりつく。お米の素朴な甘みとソルトフィッシュの塩味がよく合う。まるっきりこれは塩鮭おにぎりだ。
「お味はいかがですか?」
「……悪くない」
はい、頂きました。ビョルンさんの『悪くない』!
ビョルンさんは大きな口を開けて、わずか三口で食べ終わってしまった。それだけ豪快に食べて貰えると気持ちがいい。今度はもう少し大きめに作ってあげよう。
「いつもはどんな食事をしていたんですか?」
「携帯食を持参している。木の実や穀物を乾燥させたものに、虫を混ぜたものだ」
「む、虫……!?」
「貴重な栄養源だ」
そりゃ日本だって『昆虫食』なる文明は存在しましたけど。私にはどうしても生理的に受け付けなくて断念した記憶がある。
「虫は嫌いか」
「う……」
へな、と残念そうに眉を下げて尋ねてくる彼に何も言えなくなる。
どうして、そんなにしおらしい顔をするのか!
普段は高慢ちきな顔をしてるくせに!
「この世界の食べ物なら、食べてみなきゃわかりません」
絞り出した答えに、ビョルンさんは満足したようだ。そして彼は私の顔色を一切気にせず、懐から手のひらサイズの茶色いバーを取り出した。
「これだ」
「なんで持ってるんですかー!?」
「何を言ってる。ダンジョンに潜るのだから、食料くらい携帯している」
「それはそう」
私は内心の焦りを悟られないよう、必死に平静を装う。
「これは乾燥させた『クリスタル・ビートル』の外骨格を砕き、穀物と木の実と共に虫の蜜で練り固めたものだ」
「ご丁寧な解説ありがとうございます……」
反射的に吹っ飛びそうな身体を、意地で繋ぎ止めた。
「昨晩作ったものだが、味は馴染んでいるはずだ。一口食べてみろ。最終層に備えて体力が必要だろう」
ビョルンさんは平然とそれを一口齧る。カリッという小気味良い音が岩肌に響いた。
私は受け取ったバーをじっと見つめて、観察してみた。『鑑定グラス』を覗き込むと、こんな風に表示された。
『クリスタル・ビートルバー:体力回復(高)、気力上昇』
わざわざ(高)って付くことは、かなり効果があるということだ。
「うぅむ……」
これはわざわざビョルンさんが手作りしてくれた大事な食料。これがこの世界のプロテインバー(エルフ仕様)。しかし虫入り……。
「食わないのか」
「い、いえ」
すん、と鼻を鳴らして匂いを嗅いでみる。
虫入りにしては見た目はそう悪くないし、匂いも強くない。匂いの強さや異質さでいえばカレーの方が異質だった。それなのにビョルンさんは口にしてくれて、あまつさえ完食してくれた。
彼の懐の深さと優しさに報いたいと思う。
思うけど、虫か……。
「え、ええい! いただきます!!」
意を決して目を閉じ、思い切ってひとくち齧る。
——カリッ、サクッ。
「……あれ?」
ザリザリとした食感と土臭さを想像していたが、それはまるで焦がしたアーモンドのような心地よい歯ごたえだった。口の中に広がるのは、白砂糖よりも上品な蜜の甘さと、香ばしいきな粉にも似た風味。
「お、おいしい!?」
私は思わずもう一口齧った。なんか、ナッツ入りのグラノーラバーっぽい!
「なにこれ!? 全然生臭くもないし、土っぽくもない! むしろ香ばしくて甘い!」
「だろう」
ビョルンさんは私の感想に、わずかに目元を緩めた。
「このバーに使われている『クリスタル・ビートル』は、花の蜜を主食にするため身が甘い。成虫は芳醇な風味や香りが珍重されて、エルフ族の菓子や香料の材料としても使われる」
「へぇえ、そんな風にも使われるんですねぇ」
「エルフの森には喋る虫もいるが」
「え、まさかそれも食べるんですか」
「そのビートルもその一種だ」
「うげ!」
甘くて美味しいけど、さすがに喋る虫は勘弁!
口を抑えて呻くと、ビョルンさんはわずかに肩を震わせた。
「もしかして、ビョルンさん……」
「なんだ」
「ウソ、つきました?」
「騙される方が悪い」
「無茶言わないでくださいよ。エルフ文化を誤解しちゃうでしょ!」
怒りのまま残りのバーを一気に食べ終えると、身体熱くなるような、ほんのりと熱を伴うエネルギーを感じた。体力回復効果のおかげだろうか。
「おかわりか?」
彼の揶揄うような声音にたじろぐ。まさか自分が虫入りプロテインバーのオカワリを催促することになろうとは思ってもみなかったから。
「もうちょっと、だけ」
「軟弱者だと思っていたが、気骨はあるようだな」
「え、なんですか急に」
「人間族の多くはこの携帯食に理解を示さない。口に入れることなど有り得ん」
こっちの世界でも昆虫食はハードルが高いのか。そりゃそう。
「確かに最初は驚きましたけれど、食べてみたらおいしいですよ。それにビョルンさんが作ってくれたんですから、なおさらです」
口にすら入れずに批判するのは、私の流儀に反する。
「お前は……いつも、こんな気分だったんだな」
ビョルンさんはどことなく嬉しそうに口角を上げ、耳も少し機嫌良さそうに揺れていた。
自分の食文化を受け入れて貰えるのって、なんだか嬉しいもんな。
「これからも、少しずつ教えてください。あなたや、あなたの文化のこと」
「……あぁ」
ビョルンさんと目を合わせて、笑い合う。
緑色に光る煌びやかなホタルたちが、私たち二人の間を柔らかく照らしていた。




