27_堕ちた天使は復讐の夢を見るか
翌日の早朝。私とビョルンさんは教会に出向いた。
「心配しなくても大丈夫ですよ。きっともうエリザベスさんは何も仕掛けてはこないはずです」
「……だといいが」
ビョルンさんは終始不機嫌そうに顔を顰めていたけれど、文句を言うことなく後ろをついてきてくれた。
教会に着いてから司祭様に案内されたのは、硬そうな木のベットと丸椅子、そして簡素なテーブルだけが置かれた薄暗く湿った部屋だった。窓の位置は高く小さいため、太陽光もさほど入らない。初めて踏み入る彼女の部屋はまるで牢屋のように冷たかった。彼女は一年をこんなところで過ごしたのか。
「お話があって会いに来ました、エリザベスさん」
エリザベスさんは何も言わず、静かに私を見据えていた。白い薄手のワンピースに身を包んだ彼女は、初めて見たあのシスター服よりも痩せて頼りなさそうに見える。しかしその佇まいには気品が溢れ、自然と頭が下がってしまう。
ベットに座るエリザベスさんの前に丸椅子を置いて座る。ビョルンさんは警戒するように入口付近の壁際に、腕を組んで静かに佇んでいた。
「でもその前に、お茶にしませんか」
「……は?」
「私、あなたとお茶を頂くのが好きだったんです。もちろんお料理も美味しかったですし、感謝しているんですよ」
持ってきた水筒からティーカップに黄金色のお茶を注ぐ。エリザベスさんは呆れたように肩を竦めて、目の雨に差し出されたティーカップを睨みつけた。
「馬鹿な娘。あれはお前を油断させるための演技だったのよ」
「えぇ、分かっています」
それでも私は、この人を心の底から恨むことは出来ない。
「これは『炎の球根』と『月の金花』のハーブティーです。『炎の球根』には身体を温める効果があり、『月の金花』にはリラックス効果があるんです。少し辛味があるので、蜂蜜を入れました」
「当てつけのつもり?」
「いえ、あなたは愚かではない。無意味で生産性のないことはしないはずです」
私に毒を盛ったのは、ただの『異世界人憎し』の感情が先走った故の凶行ではないはずだ。
これは私の直感。あまりにも非合理的な理由だけれど、彼女には絶対に隠された何かがある。私はそれが知りたいのだ。だからこそ、彼女の心を覆う分厚い殻を叩き壊さなければならない。
ハーブティーをひとくち飲むと、ふんわりと華やかな香りと蜂蜜の甘さ、そしてショウガのひりりとした刺激が舌に走る。これは前にネットで見たアレンジ方法なんだけど、なかなかいける。
エリザベスさんはティーカップと私の顔を交互に見つめ、やがて諦めたようにティーカップを手に取った。そして上品な所作でハーブティを口にしてくれた。
「お味はいかがですか?」
「雑草の味がするわ」
「う……そりゃ、あなたほど上手には淹れられませんけど」
縮こまった私に対して、エリザベスさんはそこで初めて目元を少し緩めた。
「わたくしの生家では、まずは紅茶の淹れ方を教えられますの。淑女の嗜みですから」
エリザベスさんが初めて自分の話をしてくれた。すこしは対話してくれる気になったのか、先程まで張り詰めていた空気が少し緩んだ気がした。
「わたくしのことは、調べあげたのではなくて?」
「あなたがこの辺境の教会に閉じ込められているのは、現在の領主夫人が原因であることは知っています」
驚く様子もなく、エリザベスさんは静かに言葉を紡ぐ。
「それで?」
「現在の領主夫人が、異世界人であることも」
確証はないけれど、リーナさんの言葉を信じることにした。エリザベスさんが異世界人を恨む理由として最も考えられるのが、現在の領主夫人が異世界人であるという説だからだ。
「あなたの治世は豊かで平和だったと、街の人はみんな口を揃えて言っていました」
街の様子を確認するようにビョルンさんを見上げると、静かに頷いた。
「それほどまでの実力者が、夫に裏切られてこんな場所に閉じ込められたんですね」
エリザベスさんは静かに、しかし低く威圧感のある声で言い放つ。
「まさか、お前はわたくしに同情しているの?」
「同情はしていません。現在の領主夫人はあなたを上回り、あなたは敗れた。それだけですから」
飲み終えたティーカップをサイドテーブルにおいて、エリザベスさんを見る。彼女は少し眉間に皺を寄せていたが何も言わなかった。
「ただ、そのやり方が気に食わない」
エリザベスさんは私の言葉が予想外だったのか、ピクリと眉をあげた。
「私の世界では『他人様のものは取ってはいけない』という教訓があります。それが私の世界のルール、守らなければならない規則です」
「あの女は随分と面の皮が厚いようでしてよ? あの女は私の夫を奪った。それどころか私の友人も、兄も、部下達も……!」
彼女の声は震えていた。その言葉にはやるせない怒り、そして裏切られたことへの悲しみが滲んでいて、思わず私も胸がつまされる思いだった。
ビョルンさんからは『お人好しがすぎるぞ』と警告されているような気もするけど、自分とそう歳の変わらない女の子が周囲に見捨てられてこんな暗い場所で一人きりだなんて、やっぱり可哀想だよ。
「わたくしの話に耳を傾けていた者たちは皆、徐々にあの泥棒猫のことしか話さなくなった。聡明なお兄様まで傾倒して、あまつさえ愛人のような真似を……!」
「ん……?」
なんか、どこかで聞いたことあるような展開だな?
ふと思い出したのは『乙女ゲーム』。学生時代の友達がハマって色々解説してもらったことがある。
私はあまり興味がなくて聞き流していた程度だけど、確か主人公が色んな男のキャラクターを手玉に取……心を解きほぐして、信頼関係を築くゲームだったっけ。
「つかぬ事をお伺いしますが、先程仰ったご友人や部下の方って男性ですよね?」
「そうですわ。なりふり構わず男たちを誑かす。それがお前の世界のやり方なのではなくて ?」
「とんでもない! いくら同じ世界の人間だからって、そんなふしだらな人と同列に並べられたくありませんよ!?」
私があまりあの主人公たちに共感できなかったのは、ヒロインがキャラクターに愛される理由や動機がかなり曖昧だったり、あまりにもキャラクターに対して依存的な関係だったりとなんだかとてもじゃないけど現実味がなくて、怖いとすら感じたからだ。
「あと単純に、平気で何股もかけるような女は生理的に無理! 同列に並べられるのはさすがに心外です!」
「……ふ、ふふっ」
首をブンブンと横に振っていると、エリザベスさんが急に笑い始めた。え、なんで。
「あの女を『ふしだら』と呼ぶのは、お前が初めてだわ」
「他人様のご主人に色目使う女なんて、どんな美人だってろくなもんじゃありませんよ」
私はつい鼻息が荒くなりつつも、不満をぶつける。
「しかも今、我々は領主夫妻のせいで重税に苦しんでいるんです。頑張って稼いだって、ほとんどが税金に持っていかれる。ギルドだって例外じゃありません。不満に思うに決まってます」
エリザベスさんはお上品さを忘れ、クスクスと楽しそうに笑った。そしてずっと目を細めると、私の方を真っ直ぐ見据えて言った。
「やはりお前を生かしておいたのは、正解だったようですわね」
「え?」
「あの毒は致死性のものではなくてよ」
「えぇっ!?」
隠されていた真実に驚いて、思わず椅子から立ち上がった。ビョルンさんも顔を上げてこちらを見ている。
「私を殺すつもりはなかったってことですか!?」
「解毒剤を条件に、商人ギルドと取引をするつもりだったんですの。ですが、そちらのエルフが加減をしないものですから、このように大事になってしまいましたのよ」
エリザベスさんがビョルンさんをじとりと睨むが、ビョルンさんは全く意に介さずただ彼女を睨み返していた。
「お前たちの関係の深さを測りかねた、わたくしの落ち度ですわ」
私とビョルンさんの顔を見比べながら、エリザベスさんが肩を竦める。
「わたくし、欲しいものがありますの……ただし」
彼女は人差し指を唇に当てて、妖艶に微笑む。
「これを聞けばお前も共犯。一度踏み込んでしまえばもう戻れませんわよ」
その冷たい声に、私はビョルンさんの顔を見上げる。
彼女が相手取るのは『商人ギルド』。下手に踏み込めばアニタさんやギルドメンバーに影響が出かねない。ビョルンさんもそれを理解しているので、さらに冷たい声で言い放った。
「見返りは」
「この地における富と権力を、商人ギルドに与えましょう。これまで奪われた税の全てを返還します」
エリザベスさんの目が、鈍く光る。
「……まさか、貴様」
「……あっ、なるほど!?」
私とビョルンさんは、彼女の思惑に気付いて同時に声を上げた。
エリザベスさんは現在の領主夫人を排し、元いた場所に返り咲こうとしているのだ。つまりそれは領主に対する反逆と同義ということで、事の大きさに拳を握りしめた。
「なんてことを……」
彼女はただの囚われのお姫様ではない。彼女はこの土地の元統治者、そしてこの国の権力者の一員なのだ。
彼女は私に毒を盛った加害者で、私は被害者。本来ならば取引のカードはこちらにあるはずなのに、まるで不利な立場であるとさえ思えてくる。
「一日、猶予をください。ギルドという組織として動く以上、私の独断で動くわけにはいきません」
震える声を押し殺して伝えたが、エリザベスさんの猛攻は続く。
「では、お前個人に問いますわ。ルナ・ホシミヤ」
「私?」
「現在の領主夫人……ハルという小娘は、『異世界人召喚の儀』について調べているようでした。つまりお前が捜し求めていた『帰還方法』も既に知っているかもしれませんわね」
「……!」
「それでもなお、わたくしへの協力を拒む理由があって?」
思ってもみなかった情報に、思わず肩が揺れた。
『元の世界に帰る方法』
私が喉から手が出るほど欲したその情報が、それに繋がる手がかりがあるのかもしれない。
「さぁ、どうするかお決めなさいな。全てはお前次第でしてよ」
エリザベスさんは私に選択を迫るように、強く言い放った。
私は異世界人、この世界の異物。
今の私が持っているカードは何?
「ルナ」
ビョルンさんのライムグリーンの目がまっすぐ、そして静かに私を見据える。彼の視線はまるで『信じているぞ』と信頼を感じさせるように強く、そして穏やかにこちらを見ていた。
わかっていますよ、ビョルンさん。ここで感情的に動くなんて、商人失格ですから。
エリザベスさんはハルが帰還方法を知っている『かもしれない』と言った。それは不確定な情報であり、信ぴょう性に欠ける。
「一日待ってもらうことに変わりはありません。待てないと仰るのなら、このまま領主様への反逆罪としてあなたを衛兵に突き出します」
力強くそう言うと、エリザベスさんはまるでその答えをわかっていたかのように、口元に笑みを浮かべた。
「いいでしょう。お前の色良い返事を期待しておりますわ」
彼女の口調はとても穏やかだが
『裏切ったら容赦しないからな』
という無言の圧を感じる。
冷や汗で背中を濡らしながら、私はエリザベスさんの部屋を後にしたのだった。




