194_エルフズ・ブートキャンプ
「どうしてこうなった!」
私は舗装されていない岩の道を走りながら、腹の底から叫んだ。私の右手にはナイフが握られ、買ってもらったばかりのローブは土で汚れてしまっている。どうしてこんなズタボロの状態でマラソンをしているのかというと、一時間前に遡る。
「いいか、この三日でお前を鍛えてやる。そのためにも、ダンジョンに潜るぞ」
「……へ?」
突如ビョルンさんが告げた言葉に返事をする間も無く、近場の岩場にあるダンジョンに引っ張りこまれた。そしてビョルンさんは私の手に布でナイフを括り付けると、ダンジョンの顎をしゃくる。
「駄犬、待てだ」
私の足元に駆け寄ろうとしたミニベロスを留めて、ビョルンさんは堂々と宣った。
「ルナ。一時間、お前一人で生き残ってみろ」
「えっ」
「もしもの時は助けてやるが、俺はこの場にいないものと思え」
「えっ、えぇ?」
「さっさとしないと食われるぞ。ナイフを握って構えろ」
ビョルンさんの視線の先にはスライムが一匹。小さいけれど、ぽよんぽよんと威嚇するように跳ねている。突然のことに驚きを隠せないものの、素直に従うしかなさそうだ。だって、彼の目は真剣そのものだったから。
「スライムは跳躍力がある。頭を狙ってくるから気をつけろ」
「え、えっと、どうやって倒せば……!?」
「そのナイフなら、スライムを刺せば倒せる。そう硬い的じゃない、慎重に狙え」
後ろからビョルンさんが丁寧に教えてくれるけれど、正直なところ私は緊張しすぎてそれどころではない。二十五年間生きてきた中で、魔物の討伐なんてしたことがないんだから。
「ひぃっ!」
ぴょん! と大きく跳ねたスライムを避けようとすると、足がもつれて転んでしまった。ビョルンさんは起き上がるために手を貸してくれたものの、助けてくれるわけじゃない。
「避けるなら後ろより横の方がいい」
「は、はい」
「さっさとしないと次の攻撃が来るぞ」
このエルフ、スパルタすぎる!
苦情を言ってやりたいのに、今はそれどころじゃない。刺そうにもぴょんぴょん飛び回って暴れるため、その場を行ったり来たりする羽目になった。
「ぜぇ、はぁ……!」
とはいえ、いつまでも追いかけっこをしていればスタミナが尽きてしまう。私はとうとう覚悟を決めて、ナイフを握りしめた。私の手より少し大きいくらいの、両刃のナイフ。軽すぎず、重すぎないそれはとても手に馴染んだ。
「てぇいっ!!」
なんとも情けない声とへっぴり腰でナイフを勢いよく突き出す。ぐちゃっと粘着質な音と、ベタベタした半液体状のものが手に触れた。ナイフの刃先がなにか硬いものをプチッと潰した感触が気持ち悪い。
「うぇえ……やりました……?」
ビョルンさんは頷いて、スライムの死骸をにゅっと摘んだ。そしてそのブニブニした物体に片手を突っ込むと、何かを掴んで取り出した。
「それは?」
「ふむ……」
ビョルンさんはその水色のガラス玉のような何かを光にかざし、興味深そうに目を細める。
「稀にドロップするスライムの核だ。ポーション素材になるから、取り逃すなよ。絶対に」
「わ、わかりました」
圧のある声に震えながら返事をすると、ビョルンさんは満足そうに頷いてスライムの核を瓶に詰めた。そして彼は瓶を私に手渡すと、また私から一歩離れて腕組みの姿勢に戻る。どうやらこのまま採集を続けろということらしい。
「やってやりますよ。やればいいんでしょ、やれば!」
半ばヤケクソで叫んでナイフを握る。正直この訓練になんの意味があるかはわからないけれど、ビョルンさんは無駄なことに時間を割くような人じゃない。まして、こんな風に手間をかけることはよっぽどの理由がなければしないだろう。
こうして、私にとって地獄のスライム狩りが幕を開けたのだった。
一時間後。私は大量のスライムに追いかけられながら、スライムの核が入った瓶をカランコロンと鳴らして走っていた。装備は泥だらけで、ナイフはスライムの体液まみれ。お団子ヘアもほどけてしまって、長い髪が鬱陶しい。それでも私は立ち止まることなく、ダンジョンの入り口に向かって走った。
今、立ち止まったら確実にスライムたちのごはんになっちゃう!!
「ビョルンさん、たすけてぇええっ!」
ビョルンさんが待っている入り口に転がり込んで、とっさに叫んだ。その叫び声が響き渡ると同時に突風が吹いて、スライムたちが一斉に宙に放り出される。ビョルンさんの小麦色の髪が見えたかと思うと、銀色が横一文字を描いて宙を切った。上下に真っ二つに切られたスライムが頭上からボタボタ落ちて、思わず悲鳴をあげながら地面を転がる。
「本当に一時間やるとはな」
「ビョルンさんが言ったんでしょ!」
ビョルンさんの足にしがみつきながら抗議すると、彼は困ったように肩を竦めて私の泥だらけの頭を撫でた。しかも穏やかな声で、優しく褒めてくれるオプション付き。
「正直、十匹ほど倒せばいいと思っていたが……お前を見誤っていたようだ。悪かった」
彼の素直な謝罪の言葉に、先ほどまでの苛立ちがスッと消えていった。
「これから先、特に迷宮都市の周囲には下級の魔物が多い。可能な限り俺が対処するが、撃ち漏らす可能性も捨てきれん。最低限とはいえ、身を守る術を知っておく必要があると思った」
「そういうことは早く言ってくださいよ。びっくりするから」
ビョルンさんは気まずそうにそっぽを向いて、ボリボリと頭をかく。彼は思いを言葉にするのが不慣れだということはわかっているし、これでもかなり改善された方だと思う。今回は彼の不器用な優しさに免じて許してあげよう。
「はぁ、疲れました。早く帰りましょうよ」
駆け寄ってきたミニべロスを抱き上げて、私は入口の方に足を向ける。しかしビョルンさんは首を振って、あろうことかダンジョンの奥へと進んで行った。
「言いつけを守った良い子には褒美をやる。ついて来い」
「えぇー?」
「いいから、来い」
その大きな背中が前に見えるだけで、先ほどまであんなに怖かったダンジョンの中がただの岩山に見える。私はビョルンさんの後ろにピッタリくっつくようにして歩いた。魔物たちはビョルンさんとミニベロスを警戒しているのか、岩陰からひっそりとこちらの様子を伺っている。ということは、私は彼らに舐められていたらしい。
「ついたぞ」
岩場の間に続く道を下り続けて数十分。クッタクタで足が棒になりそうだったけれど、なんとか着いて行った先にたどり着いたのは、地下から湧き上がる泉だった。キラキラと煌めく水色の結晶が埋まった岩場に湧く泉からは、ほかほかと白い湯気が立ち上り、ゆで卵のような匂いがする。
「まさか……!」
そう、そこは天然の温泉だった。




