18_みんな大好き、望郷の味
「さぁ皆さん、お待たせいたしました。晩御飯にいたしましょう!」
私は、ビョルンが並べた皿に炊き立ての米(に最も近い大粒の穀物)を盛り付け、その上から琥珀色のカレーソースを惜しみなくかけた。辺りには、異国情緒あふれる濃厚なスパイスの香りが満ちている。
しかし、カレーが乗った皿を見る彼らの表情は、期待よりも戸惑いと警戒の色が濃い。
「おい、なんだこれ? 見たこともねぇ色と、鼻に来る匂いだぞ……」
「いつもの煮込み料理じゃねぇのか? 薬草の匂いが強すぎやしねぇか?」
やはり、この世界には存在しない料理への心理的なハードルは高かった。誰も口をつけようとしない。緊張しながらも、静かに中央に座るアニタさんの前に皿を置いた。
「警戒されるのは無理もありません。これは、私の故郷で『カレーライス』と呼ばれる料理です」
一呼吸置き、皿をじっと見つめながら、穏やかな声で語り始める。その頭の中には昔の故郷の風景が浮かんでいた。
「これは幼い頃、私が初めて祖父母に作った料理なんです」
アニタさんは黙って、先を促すように頷いた。
「母は幼い頃から不在で、祖父母が私を育ててくれました。祖父母は、毎日家事や畑仕事で手が赤切れだらけになっていて……。その手を見て、子ども心になにか役に立ちたいと思ったんです」
何か、とは思いついたものの何もアイディアがなかった。そんな時にちょうど流れたテレビCM、それこそがカレールーの宣伝CMだった。
「そうして、初めて一人で材料を揃えて作ったのが、このカレーなんです」
その時はさすがにカレー粉ではなく、ルーを買ったけど。それでも味はかなり当時のものと近いはずだ。自然と床に落ちていた視線をアニタさんに戻して、まっすぐ目を見て頭を下げる。
「アニタさん。私はこのギルドに来て、ビョルンさんに命を救われて。そしてあなたには本当に、本当に深い恩情をいただきました。あの時、私を抱きしめてくれた温かさに……本当に感謝しております」
声が微かに震える。
「私は、心から感謝の気持ちを伝えたかった。このカレーには、私の故郷の味と共に、私を救ってくれたアニタさんやギルドの皆さんへの感謝の気持ちが詰まっています。どうぞ召し上がってください」
その言葉を聞いていたアニタさんは、口元に手を当て、それはもう大粒の涙を流していた。
「えっ!? あ、アニタさん!?」
「ルナ……あんたって子は……」
アニタさんはそれ以上は何も言わずに、スプーンを手に取ると、溢れる涙を拭うこともなく、カレーを大きく掬って口に運んだ。
「……ッ!」
アニタさんは、一度だけ大きく目を見開くと、後はただ、嗚咽をこらえながら、カレーを食べ進めた。
「美味いよ。こんなに温かい料理は食べたことがない……」
アニタさんは一気に大皿の米とカレーを全て食べ終えると、立ち上がり、涙で濡れた大きな手でルナを抱きしめた。
「ありがとうよ、ルナ。本当にありがとう」
しみじみと紡がれた感謝の言葉が、私の胸を温かく満たしていく。
昔、初めてカレーを振舞った時おばあちゃんとおじいちゃんはどんな顔をしていたっけ? 恥ずかしくて、あんまり覚えていないな。
「っていうか、ビョルンさん!」
「なにか」
ビョルンさんは、口元にカレーをつけて私を見上げてきた。
「もう食べ終わっちゃってるじゃないですか! 早すぎません!?」
前に肉を齧っていた時だって、そんなに早くなかったでしょうに!
しかし、ビョルンさんはどこか物足りなさそうに空になった皿を見つめる。
「もしかしてビョルンさん、おかわりですか?」
「うぐ……」
何か言いづらそうに顔を逸らしたが、彼の耳が少し赤くなっているのは丸分かりだ。
「ふふ、カレーはつい沢山食べちゃいますからね。さぁ、おかわりをどうぞ! お肉を多めにしましたよ」
米とカレーを皿に盛り付けて、ひときわ大きなブロック肉を乗せる。ビョルンさんの前髪に隠れた目が、少し期待に揺れていた。なんだかんだ分かりやすいんだから。
その様子を見ていたギルドメンバーたちは、一気に騒がしくなった。
「嬢ちゃん、俺にもくれ!」
「俺にも!」
我先にと手を挙げる商人ギルドのメンバーたちに、私は笑ってカレーライスをよそってあげた。そしてカレーを口に含んだ瞬間、明るい歓声があがる。
「なんだこれ! 美味すぎるぞ!」
「この薬草の組み合わせ、なんだこれ! 身体が内側から温まる!」
「食っても食っても食欲が沸きあがる! なんだこれは!」
誰もが歓声をあげ、スプーンを止められない様子だった。皆の歓喜の声や笑顔で胸がいっぱいになった。
「ルナ嬢!」
そしてその皆の中には、バジルさんもいた。口ひげにカレーをつけながら、ニコニコと笑いかけてくれる。その皿は綺麗に空になっていて、彼がカレーに満足してくれたことをよく表していた。
「いやはや、この料理は素晴らしい! このコクと旨み、ほかのスープには無い深い味わいがクセになりそうだ。私にもおかわり、よろしいかな?」
「はい! もちろんです、たくさん召し上がってください。今日もお仕事お疲れ様です」
「おぉ……! まるで娘に労わってもらったようだよ。これで明日も頑張れそうだ。感謝するよ、ルナ嬢」
バジルさんはにっこりと笑顔で笑って皿を受け取った。その人懐こい笑顔に『この人ならばあの提案を飲んでくれるかもしれない』という淡い期待が湧き上がった。
「バジルさん。このカレーについてご提案がありまして」
「ん? どうかしたかね」
「実はこのカレーという料理は、エールとの相性も良いんです。バジルさんならご理解いただけるかと思いまして」
「なんと! この料理にエールを合わせるというのかね!」
社蓄時代に培ったストレス解消法、それはスパイスカレーの調合。そしてそれを増長させたのはキンキンに冷やしたビールだった。
この世界では生ぬるいエールが一般的らしいが、正直私としては異論を申し立てたかった。
ビールは冷えてこそ意味があるでしょうが!
「はい。一気に、グイッと! さぁどうぞ!」
「あ、あぁ! いただくよ!」
バジルさんは私の気迫に押されて、冷やしたエールを一気に煽る。そして。
「な、なんだねこれは……!!」
バジルさんの大きな声に、一瞬食堂が静まり返る。だが彼は感動したようにワナワナと震え、スプーンを持ち直した。
「薬草の辛さをエールが洗い流してくれる。しかし、これだけではなにか物足りない。そう、次のもう一口を欲してしまう……! ルナ嬢、これは素晴らしい組み合わせだよ!」
「本当ですか!」
やっぱり新メニューにはインフルエンサーが必要だ。バジルさんは自身の商会を持つほどの実力者で、ギルドからも一目置かれた存在。
そんな人が心底美味そうに口にしているものに、興味が湧かないはずがない!
それから皆こぞってエールを煽り、カレーを頬張っていた。
「見てごらん、ルナ! あんたの料理は、ウチの連中の舌と心をガッチリ掴んだようだね!」
アニタさんが見せてくれた大鍋はすっかり空になっていた。最後に見た時は十人前は残っていたのに。
「えぇっ!? もうなくなっちゃったんですか!?」
「みんな、いつも以上に食が進んじまったみたいだ。あたしもだけどね」
アニタさんは口を拭って満足そうに笑う。アニタさんの皿に一番多く盛り付けたつもりだったけれど、その皿は綺麗に平げられていた。
「気に入って頂けて光栄です」
「味だけじゃない。あんたが思い出の品をあたしたちに出してくれたってことに、意味があるんだよ」
柔らかい手が両頬を包んで、労わるように優しく撫でる。そして心からの感謝を伝えてくれた。
「ありがとうね、ルナ」
「……!」
アニタさんの言葉に、ふと祖母の背中を思い出した。
祖母も不器用な人だった。あからさまに褒めることはしない。その日は黙ったままカレーを食べていたけれど次の日にはカレー鍋はきれいさっぱり空になっていて、その日のおやつには私が大好きなどら焼きを出してくれた。
いつも高価だからって買ってくれないどら焼きは、それはもう美味しかった。不器用な祖母なりの感謝の表し方だったのだろうと、今も昔も私はよく知っている。
だからこのカレーは私にとって、とても大切な料理だ。それをこのような形でアニタさんに提供したのには大きな理由がある。
「あの……アニタさん、実はもう一つプレゼントがあります」
懐の手帳から、カレーのレシピを書いたメモを差し出した。
「アニタさんがこの料理を気に入ってくださったら、お渡ししようと思っていたんです」
「これは……」
アニタさんはメモを受け取ると、驚いたように目を剥いた。そのメモにはスパイスの種類だけでなく、配合も事細かに書かれているものだったから、その精巧さに驚いたのかもしれない。
「本当にいいのかい? そりゃあたしは嬉しいけど、これはあんたの大事な料理なんだろう?」
「アニタさんなら悪いようにはしないと思っていますので。ただ、一つお願いがありまして」
「いいよ、言ってごらん」
私は一度言葉を区切って、アニタさんを見る。
「このレシピは門外不出、商人ギルドだけの資産にしていただけませんか」
「……なるほど」
その言葉を聞いて優しかった母親のような眼差しからは一転して、商人らしい鋭い目つきになった。
「この様子だと、この料理はかなり人気が出る品物だ。商品化すれば金貨がたんまりはいってくるだろう。それでも、あんたはこのレシピをうちに託してくれるってのかい」
「これを商人ギルドの秘蔵のレシピとして、ブランド化していただきたいのです。そうすればきっと……いえ、必ずアニタさんのお役に立てると思うんです」
「役に立つ、ね」
アニタさんは大きく息を吐いて、そしてレシピのメモを大切そうに懐にしまい込んだ。
「この料理は、うちの食堂の看板メニューにさせてもらうよ。そうだね、次の祭りの出店で街の連中にこいつを振舞ってやってもいいかもしれない」
何かを企むいたずらっ子のように笑い、彼女はひとつウィンクをする。さすがアニタさん、私の意図を正しく理解してくれたようだ。
「限定的な販売は、付加価値を増大させますから。とても良いアイディアだと思います」
「まったく、末恐ろしい子だよ。まさかこんな隠し玉を持っていたなんて」
「これだけでは、アニタさんやギルドの皆さんへの恩は返しきれません。まだまだ精進して参ります」
アニタさんはまるで子供の成長を喜ぶ母のような優しい眼差しで、微笑みかけてくれた。
「あっははは! まだまだ上を目指そうってのかい。欲張りな子だね。そういう子は大好きだよ!」
そして無言でカレーを頬張っているビョルンさんの肩をバシンバシンと勢いよく叩いた。
「ビョルン、あんたなんて拾い物をしたんだい。まるで金の卵を産むクックホッパー(鶏)じゃないか」
「ぐっ…!?」
「まったくあんたは弱っちいねぇ。男ならこれくらい受け流せるようになりな」
「無茶を言うな」
アニタさんとビョルンさんのやり取りを聞きながら、ふと手帳に貼った招き猫のステッカーが目に付いた。
この世界に来てすぐにビョルンさんと出会ったこと。エリザベスさんから毒を盛られた時も、奇跡のようにビョルンさんが現れたこと。その事によってビョルンさんは自身の負債を返済する手段を手に入れたこと。
私にとって災難なことも多かったけれど、結果的にビョルンさんにとって事態の好転を招いているのではないか。
「もしかして……」
『招き猫』は幸運を招く縁起物の象徴。つまり自分に幸運が降りかかるのではなく、身近な人、特にビョルンさんに幸運を引き寄せているのではないのだろうか?
このままビョルンさんの傍にいれば、ビョルンさんに幸運を呼び込める。そうしたら、私を助けてくれた恩を返せるのかもしれない。
「私……頑張りますね、ビョルンさん」
耳の良い彼に聞こえないように、ほとんど吐息に混じった声で覚悟を紡いだ。
ビョルンさんは、こちらの声に気づいたのか、より一層不機嫌そうに、もしくは照れ隠しで鼻を鳴らした。
「どうした。お前もさっさと食え」
「はい、そうします。……って、やっぱり食べるの早ッ!?」
「お前も食えばわかる」
促されるままに、スプーンでカレーライスを頬張ってみた。すると肉と野菜の旨み、そして複雑なスパイスの香りと穀物の香ばしさがじんわりと口いっぱいに広がって、ヒリヒリとした後味すら心地よく感じる。美味しく作れたことに大変満足した。
「そういえばこのお肉って、すごく弾力があって、でも脂身が甘くて美味しいです。一体なんのお肉なんですかね?」
牛か豚、ファンタジー世界なら猪や鹿などのジビエも一般的なのだろうか。
「この肉質なら、ワイバーン肉だろう」
「わ、ワイバーン……?」
書庫にあった生物図鑑の記憶を引っ張り出す。たしかワイバーンは二本足のドラゴンの呼称で……。
「この辺りによく出る魔物だ」
「ま、ま、魔物ぉ!?」
「何を今更驚いているんだ。この間食べた肉も、昨日の白身魚もすべて魔物から得られるものだ」
魚まで魔物なのかこの世界は! これから先も、魔物を食べなければならないってこと!?
「この世界でやっていけるかなぁ……」
そんな泣き言を呟いて、ひときわ大きなニンジンを口に放り込んだ。どうか自分のユニークスキルが、これからの私とビョルンさんの旅路を守ってくれますようにと願いながら。




