22-1.過去の記憶を今に映せば
朝の空気は透き通り、吐く息がほんのりと白く染まる。
通りを埋め尽くす並木は橙や紅に色づき、木漏れ日が石畳にまだら模様を描いていた。
風が吹くたび、葉がひらりと舞い落ちる。乾いた音を立てて路面を転がり、人々の足元でくるくると踊った。
行き交う人々の肩には薄手のマント。子どもたちは落ち葉を蹴り、笑い声を響かせながら駆け抜けていく。
遠くからは、楽団が奏でる笛の音が微かに聞こえた。夏の喧騒がすっかり過ぎ去り、街全体がどこか穏やかで、少しだけ寂しい。
この秋らしさが王都サフィーアの表の顔。裏に潜むように生きる少年には眩しい光景だった。
広い中央通りの端を歩き、深く被ったマントで顔を隠す。
一歩足を踏み出すたびに音をならす中身の詰まったバックパックは、彼の周りにだけ異質な空気を漂わせた。
「ねぇ、あれってもしかして……」
「えぇ。近づかないようにしないと」
井戸端会議に花を咲かせていたであろう女性たち。彼女らの前を通りすぎると、声を抑えてそう話すのが聞こえてきた。
――あまりにも聞き慣れた言葉だ。それだけに、胸にはじわりと劣等感が滲む。
「最近Bランクに昇格したらしいわよ」
「冒険者ギルドは何を考えているのかしら?」
心無い言葉が背後で囁かれ、チクリと刺さる痛みを残した。
これがあの激戦を生き抜いた結果だと思うと、なんともやるせない。
一ヶ月程前に終わった、クレア殺害未遂事件。壮絶な依頼の結末にもなったこの事件の活躍が評価され、ハルトはBランク冒険者にランクアップした。
事件は街に張り出されたり、噂で広まったり、様々な形で国中に広まった。
当然、全てが正しく伝わったわけではない。特筆して、ハルトに関してはかなり偏見が混じっている。
『モンスターテイマーが事件に関わっていた』
『骨狼がザバールで暴れて民間人に危害を加えた』
『ハーピィにクレアを襲わせていた』
上げればキリがないほどだ。クレア自身からの声明で一部の誤解は解けたところだが、ハルトを卑しめる声は依然として、国の裏に蠢く闇の中で囁かれ続けている。
正しい真実より、都合のいい嘘の方が人々には心地よいのだろう。
周囲に人の気配がなくなったところで、胸の奥をざらつかせる何かを、大きなため息に乗せて吐き出す。
――辛い現実ではあるが、好転した部分も確かにある。
ランクアップだけじゃない。翼を持つ少女――ハーピィの『アン』が仲間に加わり、戦力は大幅に増強された。
クレア、ダグラスという、二人の理解者に出会い、立派な家に引っ越すこともできた。
そして今――Bランクとなった自分にきた初めての指名依頼。その依頼を受け、ディートリッヒ商会本部へ足を運んでいるのだから。
――数分後、王都サフィーア中央区『ディートリッヒ商会本部』
「ハルトくん、いらっしゃい。わざわざ来てくれてありがとう」
「いえ、指名をいただけただけ嬉しいです。それも長期で……ありがとうございます」
ハルトが頭を下げると、彼女――クレアは僅かに眉間に皺を寄せ、困ったように笑った。
その隣に立つ男がため息をつくと、腕を組んで口角を上げる。
「相変わらずだな、ハルト」
「ダグラスも変わらず元気そうだね」
「おかげさまでな」
視線を交わした二人の間で、変わらぬ信頼が光り輝いたように感じる。クレア、ダグラス、そしてハルト。欠けてしまった無口な男を記憶の中で見つけると、あの旅の和やかな空気が部屋を満たした。
「……もう一ヶ月――時間が経つのは早いね」
「えぇ。もうあの時のことは夢だったのかと思うくらい」
「……あぁ。懐かしいな」
静寂が三人の間を包む。窓辺から差し込む朝日が、テーブルの上の書類と、彼らの横顔を優しく照らした。
その光に、糸の森にある木屋――木漏れ日の中で語り合ったあの光景が重なる。
クレアはそっと目を瞑り、鼻からゆっくりと息を吸い込む。胸いっぱいの温かさを確かめるように、小さく笑った。
「さて。それじゃあ、依頼の話をしましょうか」
その明るい声が、穏やかな静けさをそっと破る。
ハルトはようやく頭のフード外し、嫌われ者の素顔で口角を上げた。
「――今回の依頼、端的に話すと、今回は護衛をお願いしたいわ」
「護衛ですか?ダグラスと?」
ダグラスはクレアの秘書だが、そのガタイの良さを裏切らず用心棒の仕事も兼任している。
クレアが商談に向かうだけであれば、ダグラスだけでも十分だと思うのだが……。
そう考えているのを見透かしたように、クレアは目を細めて口角を上げた。
「えぇ。今回はただの商談じゃないの。期間は三ヶ月。三回の遠征を計画してて、行先はアメントリから更に先。西に約十日の馬車の旅でたどり着く『芸能の都――ウォパール』」
「ウォパールって確か、吟遊詩人とか大道芸人が集まる都でしたよね?」
「そう。朝から夜中までずっと活気があって、すごく賑やかなところよ」
ウォパール――フォルト王国では三番目に大きな街。ありとあらゆる芸に自信をもつ人が集まり、日夜人々に笑いや感動を届けているという。
観光地としても人気がある街だが、これといった特産品があるとは聞かない。だからこそ、クレアがこの街を目指す理由が分からなかった。
まさか……社員旅行だろうか?そんなことも考えながら眉を顰めていると、クレアは胸を張って背筋を伸ばし、足を組んでハルトの顔を見つめた。
「わからないわよね。でも、この内容を語るには、もう一人役者が必要なの」
「もう一人?ということは……もしかして今回僕を連れていく理由って――」
「うん!ご想像通り、今回の護衛対象は私を含めて二人よ」
そういう事か、と納得すると同時に不安が僅かに顔を覗かせる。
「あの……いいんですか?僕はその……モンスターテイマーですけど」
「私たちが一番信頼している冒険者よ。あなたを蔑むような人だったら、今回の計画は白紙にするわ」
彼女はフンっと鼻を鳴らし、何かを捨てるように空気を摘んで投げた。これが大商会の余裕か。
クレアの気持ちはありがたい。それに信頼しているのは僕だって同じだ。
だが――ハルトが恐れているのは蔑まれることそのものだ。自分が周りにどう見られているかを知っている。奇跡が起きない限り誰かに受け入れてもらえることは無い――そう分かっていても、心のどこかで、クレアたちの信頼を裏切りたくなかった。
「……わかりました。僕とグラ、アンで精一杯役目を果たします」
「大丈夫だ、俺もいる。また賑やかな旅にしよう」
「うん、ありがとう」
低く穏やかなダグラスの声が、心のざわめきを僅かに落ち着かせた。
そして、『またみんなで旅ができる』。その未来が楽しみだと思えた。
「ふふっ、それにハルトくんが心配するようなことは起きないわ。今回の同行者はできた子よ。偏見で物事を判断するような人じゃないわ。そろそろ来る頃かしら?」
そう言って立ち上がったクレアは窓の外を見上げると、顔を照らした日差しに目を細め、手を額に添わせて影を作った。
その時――扉を二回叩く音が部屋に響き、男の声が聞こえてくる。
「クレア副会長、お客様がいらっしゃいました。お通ししても?」
「噂をすれば――入っていただいて!」
溌剌とした声に呼応して、大きな両開きの木戸が開かれる。ハルトは慌ててフードを被り直すと、その扉の先に視線を向けた。
商会員の男が道を開けると、後ろに佇む少女の姿がハルトの瞳に映る。
刹那――ハルトの心臓は跳ね、頭の中を過去のあらゆる記憶が駆け巡り、口を半端に開き目を見開いた。
――
『――ねぇハルくん!今日は何してるのー?』
『――私もこの村に住めたらなぁ……ずっと一緒に遊べるのに』
『ハルくん』『ハルくん!』
『ハルくん……』
『――モンスターテイマーを追い出せ!』
――
「お招きいただきありがとうございます。トワイライト侯爵家長女『カーラ・トワイライト』でございます」




