22-2. 過去の記憶を今に映せば
「お招きいただきありがとうございます。トワイライト侯爵家長女『カーラ・トワイライト』でございます」
礼儀正しくお辞儀をして顔を上げた彼女と視線が交わる。その瞬間、世界がふっと遠のく。耳鳴りだけが鼓膜を震わせ、呼吸の仕方さえ忘れる。
「……カー、ラ」
思わず口に出していた彼女の名前。もう会うことはないと思っていた少女の姿。
カーラも目の前の光景を理解すると共に、徐々に瞼と眉を持ち上げ、口元を両手で覆う。
その姿が胸にじくりと痛みを伝え、忘れていた呼吸を思い出させると同時に息を飲んだ。
「うそ……は、ハルくん――」
目元を潤ませた彼女を直視できず、咄嗟に顔を背けてしまった。
近づいつくる靴の音、荒い息遣いが胸を締めつけていく。僕らはもう……再開するべきじゃなかったのに。
直後――ハルトの身体は押し倒され、すすり泣くカーラの声は耳元に直接届いた。
「ハルくん……本当にハルくんだぁ。会いたかった、心配した、生きてたぁ……」
「カーラ……ごめん、何も伝えられなくて」
「ううん……追い出されたって聞いた。――無事で良かった」
覆い被さる彼女の身体を抱きしめたくなる。しかし、少し持ち上げれたその腕は罪悪感に拒まれ、再び力なく床に落ちた。
状況を理解できないクレアとダグラスは、その光景を見つめたまま固まっていた。
やがて、我に帰ったクレアは二人に近づくと、整理の追いつかない頭から捻りますように問いかける。
「えーっと……二人は知り合いだったの?」
「……はい。僕が住んでいた村がトワイライト侯爵家の領地で――幼なじみ、というか……村に遊びに来た彼女とはよく遊んでいました」
「ぐずっ……幼なじみでいいじゃない。……ハルくんのバカ」
起き上がりながら涙を拭うカーラ。あの頃と変わらない安心感が、今は申し訳ない気持ちに上書きされる。
カーラ・トワイライト――トワイライト侯爵家の長女で、ハルトとは小さい頃からよく遊んでいた友人だ。
昔から明るく活発な人で、父親であるトワイライト侯爵の視察にいつも同行しては、外の世界で見たものをよく話してくれた。
彼女の重さから解放されたハルトは、気づかれないように少しだけ安堵の息を漏らして立ち上がった。
「ふぅー、取り乱してしまい申し訳ございません。改めまして、クレア様、この度は我がトワイライト家との合同事業に合意いただき、ありがとうございます」
「いえ、カーラ様直々のご提案ですもの。それに、これほどにも胸踊る仕事は久しぶりです」
笑顔で語らう二人に、ハルトは気になっていた疑問を投げかける。
「それで、今回は何の目的でウォパールに?」
「あぁ、そうね。役者も揃ったことだし、話を進めましょうか。カーラ様、こちらの部屋へお願いします。ハルトくんも来て」
重厚感のある木の扉が開かれ、隣の室内が見える。この部屋より少し広い部屋。窓には分厚いカーテンが掛けられ、一切の光が入らない。代わりに、天井に吊り下がる大きなシャンデリアが、中心に置かれた豪華な円卓と椅子、部屋の隅の装飾までもを煌びやかに照らしていた。
「……すごい豪華な部屋ですね」
「うちで一番の応接室よ。円卓では平等に交渉ができるから私は好きなの」
椅子に腰掛けると、クッションが上等なソファのように沈み込む。板に触れるまでの僅かな時間で、床に尻もちをつく不安がよぎった。
「さて、それじゃあ説明するわね。今回の合同事業について」
円卓に両肘をつき指を組んだクレアは、早々に本題を口にした。
「カーラ様からご提案いただいた内容は――娯楽文化を広めることよ」
「娯楽文化?」
「えぇ。カーラ様、少しご説明をお願いできますか?」
クレアの声に頷き、口角を上げてハルトに視線を移すカーラ。
しかし、その直後に再び目を潤ませ、感情が昂り鼻を啜り始めてしまう。
眉を下げて引きつり笑顔を浮かべたハルトとクレアに気づき、必死に涙を拭った彼女は、ようやく一言目を紡ぎ出す。
「申し訳ございません。……私が目指すのは、人を笑わせたり楽しませる人々を雇い、ステージ上で披露していただく、娯楽施設の建設です」
娯楽施設……確かにこの国で一般国民ができる娯楽といえば、たまたま来ている吟遊詩人や大道芸人を見るくらいのものだ。休日に必ずいるわけでもなければ、好みのショーを見れるかも分からない。
もしそんな施設が完成すれば、人々は好きな時にステージを見に行き、楽しむことができるだろう。
人々を楽しませる為に投資をする。その考え方が、小さい頃から変わらず他人想いな彼女らしく、眩しく見えた。
「建設に伴う資金の七割をディートリッヒ商会にご出資いただき、物販の経営を商会に一任する予定です。トワイライト家からは雇った人々の管理や報酬の支払いを行う予定です」
「じゃあ、今回ウォパールに行く理由は、雇用する芸人を探しに?」
「うん。あの街に行くのが確実だと思って」
「素晴らしいご判断です」
クレアに褒められると大袈裟に照れてみせる。クレアが和やかな視線を送ると、はっとして姿勢を正し、恥ずかしそうに肩を竦ませた。
「度々のご無礼、申し訳ございません。ハルくんの近くにいると気が抜けてしまって……」
「構いませんよ。久々の再開であるならば尚更のことです」
「……さっさと日程を決めてしまおう。空いた時間、二人で話すといい」
侯爵令嬢相手とは思えないぶっきらぼうな物言いのダグラス。だが、心遣いが嬉しかったのか、カーラは満面の笑みを浮かべてお礼をしていた。
いや、礼儀を気にしない人柄もまた、彼女らしい。
何も昔と変わらないカーラ。その姿を見つめる自分は――彼女にどう映って見えているのだろうか……。
それからは、再び曇った感情を抱えながら話し合いを進め、出発を五日後と決めた。
それから、クレアの好意でこのまま煌びやかな応接室を借り、カーラと二人っきりで肩を並べ座った。
「……」
「…………」
シャンデリアから落ちる光が二人を明るく照らす。しかし、柔らかな空気の中で胸だけが凍えている。
彼女に今の自分を知られるのが怖いのか、それで嫌われてしまうのが怖いのか、今は漠然としていて分からない。
部屋の隅の影だけが目につき、思わず視線を足元に落とした。
何から話すべきか。お互いに最初の言葉を見つけられない。
ふと、カーラの横顔を視界の端に捉えた。ハルトと同じように足元を見つめ、頬を赤らめて硬直している。
そういえば……村を追われる少し前にも、こんなことがあった気がする。
「……いつだったっけ。二人で倉庫に閉じ込められたの」
「あっ、…………ふふっ、村の木でブランコを作って、枝を折っちゃって怒られた時ね」
「あの時も二人で木箱に座って、何も話さなかった」
「あれは不慮の事故なのに……村長さんったら酷いわ」
「いやいや、僕らが二人乗りしたからだよ?」
「そうだった?もう忘れちゃったー」
「そうですかー。……ふっ」
「……ふふふっ」
思い出すとキリがない、二人で過ごした日々の記憶。忘れたなんて言っているが、彼女もまた同じように思い出していることは、表情を見ればわかった。
胸の奥の霧が晴れ、冷え切った心がじわりと熱を帯び始める。
「……ねぇ、ハルくん」
カーラが不意に名前を呼んだ。一度弾んだ心臓をぐっと抑え込むと、その鼓動が指先まで伝わる。
「うん、何?」
次の言葉を複雑な心境で待つ。頭の中で目まぐるしく予想が繰り返され、期待と不安、希望と恐怖がぶつかり合う。
そして――短い沈黙を割いた。
「ハルくん、本当にモンスターテイマーになっちゃったの?」
瞬間、みるみる血の気が引いていく。期待と希望は打ち砕かれ、次には締め付けられた心臓が早く脈打ち、指先は微かに痙攣する。
その言葉が――一番聞きたくなかった。
「……うん」
喉の奥から絞り出した二文字。それをぽつりと落としたハルトはふらりと立ち上がり、重い足を引きずって歩く。
遠くに聞こえるカーラの声は……何を言っているかよく分からない。
ドアノブに手をかけ開い先は――既に建物の外だった。
分厚い雲が空を覆い、先程まであった朝日はもう見当たらない。
フードを深く被り、一歩――石畳を踏むとポツリ。
ハルトを慰めるように降り出した雨は、立ち尽くし俯いた彼を、容赦なく濡らした。




