15-1.忘れていた弱さ
――日没後、フォルト王国の小村『バリサイ』
小さな柵で仕切られただけの静かな小村。その片隅で馬が荒く鼻を鳴らした。土を固めただけの広場に月光が差し、冷たい風が土埃を舞わせる。
一軒の家を訪れたハルトとダグラスは、玄関先で年老いた女性と話をしていた。
「わかりました。また前のところ辺りでしたら、テントを建てていただいてかまいませんよ」
「ありがとうございます、村長さん」
「寝るまでの間、できる手伝いがあれば言ってください」
ダグラスの提案に「あら」と驚いたような村長は、頬に手を添えて穏やかに笑った。
「じゃあ、井戸の水を汲んでいただけるかしら?若い子に頼みそびれてしまって」
「わかりました。ハルト、先に戻っててくれ」
その言葉に甘えて頷く。少し先で荷降ろしをするクレアとオリバーが見え、少し駆け足で砂地を鳴らし、二人に近づいた。
「手伝います」
「あっ、ハルトくんありがとう。でも、ほとんどオリバーさんがやってくれたから大丈夫よ」
「そうなんですね。オリバーさん、ありがとうございます」
「あぁ」
オリバーは軽く返事をして、無言のまま自身の馬車に戻った。やはり人付き合いは苦手なようだ。
「さっ、村の人たちが家に入っちゃう前にお話してきましょう!」
「……ですね」
対して、おしゃべりなクレアがハルトの腕を掴み、揚々と夜道を歩き始める。危うく風で取れそうになったフードを直すと、彼女は無邪気に笑顔を向けた。
――正直、自分ひとりではこんなふうに村人に声をかける勇気は出なかっただろう。だが、クレアが隣にいてくれるから、不思議と安心できる。
「すみませーん!」
「ん?な……なんですかな?」
クレアに呼び止められた初老の男性は、少し頬を赤らめて反応した。十中八九彼女の弾む胸のせいだが、気づかなかったことにする。
「この村の近くに遺跡があるって聞いたんですが、どんなものかご存知ないですか?」
「あ、あぁ。バリサイ遺跡ですな。見つかったのはまだワシも生まれとらんときですが、かなり小さくてボロボロだそうです」
男性の話を真剣に聞く。視線に気づいて照れるように頭をかいた男性は、少し逡巡した後に言葉を継いだ。
「えーっ、あるのは確か岩が積まれただけの小さな部屋で、なんでも、床いっぱいに円形の模様があったらしいです。ワシはそれが何かはわからんですがね」
「円形の模様……クレアさん、何か分かりますか?」
「んー、それだけじゃなんとも言えないわね。考えられるのは転送陣、封印陣、結界陣かしら?」
「確かに、あの遺跡の周りには強い魔物が寄りつかんで、結界の可能性はありそうですな」
クレアが腕を組んで顎を触りながら頷く。難しい顔で真剣に考えているあたり、本当に遺跡が好きなのだろうと感じた。商神の巫女の思わぬ一面だ。
それから、近くにいた数人に声をかけ、バリサイ遺跡について聴き込んだが、これ以上の情報は出てこなかった。
「――ありがとうございます」
「いえいえ、近頃は夜肌寒くなりましたので、暖かくして寝てくださいね」
若い女性との話を終えると、強い冷気を纏った風が吹き、クレアは組んでいた腕を摩った。ハルトも息の濁りが濃くなったのに気づき、次が最後の一人と決めて声をかける。
「あの、少しお話いいですか?」
振り返った男性はハルトの顔を見た瞬間、目を見開き、低く唸るように言った。
「――モンスターテイマー……」
その一言で、二人の背筋に冷たい戦慄が走った。同時にハルトは虚ろな瞳に手が震え、顔に一気に冷や汗を流す。
「……黙ってればバレないと思ったのか?魔物使いが村に入り込みやがって!」
その声は周囲の人々にも届き、ざわめきが広がっていく――
「モンスターテイマーだったのか?!」
「どうしよう、私話しちゃった……」
「村長呼ぶか?」
「いや、今すぐ追い出すぞ!」
この感じ、まただ。蔑まれ、卑下され、助けなどなく逃げるしかない。
「ちょ、ちょっと待って!なんでハルトくんがモンスターテイマーだって……それに彼がモンスターテイマーだったら何が悪いの?!」
「前に見たんだよ!こいつが川で魔物と飯食ってるのをな!!ボーンハウンドなんて村にけしかけられたらどうする?!俺はまだ死にたくない!」
「彼もグラちゃんもそんなことしない!」
庇ってくれているクレアの声が聞こえる。でも無駄だ。この世界は僕を受け入れない。半年前からずっと。
「……お前もこいつの仲間なんだろ?!みんな!この女の言葉に騙されるなー!」
「追い出せー!!」
「出ていけー!」
村人が団結してハルト、そしてクレアを糾弾する。その喧騒が耳に届いたダグラスと村長、そして馬車にいたオリバーが奥から見つめていた。
クレアには、目の前の光景が本当に自分が生まれた世界の光景とは思えなかった。彼はこんな現実の中で半年間も……胸を締め付ける痛みが苦しくて、心臓をギュッと握った。
「出ていけ!モンスターテイマーも、女も、他の仲間も村から出ていけー!!」
刹那――
『――ガッ』
「うっ……」
「ハルトくん?!」
ハルトの額に小石が飛来し、思わず地面にしゃがみ込んだ。流れ出た血が眉間を伝い、鼻先からぽたぽたと地面に落ちていく。
「僕だって……人間なのに……」
ハルトが絞り出した声は罵声に掠れ、暗い星空へ消えた。頭の痛みと胸の痛みに耐えきれず、流れた涙が鼻先で血と混じる。
「……ハルト、クレア、行こう」
ダグラスはハルトの手に布を手渡し、その手を誘導して額を抑えさせた。クレアはハルトの肩を支えながら、騒ぐ村人に唇を噛み締めて鋭い視線を向ける。口から零れかけた怒鳴り声を必死に飲み込み、胸の奥で怒りを押し殺した。
それでも止まぬ罵詈雑言に三人で並んで背を向ける。歩き始めた足の感覚が鈍く、そして重たかった。
――村を離れたあとも、夜風は鋭く冷たく、罵声が耳にこびりついて離れなかった。
「……ごめんなさい……僕のせいで……」
車輪が弾む音に消えるように、荷台に座り込むハルトは同じ言葉を繰り返す。まるで壊れた人形のように。
「ハルトくん、やめて……」
クレアは何度も否定するが、彼の震える声は止まらない。
その時、ハルトの頭の中では、過去の記憶が繰り返し響いていた――
『――モンスターテイマーを追い出せ!』
『いっそアイツも死んでくれたら――』
『――人間面してんじゃねーよ!』
『――モンスターテイマーは悪だ。常識だぜ?』
『追い出せー!!』『出ていけー!』
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
額に当てられた布は真っ赤に染まり、傷の深さが伺える。クレアは謝罪を続けるハルトの手をどかし、張り付く程濡れたその布を取った。床に落とすとべちゃり音を出して飛び散る。
左手でハルトの手を握り、右手でヒールをかける。暖かい光が傷を治癒していくと、傷が塞がっていく共にハルトの顔が歪み、再び涙がボロボロと溢れた。
「ハルトくん……君が抱えてたものは、こんなにも大きかったんだね。……ごめんね、気づいてあげられなくて。……もう大丈夫だよ」
彼の姿を見て瞳の中で灯りを揺らしたクレア。最後に綺麗な布を取り出し、額に残った血を拭きあげると、彼は悲痛な泣き声を夜道に響かせた。




