15-2.忘れていた弱さ
――深夜
耳に僅かな寒さを感じる。辺りは静寂に包まれていた。ハルトは硬い寝床の感覚に違和感を覚えて目を覚まし、幕の隙間から入る柔らかいランタンの明かりで気づく。隣に一人の美しい女性が眠っていることに。
「……へ?!」
「んっ…………スー……スー……」
思わず出てしまった声を抑えるように手で口を塞ぐ。すると、外の明かりが陰り、振り返るとそこにはダグラスの姿があった。
「……身体は大丈夫か?」
「う、うん。ごめん、心配かけた」
「いや……。外で話そう。動けるか?」
「……うん、わかった」
クレアを起こさないようにそっと立ち上がり、ダグラスを追って外へ出た。そこは何の変哲もない草原地帯。夜気に草が揺れ、冷たく頬に刺さる。この時初めて、自分がクレアに顔を埋めて寝ていたのだと気づき、少し頬を赤らめた。
ダグラスが木箱を一つ持ってきて、ランタンの近くに置いた。「座ってくれ」と促されてそこに腰を下ろすと、向いにある木箱にダグラスが座った。
「……びっくりしただろ。クレアが一人で寝かせたくないって聞かなくてな。気まずくさせてたらすまない。許してやってくれ」
「う、ううん、僕こそ心配かけてごめん」
「……落ち着いたみたいでよかった」
穏やかな笑顔のダグラスは、夜空を見上げて呟いた。頭上には無数の星が冴え渡り、草を渡る夜風は冷たくも澄んでいた。遠くで馬の吐息が白く揺れ、湿った土と草の匂いが夜気に混じって漂っていた。
「ハルト……お前の立場をちゃんと理解してやれてなくて、悪かったな」
「……気にしないで、もう慣れっこだよ。旅に出てからすごく少ないくらい」
「……多分、俺なら耐えられない。お前はすごいやつだよ」
「ダグラス……。ううん、何度も折れてきたよ。今もそう。旅で忘れてたことを思い出したから。――僕は嫌われ者だって」
そう言って俯くハルトに、ダグラスはかける言葉を見つけられなかった。ただ、一緒にザバールを脱出し、共に暗殺者と戦ったはずの背中が、やけに小さく頼りなく見えた。胸の奥がきしむ。
「……明日アメントリには、二時間くらいで到着する。買い出しは……オリバーに行ってもらって、荷物を受け取って持ってきてくれないか?」
「うん、わかった。……やっぱり、オリバーには教えられない?」
「……すまない。信用してないわけじゃないんだ。ただ、教えるのはハルトだけにしておきたい」
「そっか、わかった。ありがとう」
また二人の間に長い沈黙が走った。風が草を押し分け、サラサラと擦れる音が耳に届く。ハルトの弱々しい声に、どうしても次を話しかける勇気が出ない。背中を預けられると思えた『勇敢なハルト』と、世界に嫌われた『内気なハルト』、彼が見せる二つの姿が、ダグラスには危うく思えた。
「ダグラス、大丈夫だよ」
その時、ハルトは真上にある月を見つめて呟いた。
「確かに僕は嫌われ者で、ダグラスが思うよりずっとヘタレだけど、それは半年前からそうだから。僕は僕のできることをやるよ」
「……ありがとう」
ランタンの炎が一度大きく揺れ、影が草の上を波のように走った。ハルトの儚げな瞳に月が映り、僅かに上がっている口角が涙腺を緩ませた。
そして、荷台で膝を抱えるクレアの目は僅かに潤み、それを隠すように腕に顔を埋めた。
しばらく静寂に身を委ねていると、近くに建てられていたテントから音がして、オリバーがゆっくりと顔を出した。
「ハルト、災難だったな」
「うん、迷惑かけてごめんね」
「気にしなくていい。……ダグラス、見張りを変わろう」
「あぁ、悪いな。ハルト、お前も休め」
「うん、ありがとう」
ハルトは「おやすみ」と一言残し、ダグラスが建ててくれていたテントの中に吸い込まれていった。
それを見送ったダグラスは馬車の荷台にそっと近づく。
「お前もテントで寝ろよ」
「ぐずっ……うん」
クレアは声を絞り出すように返事をした。
――翌朝、フォルト王国中央付近『名もない草原』
朝日がテントを照らし、透けた光が優しく瞼を叩く。重い体を持ち上げて、ゆっくり身体を起こしたハルトは、怠さを感じる足を踏ん張り、ようやくテントの外へでた。
「あっ、ハルトくん、おはよう」
外に出ると一番に、全身に朝日を浴びるクレアが気づいて話しかけた。ひんやりとした風に揺れる髪と眠気に細める目、穏やかにはにかむ口元が一枚の絵のように美しい。
昨晩のこともあり恥ずかしさが滲んでしまったハルトは、少し頬を赤らめて視線を外した。
「えっと、おはようございます」
「朝ごはん、ダグラスが昨日村長さんにもらったパンで何か作るって。ステラたち呼んで、少し待っててくれる?」
「はい。わかりました」
ハルトを見つめていたクレアはハルトの顔を見て、一瞬思い出したように瞼を持ち上げた。そして再び穏やかな表情に戻り、鼻で深く新鮮な空気を取り込んだ。
「うん!じゃあ、私身体拭いてくるね」
クレアはそう言って、そそくさとテントへ戻っていった。若干接し方に困っているように見えて申し訳ない。
ハルトは少し広い場所に行き、一度深呼吸して肺に空気を取り込むと、右手を前に突き出して仲間の名前を呼んだ。
「グラ、アン、ステラ、出てきて」
ズプズプと闇から顔を出し、各々に身体を伸ばす。ステラは朝日を見て目を細めてから、周りの景色を見渡して首を傾げた。
「……あら?ハルトさん、昨晩は結局野宿されたんですか?」
「うん、ちょっと……トラブルがあってね」
「ハルト、おはよウ」
「ワン!」
「うん。アン、グラ、おはよう」
駆け寄ってきたグラの頭を撫でてやると、細い尻尾をブンブン振って、喜びを表現した。
「今日は出発して二時間後にはアメントリに到着するから、その頃にはまたアビスに戻ってね」
「わかっタ」
「ワン!」
「わかりました……ハルトさん」
「うん?なに?」
「……いえ、やっぱりなんでもありません。困ったらいつでも呼んでくださいね」
「……うん、ありがとう」
ステラはさすが母親……ということだろう。何かを察したように眉を下げ、困ったように笑みを浮かべていた。
ハルトも一度テントに戻り、濡らした布で顔や身体を拭いた。少し身を清められたようでスッキリする。それから外に出ると、ステラは出てきたクレアと談笑していて、グラとアンがその近くで追いかけっこ始めていた。
朝露に濡れた草を踏みしめ、冷たい風が頬を撫でていく。馬たちが鼻を鳴らし、草原に頭を下ろして草を貪っていた。ハルトはゆっくりと身体の向きを変え、自分のテントを片付け始める。
その時、後ろから近づく足音に気づき、腰を上げて振り向いた。
「あ、オリバーさん、おはようございます」
「あぁ」
短く返事をし、見つめてくる。どう反応すればいいかわからず苦笑いを浮かべると、彼は徐に右手に持っているものを無言で差し出した。
「えっと……これは?」
「武器が折れただろ?やる」
「えっ?」
包んでいる布を解き中身を見ると、革の鞘に刀身を隠した重みのあるナイフが露になった。そっと抜いて見ると、青く輝く刃が目に入り目を丸くする。
「オリバーさん!これって相当いい物なんじゃ?!」
「かまわない。以前仕留めた盗賊が持っていたものだ。手入れはしていたが俺は扱えないからな」
「あ、ありがとうございます!」
悩んでいた事を忘れてしまうほどの品に、ハルトは思わず大声でお礼をしていた。それを聞いたクレアとステラが、ホッとしたように見つめてきて、少しだけ恥ずかしさを覚える。
オリバーはいつも通り「あぁ」とだけ残し、ダグラスのところへ歩いていった。
もう一度鞘から抜き、その全貌を見る。濃い青が朝日を反射して煌めき、尖った切先が強く輝いた。柄は滑り止めの布が巻かれていて鍔はなく、繋ぎ目も見当たらないことから、それが一つの素材で全て作り上げられたものだと分かる。
「……すごい」
ハルトはその言葉しか見つからないほどに感動し、しばらく刃を見つめ、感触を探るようにナイフを振った。
――やがて、パンと干し肉を煮込んだ簡素なスープの香りが、朝の草原に漂ってきて、ハルトはナイフを鞘にしまった。
鍋をかき混ぜるダグラスの横で、クレアが木皿を並べている。
「さ、できたぞ。冷めないうちに食べてくれ」
「わぁ、いい匂い!」
クレアがスプーンをすくい、ふぅふぅと息を吹きかける。その笑顔につられて、ハルトも少し肩の力を抜いた。
「……あの、ダグラス」
「ん?」
「今日は僕が手綱を握ってもいいかな? 身体を動かしてたほうが落ち着くんだ」
言いながら、ハルトは落としていた目線をゆっくり上げ、まっすぐにダグラスの瞳を見た。ほんのわずか震えが混じっていたが、それでも退かぬ意思を宿している。
ダグラスは一瞬だけ迷いを見せた。けれど昨夜の出来事を思い返したのか、すぐに大きな手でハルトの肩を軽く叩き、頷いた。
「……わかった。無理はするなよ」
「うん。ありがとう」
その一言で胸の奥が少しだけ温かくなる。ハルトはスプーンを握り直し、黙々と食事を口へ運んだ。味はよくわからなかったが、噛むごとに気持ちが落ち着いていく気がする。
早々に木皿を洗い、忘れていたテントを慌ただしく畳んで荷台に積み込む。仲間たちはそれぞれ片付けや馬の準備を進めていたが、時折ハルトの背に目を向けていた。心配する視線、信じる視線――それらが少し重くもあり、心強くもあった。
草原には朝の光が一層濃く差し込み、夜露に濡れた草葉がきらめいている。澄んだ空気を大きく吸い込み、ハルトは手綱を握った。
「よしっ」
ダグラスの号令に合わせ、仲間たちが次々と荷台へと乗り込んでいく。最後に振り返って、もう一度だけ草原を一瞥する。――さあ、進もう。
ハルトは両手で手綱を弾き、馬たちが力強く地を蹴る音を聞いた。




