二十六 説得
レオンの元に駆け付けたビアンカは血塗れのその姿を見て息を呑んだ。身体のあちこちに裂傷を負い、特に腹部を横一文字に斬り裂かれた傷はかなりの深手と見える。
中原に名を馳せた武人であるレオンがこの有り様とは、如何に対峙する相手が手強いかがわかる。
ビアンカは己に課された任務を遂行する為、レオンと向き合った。
「レオン、ここまでよ。マナリア軍が混乱しているこの隙に撤退しましょう」
ビアンカの進言を聞いたレオンの表情が険しくなる。
「援軍に駆けつけてくれた事、感謝する。だが、俺達に撤退の意思はない。マナリアの外道を目の前にして背を向けるなど、断じてできない」
「この機を逃せば多くの将兵が死ぬ事になるわ。そんな事になれば、カナン王国は本当に滅亡する」
「俺達は負けない! ネフェルシスの素っ首を叩き落とすまで止まる事はない!」
「そうだとも!!」
「レオン様、いきましょう!!」
「レオン!」
「勇敢なるカナン軍人は外道を前にして恐れる事も怖気づく事もない!」
ザッハークの術中にある兵達に扇動され、レオンはビアンカを押し退けて進もうとするのだった。
◇
ビアンカがレオンの説得に当たっているのと同時、二人の騎士が下馬し、ペドロサと対峙していた。
グフタス・アードラーとローレン・アードラー。
ヴェリア王国が誇る不敗の第一部隊に所属し、その中でも猛将と誉れ高い親子だ。
目の前で敵意剥き出しで武器を構える両名に、ペドロサは不敵に笑う。
「宣戦布告も無しに攻め込んで来るなんていい度胸してるねぇ。おまけに軍旗も掲げずとは姑息にも程がある。マナリアにどこの国か知られるのがそんなに恐いのかい?」
「黙れッ! マナリアの外道に言われる筋合いはないわッ!!」
「魔道を用いて正気を失わせ、自らに有利な地で待ち伏せ。どちらが姑息か、貴様の台詞そっくりそのままお返しする!」
「おや? 魔道の事知ってんのか? まあいいや、取り敢えずさ」
一瞬で距離を潰す踏み込みを見せ、ペドロサは自らの間合いとした。直後に繰り出されたのは、三人を両断したあの一振り。
「最速であの世に逝ってよ!」
「やべえ!」激昂し、反応が鈍ったグフタスに死の銀閃が襲い掛かる。が、そこは双戟を構えていたローレンが、必死の受けで防いだ。
鋼同士がぶつかり合う衝撃音が響く。
「ぬおぉッ!!」ローレンの前腕が隆起し、足元の地面が抉れる。その重さと威力は今までに経験した事の無いもの。
「へぇ、俺の一撃を受け切れるやつが南方小国群如きにいるんだ。腕力だけならさっきまで闘ってたやつより上かもねぇ。だけど」
繋がるように前蹴りが放たれ、ローレンは防ぐ間もなく鳩尾を蹴り抜かれた。
「動きが止まってるよねぇ」
急激に呼吸困難に陥り、体が前のめりになる。そして、その首を叩き落とさんとペドロサの薙刀が上段から振り下ろされた。
「させんわぁッ!!」
両手持ちから振り抜いたグフタスの戦槌が、ペドロサの薙刀を弾き返す。親子同士、互いの命脈を断つ一太刀を紙一重で防ぐ、正に決死の闘い。
「ぐっ、と、父さん、すみません」
「おうよ。回復するまで休んどけ。それまで俺が相手しといてやる」
鳩尾への痛打はローレンの手足を痺れさせ、一時的にその機能を鈍らせる。子を庇うそのやり取りを見て、ペドロサの顔が悦に歪む。
「くくっ、そうだよなぁ。順番を間違えちゃいけねぇ。おっさん、アンタから死のうか」
比喩なんかではなく、獰猛な禍々しい闘気がペドロサの体から発散されているのがわかる。
くそ、ビアンカ早くしてくれよ。俺じゃこんな化物いつまでも抑えてられねえぞ。
狂犬の笑みと、先程の鋭い踏み込みを見たグフタスはそんな焦燥に駆られるのだった。
◇
パンッ!
乾いた音が鳴り響く。ビアンカの平手がレオンの頬を張った音だった。
「カナンを導くあなただからこそ恐れなさい! 兵士達の怒りの炎が自らをも焼く前に! 今の行動をジークフリート国王陛下が喜ぶと思っているの!?」
「ビアンカ……。兄、上が?」
レオンの中に生死の境を彷徨うジークフリートの姿が想起された。同時に冷静なビアンカからは想像もつかない感情的なその姿に、鋼の様に固いレオンの意思が揺らぐ。
レオンの瞳に正気の色が差す。
「ビアンカ、きみの言う通りだ。俺は自らの一存でカナンを滅ぼしてしまうところだった……」
頑なだったレオンの徹底抗戦の意思は、ビアンカによって絆された。ビアンカの必死の訴えは、ザッハークの呪術をうち破ったのだ。
「マナリアの非道なやり口に憤るのは無理からぬこと。マナリアには必ず報いを与える。だけど今はまだその時じゃない」
「そうだねビアンカ。こんな様ではフローラにも合わせる顔がないな」レオンは自嘲気味にチラと笑った。
しかし、その光景は当然この男に見られている。
「ほう、あの娘もレオン公のザッハークを破るか。だが儂がいる限り無駄なことよ」
魔道士ゲルル。この老魔道士が、黙って見過ごすはずがなかった。




