第8話 日高誠と十の指令
「魔法で未来を変えてはならない」それは魔法使いの絶対のルール……らしい。なので全てを元に戻したつもりだったのだが……。
今度は、テニスラケットを移動した時の魔法に違法性があると、魔法士協会から指摘されてしまった様だ。
……正直、何が何だか良く分からない。
俺は今、水鞠コトリに言われるがまま、朝から魔法陣を作っている。
作り方は簡単。十枚のシールを決められた時間、場所にシールを貼るだけだ。それで俺の魔法を解析出来る魔法陣が作れるらしい。
雑なファンタジーに付き合うのもこれで最後だ。早く平穏な日常に戻らせてくれ。
「思ったより順調だね」
三時間目終了後の休み時間。廊下で水鞠に進行状況を報告すると、そんな能天気な返事が帰って来た。
「校舎裏、体育倉庫。それぞれ休み時間に行ってシールを貼って来ただけだからな」
指令一とは違い、授業を抜け出す必要が無かったから余裕だった。
水鞠は満足そうな笑みを浮かべる。
「この調子ならアタシはサボ……じゃなくて、見守っていても大丈夫そうだね」
コイツ……。俺に丸投げするつもりだろ。本当に酷い魔法使いだな。
「不安しかねぇよ。次の校門はともかく、放課後の女子陸上部の部室ってのが事件が起きる要素が満載だろ。むしろ前提だろ」
「それは対策済み。問題無いよ」
そう言って笑顔でピースサインを作る水鞠。軽く腹が立って来た。
この一件を終えて望み通り俺の記憶が消されたとしても、周りが俺の変態行動を覚えていたら意味が無い。むしろ最悪だろ。大丈夫かな……本当に……。
ああ、ヤバい。寝不足も相まって意識が飛びそうだ。あ──眠い……。
「痛っ!」
また脇腹に謎の激痛が走り、目を覚ました。
誰なんだよ……さっきから腹を殴りに来てる奴は。
周りには誰も居ない。今は四時間目の授業中で、俺は居眠りをしてしまったらしい。
ボヤけた目を擦り時計を見る。ヤバい。「指令四」実行の時間だ。またギリギリになった。
担任からトイレに行く許可を得て教室を出る。
指令四 校門
教師に見つかったら厄介だ。まあ、強引に貼りに行くしか無い訳だが。
教室を出て階段を下り、誰も居ない廊下を走る。
寝不足のせいで体が重い。すぐに息が上がり、吐きそうになる。遂には視界の中央が歪んでいる様に見え始めた。これは完全に重症だ。
「……!?」
違う。本当に歪んでる!?
長い廊下の一本道で足を止め、目を凝らす。
そうだ。間違い無い。そしてこの皮膚を刺す感覚……。微かに聞こえる金属音……。
廊下の先が蜃気楼の様に揺らめき出す。
そして黒い霧の様なモノが発生し、一箇所に集中して行く。
「影……なのか……?」
人の欲望や恨みが生み出す異質な存在……なのに何で俺が狙われるんだよ。
きっと水鞠なら気付いて助けに来てくれる……。
いや、ダメだ。水鞠は来ない。
魔法使いは影を感知出来ないと言っていたな。こんな事なら水鞠に連絡先を教えて貰えば良かった。助けを呼ぶ手段が無い。
『キキキキ、キキキ……』
黒い霧が人型に変化し、謎の金属音を発生させた。
昨日見た奴とは違う。頭が燃えている……? いや、炎が逆立つ髪の毛の様に蠢いている。何だこれは!?
身体の震えが止まらない。
意外な行動に弱いと言っていたが、この影は何の理由で現れたのかが分からない。だから、俺には対処方法が思い付かない。
逃げよう。
うん。魔法陣作りは諦めよう。決意を胸に一歩、二歩と下がる。
突然、視界が真っ白になる。
「何だ……!?」
耳元で轟音が鳴り響く。熱風が吹き荒れる。幻なんかじゃ無い。何かが起こっている。
『キキ……キキ、キキキ……』
次の瞬間、目の前にいる影が、炎を上げながら燃え出した。
バキバキと音を立て、砕けた破片を飛び散らせながら、その形を失って行く。
「魔法だ……」
そう理解するよりも早く、炎が不自然な動きをしながら地面の一点に吸い込まれる。同時に「影」も消えてしまった。
あれだけ激しく炎が燃えたのに、廊下は何一つ変化した所が無い。
「水鞠か?」
背後に人の気配を感じて振り返る。
いや、違う。水鞠コトリじゃ無い……!?
そこに居た人物の姿に驚いた。
フワフワの茶髪、大きな瞳。小柄な身体をさらに小さく縮めて、心配そうな表情で俺を見ていた。
「大丈夫? 日高くん」
高崎花奈だ。
俺が引き寄せたペンケースの持ち主。そして同じクラスの気になる女の子だ。
「どうして高崎がここに?」
すると、高崎はキョトンとした表情に変わる。
「私、保健委員だから、様子を見てくる様に先生から言われて……。日高君、朝も体調悪そうにして教室から出て行ったでしょ?」
何だよ先生。余計な事してくれたな。
保健委員ってそんな事もするんだっけ?
でも高崎はさっきの不思議現象を見ていなかった様子だ。助かった。
「悪い高崎。一人で大丈夫だ。先生に伝えておいてくれるか」
そう伝えると、高崎は「ぱぁっ」と明るい笑顔になる。
「分かったよぉ。伝えるね」
そう言って小走りで教室へ戻って行った。
高崎の姿が視界から消えたのを確認すると、俺はまた校門へ走り始めた。
無事到着すると、早速校門の裏側に「白ねこムヒョー」のシールを貼り付ける。
時間ギリギリ。指令四クリアだ。
まさか影が出て来るとは思わなかった。面倒臭い事になったぞ。水鞠に話しておかないとな。
昼休みに入ってすぐに、教室が騒つき始めた。
「日高!」
そして教室の入口から名前を呼ばれる。水鞠の方から一組の教室にやって来た。教室がさらに騒めく。
「日高! また来たぞ!? いつの間に水鞠と仲が良くなったんだよ」
細い目を丸くした吉田がさっそく喰い付いて来た。吉田だけじゃ無い。クラスは興奮気味だ。
「まあ、最近な。科学部に入ろうか相談している所なんだよ」
とりあえずの嘘だ。入るつもりは無い。
すると吉田のテンションが上がる。
「化学部!? まさか水鞠に惚れたか?」
「何だそれ」
「入学当初、水鞠目当てで入部しようとした奴がたくさん居てな。でも何故か全員辞めたらしいぞ」
水鞠は人間離れした謎の可愛さがある。どうやら一部の男子生徒には人気の様だ。
彼女が俺の部屋のベッドに座った事があるなんて言ったら驚くだろうな。そして吉田。忘れているが、お前は水鞠に一発殴られているからな。
水鞠と廊下で対面する。教室からの視線が痛い。
「上手く行ったみたいだね」
「どこがだよ。野生の影が現れたぞ。すぐに丸焼きになったけどな」
「その様だね」
「知っているのか」
やはり水鞠が絡んでいたらしい。
「報告を受けたんだよ。『嫉妬の影』だね。一番多いタイプだよ。頭の上の炎を消すか、それを上回る炎で焼き尽くせば倒せる」
「何で俺が狙われた?」
「おそらく、影を生み出した改変者は昨日と同じ人間。岸本さんの近くに現れた日高に嫉妬した」
そう言って水鞠は欠伸をすると、右手をピストルの形にして、俺の胸を撃つ仕草を見せる。
「昨日で全てが終わった話じゃ無かったのかよ……」
「基本的には影を消滅させた後、本体は改変者の力を失う。でも、今回はまた別の種類の影を生み出した」
ストーカーの次は嫉妬かよ……面倒な犯人だな。
「まだ影が出る可能性が有るって事か?」
「分からない。でも安心して。今の日高は水鞠家の魔法使いによって守られている。自分のミッションに集中すれば問題無いから」
またもやピースサインを繰り出す水鞠。
俺を助けたのは水鞠コトリの仲間らしい。
本当にいたんだな。協力者って奴。
「じゃ、よろしく」
水鞠はクルリと反転すると、針金の様な真っ直ぐな髪がカーテンの様に翻る。
……やるしかないか。
後姿を眺めながら、覚悟を決めた。
影が出なくなったのか、水鞠の助けがあったのかは分からない。その後は次々と指令をクリアして行く。
そしてついにその時がやって来た。
指令九 十七時十六分 女子陸上部 部室 奥の壁
放課後。水鞠と合流し、部室棟へ移動する。
俺の不安気な表情を見ると、水鞠は察した様に疲れた猫の目を向けて来た。
「心配しなくていい。作戦がある」
「誰かに見られたら、魔法パンチでも喰らわせるのか?」
喰らった吉田は記憶を失ったままだ。そのせいなのか色々おかしい事になっている。……まあ、元々なのかも知れないが。
「シールを貼る場所の近くは魔法は使えない。魔法陣に悪い影響が出る。そもそも記憶を操るには条件をクリアする必要があるし、魔力を大量に消費する」
水鞠が何故か不機嫌そうに答える。
吉田の時は何の条件をクリアしているのかは謎だが、そういう事になっているらしい。益々訳が分からない。
女子陸上部の部室は校舎から離れた部室棟の二階にある。二階建ての部室棟は一階が男子、二階が女子の部室に分かれている。
つまりは、男子である俺が、二階に居る所を誰かに見られたらそこでアウト。翌日から優しい高崎ですら声をかけてくれなくなるだろう。
さらに部室内に居る所を見られたら間違いなく生徒指導室行き、もしくは警察沙汰だ。
その後、平穏無事に学校に居られるか自信が無い。
部室棟の二階に上がる階段の側に水鞠と待機する。部室棟に人の気配が無い。
「人払いの術式を使っている。でも、かなり最小限に抑えているから油断しないで」
どうやら魔法の力らしい。なら話が早い。
「了解。行くぞ」
小走りに階段を駆け上がる。すぐ後に水鞠が付いて来る。
水鞠を扉の前に見張りとして立たせ、俺だけが部室に侵入した。
狭く細長い部屋だ。壁には大きめのロッカーが並んでいる。
迷わず奥に突き進む。突き当たりの壁にシールを貼って……よっしゃ!指令九クリアだ!
「これで一安心だね」
水鞠が背後で呟いた。俺は振り返り、硬く握手をする。
俺達はやり遂げたんだ。この難関を乗り越えた。何だかんだで達成感が心を満たして行く。
……んん?
「ちょっと待て。何で部室内に水鞠が居る?」
入り口の外で見張りをしているはずでは……? 入って来ちゃったの!?
外から何か音がする。誰かが階段を上がって来ている!?
そのまま足音が近付いて来る。女子の話声も聞こえる。一人じゃない。
「人払いの術式はどこへ行った!?」
魔法で人が入って来れないんじゃなかったっけ?
どうする!? 水鞠と視線を交わす。水鞠は冷静だ。焦った様子を見せていない。何か対策があるんだな?
「…………水鞠?」
水鞠は動力の切れたロボットの様に動かない。そして巨大な鼻ちょうちんを作り出し、フラフラと揺れだした。ちょ、嘘だろ!?
こいつ……立ったまま寝ちゃってるよ……。
魔法を使い続けて昨日寝てないって言ってたしね。ミッションが終わって、緊張の糸が切れたんだろう。
「水鞠! 起きろ! 水鞠!」
肩を揺らし、再起動を試みる。だがスリープモードは解除されない様だ。むしろ白目をグルリと見せて来た。うおっ!? 怖ッ!
最悪だ。ここは男子立ち入り禁止の部室棟二階。しかも部室内だ。
やって来た陸上部の女子生徒から見れば、部室の扉を開けたら関係の無い男女が何故か居る事になる。事件だよ!
そうなった後、魔法で全て無かった事に出来るのか? 水鞠が寝ている今、確認も出来ない。
……悩んでいる場合じゃない。
水鞠を抱き抱え、強引に移動させる。そして奥にあった大きめのロッカーの扉を開けて押し込んだ。これで良し。
いやいや。水鞠をロッカーに入れたのはいいけど、俺が丸出しだよね。むしろ状況が悪化してるよ!
入り口のドアからガチャリと音がする。
俺はもう一度ロッカーの扉を開き、中に潜り込んだ。
部室のドアが開くと同時にロッカーの扉が閉まる。
数人の部員が部屋に入った様だ。
今の所問題は起きていない。よかった。何とかなりそうだ。どうにか二人で隠れる事が出来た。このままやり過ごそう。
水鞠と俺は二人仲良く真っ暗なロッカーの中に居る。
大きめと言っても高校生二人が入ればもうキツキツだ。二人立ったまま密着状態になっている。
外では部員同士で何やら会話をしている。
だが、そんなもの耳に入るはずもない。今この用具入れの扉を開けられたら確実にヤバイ。盗聴や盗撮も疑われる、危機的状況だ。
平穏な日常を目指していたはずの人間が、何で一ヶ月やそこらでこんなシチュエーションに陥っているんだよ……。どう考えてもおかしいだろ……。
ガタン。
ロッカー内の何かに接触して音を立てた音だ。姿勢が辛くて動いてしまった。
静まり返る部室内。
気付かれた……? 自分の心臓の鼓動だけが激しく刻む。外の状況は分からない。
こうなったら水鞠をどうにか起こして、このピンチを回避するしかない。でもどうやって?
辛うじて右腕が動く。でも可動範囲が限られている。この状態で水鞠に触れられて、後で怒られない場所……。
耳を引っ張る事にした。
「ひぁあああああ!?」
「えええええええ!?」
水鞠の上げた大声に驚いて足が滑った。
ガゴンッといった大きな音を立て、ロッカーの扉が全開になる。二人は入っていた用具もろとも勢い良く部室に投げ出された。床に倒れ込む水鞠と俺。
終わった……何もかも……。覚悟を決めるしかない。
部室内に悲鳴が響……あれ? 響いてない?
何故か静寂が包み込んでいる。いきなりロッカーから人が出て来て声も上げられない状況なのか?
俺は恐る恐る顔を上げる。部室内の状況を確認すると、大きな溜息を吐いた。
そこにはもう、誰も居なかった。
どうやら部員達は用事が終わり、部室を出て行った後だったらしい。あ、危ねぇ……命拾いした。
そうだ。今の内に脱出しないと。
落ち着いている場合じゃない。立ち上がろうとしたその時、女性の声が聞こえた。
「大丈夫ですか? すごい音でしたけど」
誰かが部室の外に来ている。
どうやら大きな物音を聞こえたので心配して来たらしい。この声、何処かで……。
そうだ。岸本紗英だ。
タイミング悪すぎだろ! なんでいつも俺に絡んでくるのか。
ドアノブが回る。
走ってドアに鍵を掛ければ時間を稼げる。岸本は部室の鍵を持っていない。
動こうとしたその時、さっきまで寝ていた水鞠が俺の腕を掴み、そして引き寄せた。
「大丈夫」
「……!?」
言われた通りだった。岸本が入って来ない。何でだ?
「……」
「……」
誰かと話をしている様だ。内容までは聞こえて来ない。
しばらくすると、足音が遠退いて行く。
助かった……のか?
水鞠はゆっくり立ち上がり、閉まったままの扉の前に立つ。
「ありがとう。もう戻っていいよ」
扉の反対側に居る誰かに礼を言った。するともう一人の足音も消えて行く。
「誰だったんだ? 今の……」
俺の問いに水鞠は振り返る。
「協力者。水鞠家に仕える魔法使い。この学校に二人居る。コードネームは『弓』『壁』。今助けてくれたのは『弓』」
「まるでスパイだな」
魔法使いってのはいろいろ面倒臭いな。影を燃やしたのもそいつだったのか。
なんて落ち着いている場合じゃない。散乱させてしまったロッカーの中身を片付け、俺達は急いで脱出した。
「やっぱりね」
そう呟いた後、水鞠が部室棟の側にある水道の下を覗く。
「どうした? 何かあったのか?」
「人払いの術式が破壊されていた」
水鞠は壊れた術式の片付けを始める。割れたガラスコップにスプーン、折った割り箸が見えた。出た。また雑なファンタジーだ。
「影の仕業か?」
「違う。これは魔法使いの仕業だね」
「魔法使いに邪魔されたって……どういう事だよ!?」
影に襲われた後は魔法使いかよ……。初めの楽観的な流れは何だったんだよ。
水鞠は手を口に当て、大きな欠伸をする。
「今は水鞠家の信用を落としたいと考える奴らもいるし、これから調査するよ」
そしてムニャムニャと答える。
何か面倒臭い事が起きてない?
「日高……言っておきたい事がある」
さっきまでとは一転し、鋭い眼差しを向けて来た。やっぱり深刻な事態になっているのか?
「アタシが寝てた時、変なコトしてなかったでしょうね!?」
そこかよ!?
「し……してねーよ!」
即否定する俺。
「あと、耳触るの禁止だから!」
顔を赤くして、耳を押さえる水鞠。
いや、本当……どうでもいい……。
何度も修正を繰り返している第一章ですが、この魔法陣作成の話は初期から残っています。
舞台説明と水鞠コトリと距離感を縮める目的で用意した話で、日高とピンチになり、弓の魔法使いに助けられる展開はずっと変わっていません。
初期プロットでは、女子テニス部部室に隠れて岸本紗英と絡む流れだったのですが、さすがに都合が良過ぎだったので、女子陸上部に変更しました。
最新の修正では、日高の妙なテンションを押さえ、巻き込まれた状況にうんざりしている雰囲気になっています。