第15話 南部戦線異状アリ その1
帝都から馬車に乗って南下すること三十日と少し。
途中で襲いかかってきた盗賊やゴブリンなどの小物を蹴散らしつつ、
オレ達は正体不明の魔物とやらと対峙する南方諸侯連合軍の陣地に無事到着した。
「ねぇステラ、あれって結局何だったの?」
馬車の中でも何度か交わされたテニアとの会話。
わざわざ出立を遅らせてまで受けた依頼の件。
内容は、ただの農家の害獣退治で、
報酬も微々たるものだったのだが。
「まぁ、そのうちにな~」
「焦らすねぇ」
ニヤニヤ顔で笑うテニアに、
興味深げにこちらを見上げるクロ。
「まぁ、役に立たなきゃそれに越したことはないだが」
これまでの経験と照らし合わせてみても、
何事もなく終わるとは思えない南方行である。
……爺さんの勘の件もあるしな。
☆
『無事に到着したことを帝都に報告する』と言って帰還するクロム卿。
別に急がなくてもいいと言ったのだが聞き入れてくれる風でもなく、
馬首を巡らせる若い騎士を見送っているオレ達に、背後から南方訛りの声がかけられる。
「これはこれは、ステラ=アルハザート様。遠路はるばるようこそいらっしゃいました」
陣地に着くなり大仰なあいさつをくれた鎧姿の男は、
南方諸侯の一人、ベントハウゼン男爵と名乗った。
貴族というからにはこの男も召喚術士――と言いたいところだが、
男爵位あたりだと必ずしもそうでもなかったりする。
「少し寄り道したせいで遅れちまった」
申し訳ない、と頭を下げる。
男爵はそれほど気分を害している様子を見せることはなく、
諸侯たちが集っている陣幕に案内してくれるというので、
大人しく後を付いていくことにする。
しかし――
「ねぇねぇ、ステラ」
「……何だよ?」
「あ~いや、何かさ……ここ雰囲気悪くない?」
気になってたが黙ってたことをサラッと口にしてくれるな、テニアは。
「これは痛いところを……」
恐縮する態の男爵だが、口元は引きつり眉間に皺が寄っている。
ここまで真正面から突っ込まれたことがなかったのだろう。
「将軍からはあまり詳しい情報を聞いてないんだが、そんなに厳しいのか?」
「それは……後で南方伯から説明いただきます」
「分かった、それまではこちらからこれ以上は問わない」
ご配慮、感謝いたします。
神妙な口調の男爵。
あまり人目につくところで話したい内容ではないらしい。
「つーわけだから、お前ら静かにしてろよ」
「はいはい」
軽薄にも聞こえるテニアの声。
「クロ?」
「え、あ……わかったにゃ」
心ここにあらずといった相棒の様子がどうも気になる。
帝都にいたころともまた異なる感じで、
「……何か気になるのか?」
「にゃ。何と言ったらいいのか、こう……吾輩の髭が震えておるんにゃ」
いつもの戦いを前にした興奮とは違うらしい。
ということは、クロの本能が何かに恐れを覚えているということだろうか。
よくよく観察してみると、様子がおかしいのはクロや周囲の兵士たちだけではなく、
黙々と前を歩く男爵の背からも、どことなくすすけた雰囲気が漂っている。
――爺さんの『勘』といい、嫌な予感がしてきやがるじゃねぇか。
☆
案内された陣幕の内側は、外に漂っている雰囲気を何杯にも凝縮した空気に包まれていた。
ようこそいらっしゃいましたと先に挨拶してくれたのは、
この諸侯連合軍の総指揮官であるレンダ南方伯。
これ見よがしに『万象の書』を腰に下げた典型的な貴族であるが、
その表情は暗くやつれ、肌もカサカサ。
――かなりキてるな、こりゃ。
「ああ、遅くなった」
あえて外見については突っ込まず、
申し訳ないと素直に頭を下げるも、まるで打ち解けた風にはならず。
「これは一体どういうことですかな?」
口火を切ったのは南方伯の後ろに控えていた名も知れぬ貴族。
同席していた周りの貴族たちが押しとどめるのを無視して、
容赦なくこちらに舌鋒を飛ばしてくる。
「我々は中央に増援の派遣を要請していたのですぞ」
それがやってきたのは小娘他たったの三人。
中央軍は一体何をやっているのか。
我々外様を軽んじるのも時と場合を考えていただきたい。
男は口を開くごとにどんどんヒートアップして、
抑えに回っていた周囲も次第に同調する空気を見せる。
「言いたいことは分からいでもないが、中央にも事情がある」
前置きしてから、あらかじめルドルフと相談して決めた範囲内で事情を語る。
皇帝陛下不予から始まる帝都近郊の緊張感の高まり。
中央軍は万が一に備えて帝都近隣に待機を余儀なくされ、
現状ではここだけでなく余所には手が回っていないこと。
皇帝陛下の容態に触れたあたりで陣幕内のうち一部の顔が強張り、
中央に座る南方伯をはじめ、どこか今の状況を受け入れる様子がうかがえた。
突然倒れて『万象の書』の継承が滞るというのは、
彼ら『本』持ち貴族にとっては他人ごとではない。
「それで、陛下のご容態は?」
「帝都の医師や錬金術士が総力を挙げて治療中だ」
更にエルフの協力を得るため使者を出したところと続ける。
自分はそのあたりには疎いから、別の者に任せてこちらに足を運んだということを告げる。
「なるほど、そのあたりに疎いままこちらの事情ばかりを押し付けてしまって申し訳なかった」
白髪交じりの頭を下げる南方伯。
「今度はオレ達にも、こちらの状況を教えてもらえないか?」
何しろルドルフからは『正体不明の魔物に襲われている』としか聞いていないのだ。
そう情報の共有を図ろうとしたところ、南方伯が怪訝な顔を見せる。
「それは、随分と古い話ですな」
「古い?」
「ええ、我々は『アレ』と何度も戦い、その都度早馬を走らせております」
「なんだって!?」
南方伯の言葉が正しければ(まあ、この状況ですぐにでもバレそうな嘘は言わんだろうが)、
ルドルフが故意に情報を隠蔽したか(まあ、あの爺さんに限ってそれは無かろう)、
あるいは――
「ルドルフ将軍は、つい最近耳にしたと言っていたぞ」
といっても馬車で移動した時間を鑑みれば大分前の話になるが。
こちらの言葉に驚いたように目を丸くする、憔悴したレンダ南方伯。
「失礼ですが、あなた方がここに来られるまでには何かございませんでしたか?」
「う、う~ん」
オレの感覚では『特に何もなかった』というところだが……
クロとテニアに視線を向けても首を横に振るばかり。
「これと言って大したことはなかったと思うぞ」
やったと言えば宿泊していた街を襲ってきた盗賊を返り討ちにしたついでに、
アジトを殲滅して根絶やしにしたくらいだと告げる。
「さ、左様ですか……」
若干引き気味の南方伯一同。
何だろう、さっきと空気が変わった気がするのだが。
「それはまた勇ましい限りでございますな」
「……まあ、それは置いといて。追加の情報があるなら伺いたいのだが」
「……我々が語るよりも直にご覧になられた方がよいでしょう」
案内いたします。
席を立ちあがった南方伯は、控えていた兵士たちに指示を出しつつ、
直々にオレ達の案内を買って出てくれた。のだが……
これは何かいろいろとおかしいのではなかろうか?
「こういっては悪いかもしれんが、総指揮官が本陣から離れていいのか?」
「これも仕事の内です」
一日一度は『アレ』の様子を自分で確認するようにしています。
レンダ南方伯は幾分やつれた顔で、それでも総司令官としての役目を務めあげようとしている。
「ちょっと気になったんだけどさ」
相変わらず敬語もクソもない語り口に随行する騎士たちが色めき立つが、
こういう時に突っ込みを入れるテニアには、何らかの意図があるのだろう。
あえて止めないでおく。
「さっきからの口ぶりだと、その『正体不明の魔物』にいつでも会えるみたいに聞こえたんだけど」
それな。オレも気にはなっていた。
召喚術士にとって『正体不明』なんて枕詞がつく魔物は、
そうそう現れるものではないし、
イメージとして普段はどこかに隠れているように感じられる。
南方伯の言い回しは妙だ。
「そのあたりも実際にご覧になればご理解いただけるかと」
――えらく勿体つけてくれるねぇ……
矢倉に上がるよう指示され、陣内の一角に組み上げられた高めのものに登って彼方に目をやれば――
「な、なんじゃこら!?」
陣地の外に広がっていた光景を目の当たりにして、一同絶句。




