第7話 華麗なる戦場 その2
緩やかな音楽に乗って元婚約者のレオンハルトと広間の中央あたりでダンス。
誰かに指摘されるまでもなく、子供だましの稚拙なステップ。動きは固く、ぎこちなく。
社交界デヴューしたばかりの子女でさえ、もう少しましな舞を披露できるだろうに。
聞こえよがしの周囲の失笑や嘲笑とは裏腹に、本日の主催者はと言えば、目の前で実に上機嫌。
「本当に久しぶりだね。元気そうでよかったよ」
「そらどうも」
いつものとおりでよいと言われたせいか、表情を取り繕う気にもなれず、
態度も自然と連れないものになってしまう。
「帝国の危機って言われて戻ってきてやったのに、なんで夜会に出席せにゃならんのだ」
『宿の手配の礼と言っていなかったか?』
うるさい、黙れ。
「ああ、ルドルフが君を呼び戻そうとしていたからね」
これ幸いと便乗させてもらったと悪びれずに続けてくる。
「……じゃあ、帝国がヤバいってのは本当なんだな?」
「うん。将軍は明日帝都に戻ってくる予定だから、その次の日にでも尋ねてみるといい」
「そうさせてもらうわ」
密着に近い距離で小声の密談。
「にしても、お前なぁ」
「何だい?」
「二十歳になっても婚約者を作らないのは皇子としてマズいだろ?」
「……婚約者ならもういるけど」
「誰?」
「君」
間近で即答。しかも真顔である。
「はあぁぁ~~~?」
コイツは一体何を言っているのだろう。
皇子としての激務のあまり、たった五年前のことを忘れてしまったのか。
まあ、金さん銀さんのことをさっぱり脳裏から消し去っていたオレが言うのかという話ではあるが。
「僕と君の婚約は破談になったわけじゃないからね」
アルハザートの令嬢が体調を崩して療養中ということになっているらしい。
じゃあ、あの金貨百万枚は何なんだよ。世界中の人間にバレてるんだが。
「実家から今日勘当されたぞ」
「らしいね。公爵を投げ飛ばしたと聞いてさすがに驚いたよ」
そんなことができるのは帝国広しと言えども君だけだ、などと微笑みながら付け加えやがる。
まったくもって褒められていない。
「本当に昔から変わらないね、君は」
「……どういう意味だよ?」
「別に。そのまま受け取ってもらえれば」
「ガキの頃はもう少し猫を被ってたつもりだったんだが?」
「誰であろうと迂闊に触れたら痛い目あわされそうなところは変わらないよ」
完璧に整えられた冷徹な仮面の下に、
触れたら火傷しそうな激情を持て余している少女。
誰もが貞淑を求められる貴族子女の中で、
誰よりも冷たく誰よりも熱い氷の炎。
「不意にどこかへ飛んで行ってしまいそうな雰囲気はあったね」
だからかな、自由を得た今は前よりももっと輝いて見える。
実に嬉しそうに目を細めて微笑むレオ。
そういうことを本人の前で、さらっと言うかね……
曲が終わりに差し掛かり、オレ達のダンスもひと段落付こうとするところで、
「君がどう思っていようとも、僕が君を愛しているのは変わらない」
ただ、帝国がこの難局を乗り切るために君に負担をかけることになることは申し訳なく思う。
レオンハルトが真面目くさった顔でそんなことを言ってきたので、
「気にすんな。こちとらそれで飯を食ってる身だ」
業務と報酬は要相談。
出すもん出せばどんな仕事だって引き受けてやるぜ。
ま、出せるもんならな。
「ありがとう。頼りにさせてもらうよ」
曲が途切れ、ダンスの時間が終わる。
二人きりの会話の時間も終わる。
「さあ、お仲間のところまで送らせてくれ」
「……お前ってホント変わらないな」
差し出された手を取って、クロたちがいる壁際までエスコートしてもらう。
元(強調)婚約者の実に自然な態度は変わらないが、
記憶の姿より背が伸びてさらに美貌を増したレオに、
確かな時間の経過を思い知らされる。
『契約者?』
――なんでもねーよ。
☆
「ただいま」
「ご主人、きれいだったニャ」
「いいもん見させていただきましたわ」
う~ん、この落差。
先ほどまでのひと時が、まるで夢であったかのように、
一気に現実に引き戻してくるニヤニヤ笑顔のいつものテニア。
――まあ、その方がありがたいが。
「ステラをお借りして悪かったね」
初対面の顔ぶれに対しても、レオの柔らかい物腰は崩れることはなく、
さりげなくオレの腰に回されたままの手は軽く払ったが。
「いつまで触ってるつもりだ」
「ははは、これは手厳しいな」
いつまでも婚約者気分でいられては困るのだよ、オレが。
さて、どうやってレオをどこかに追い払おうかと思案していると、
「やあ、兄上。本日は招待いただきありがとう」
振り返れば、先ほど入場していたヴァイスハイトとその女――マリエルだっけか。
皇子が女の腰に手を回してみれば、蕩けそうな笑顔を浮かべてしなだれかかる。
仲の良さで勝負をするならば、こちらと比べて勝利は一目瞭然である。
声ににじみ出る隠しようもない優越感。
オレ達に当てこする気満々の不躾な態度が、
露骨にこちらの神経を逆なでする。
カチンときたのはオレだけではないようで、
グリューネルトもフェミリアーナも憮然とした表情を見せてしまっていて。
「やあ、ヴァイスハイト、忙しい中わざわざ来てくれてうれしいよ」
しかしレオはいささかのブレもなく。
こういうところはさすがだと思わざるを得ない。
「兄上が元婚約者殿とどうにかしてよりを戻そうとするのを邪魔するのは野暮だとは思ったのだが」
私の婚約者がどうしても挨拶したいというので仕方なく、ね。
言葉の節々に兄であるレオンハルトを貶める感情を見え隠れさせながら、
自分の婚約者であるマリエル=スィールハーツ公爵令嬢をこちらに紹介してくる。
「お久しぶりですレオンハルトさま」
「ああ、マリエル嬢も元気そうで何よりだね」
考えてみれば当然だが、ずっと帝国にいる二人はすでに面識があるのだ。
だから、マリエルとやらが本当に挨拶したいのは――
「初めましてステラ様。わたくし、ヴァイスハイト様の婚約者であるマリエル=スィールハーツと申します」
頭を軽く下げるマリエル嬢。
第一印象は、油断のならない女。
グリューネルトたちほど洗練されてはいないが、
最近認知された庶子とは思えないほどに、貴族の振る舞いが板についている。
少なくとも流浪生活五年のオレとは比べ物にならない。
くすんだ金髪を色とりどりの宝石でまとめ上げ、
この会場の中で最も華美なドレスで装った美貌は、
レオンハルトを除けばほかの誰にも引けを取らないほど。
そして腕に抱えている『万象の書』の存在感。
――この女、スィールハーツの隠し玉か。
とてもではないが元平民と言うのが信じられない。
将来を見越した公爵があらかじめ引き取っていて、
皇妃候補として大事に育ててきたという方がまだ納得できる。
――でも、それでは同じ派閥出身であるグリューネルトの立場はどうなる?
チラリと傍の金さんに目をやってみれば、表情はきれいに漂白されているものの、
何かを堪えるように手がかすかに震えている。
――これはいろいろ複雑そうだな。
こちらの内心を知ってか知らずか、
マリエルは余計なことを口にはせず、皇子同士の会話に無理やり口を挟むでもなく。
挨拶しに来たという割にはオレ達にも何も言うこともなく。
あくまでヴァイスハイトの傍で余裕ある風情を漂わせている。
「しかし、かつては春の妖精と謳われたそなたも、時を経ればかように――」
「ヴァイスハイト、たとえ弟とはいえ僕の婚約者に対する無礼は許さないよ」
マリエルに気を取られていた間に、いつの間にか険悪な様相を呈してきた皇子二人。
自分で呼んだのなら、こういう展開は想像できるだろうに……
レオ、肝心なところが抜けてるなぁ。
『呼ばないという訳にはいかないのではないか』
今日はやけに饒舌な翠竜。
思えば、家族とか故郷に関するあれこれに関しては、
割といろいろ口にしているような気がする。
故郷への郷愁、まだ見ぬ同族への憧れを知るからこそ、そのように感じるのかもしれないが。
……まぁ、それはともかくここは二人を止めなければ。
マリエルが動かないのであれば、オレが動かなければならない。
グリューネルトとフェミリアーナは悔しそうにこちらを眺めるばかり。
「レオンハルトさま、そろそろ」
軽く袖を引いて話を打ち切るように促す。
こちらの様子に気付いたレオは、
少し間を取って頭を切り替えたようで、
「悪いね。少し言葉が過ぎた」
「別に構いませんよ」
頭を軽く下げる第一皇子に、
珍しく面白いものが見れた、などと笑う第二皇子。
それは、そのまま現在の立場の差を見せつけられるようで……
――普通逆だろ!
「レオンハルトさま」
「いいんだ、ステラ」
弟の無礼を正してやれと目で訴えたが、
兄の方がこの場を収めることを優先してしまっている。
「ガツンと言ってやれよ、レオ」
会場内に挨拶する者がいるとことわり、
マリエルのことをよろしく頼むと付け加えて、
悠然と立ち去るヴァイスハイトを見送りながら、
他の誰かに聞こえないように、ついそんなことを口にした。
「……今はいろいろ大変だからね」
これ以上周りに負担を掛けたくないんだ、と力無く笑う。
その姿に、言いようのない苛立つが募るも言葉にはならず。
「できることが有ったら、何でも言ってくれよ」
せめて応援ぐらいはしようと思ってみれば、
「じゃあ、結婚しよう」
「それ以外で」
――意外とタフだな、コイツ。
「残念」
あいさつ回りがあるから僕は行くけど、君たちはゆっくり楽しんでいってくれ
そう言いおいて、この場から遠のいていくレオンハルト。
夜会の主催者として、いつまでもオレ達に構っているわけにもいかないのだろう。
ビシッと整えられたその背中からは、確かに皇族としての誇りが顕れていた。
「レオンハルトさま、おいたわしい」
呟くグリューネルト、頷くフェミリアーナ。
そして表情を崩さないマリエル。
オレは無言で、記憶よりも大きくなっているレオの背中を目で追っていた。




