第5話 放蕩娘の帰還 その4
「これは夢、そう夢なんだよ」
「現実だ」
城内の待機室でうわ言を朱を引いた唇から零すテニア。
皇城に入るなりこんな有様で、半ば魂が抜けかかっている。
いつもの露出過多の姿から一変して、
大人っぽい赤系のドレスに身を包み、要所を海を思わせる蒼い宝石で押さえている。
「いや……だってこのドレス、ファナ様のより豪華なんですけど」
南海諸島を離れてから、やや日焼けが薄れてきた肌に軽く化粧を施し、
栗色の髪は頭の後ろでまとめられている。
口さえ開かなければ、さぞかし魅力的な女性として男どもの目を引くことだろう。
「もう慣れたって言ってただろ」
「いや、驚きに限界はないね」
御見それしましたとどこか遠いところに拝礼している。
――お~い、帰ってこ~い!
目の前で軽く手を振ってみると、ようやくこちらを見てくれやがった。
「……こうしてみると、ステラってやっぱりお嬢様なんだね」
「そうか?」
今日の衣装は薄い水色を基調としたシンプルなドレス。
とはいえ、胸やら裾やらにふんだんに用いられたレース飾りのおかげで、
衆目を浴びたとしても、平坦な印象は与えないだろう。
両手には長い白手袋がはめられ、用途不明の扇を持たされている。
髪はテニア同様後ろでまとめてあるが、オレの方がなぜか若干複雑な模様。
――担当者の趣味かね、これは。
「クロ先輩楽しみだね」
「まあな」
別室で待機しているであろう相棒を想う。
今回も部屋を分けられてしまったせいか、どうも落ち着かない。
「で、アタシらはいつまでここにいればいいの?」
「そりゃお呼びがかかるまでだろ」
「お呼びがかかるのはいつ頃かな?」
次から次へと突っ込んでくるテニア。
先ほどからそわそわとしっぱなしで、
豪胆なコイツも気が気でないようだ。
「基本的に階級が下の奴から先に会場入りする……はず」
「だったらステラが一番下じゃないの?」
昨日勘当されたから、今は平民でしょなどと宣う。
「まだ情報が行ってないか、それとも誰かが手を回したか」
とりあえず今日の夜会では公爵令嬢扱いになっているみたいだが、さて……
「ステラ=アルハザート公爵令嬢様とお付きの方、そろそろお時間となります」
ドアの外から声がかかると、
誰がお付きだとテニアは毒づいたものの、
『さすがに南海王国王姉とは名乗れんだろ』
と道理を説けば、あっさり納得してくれた。
とりあえず口にしてみただけの模様。
部屋を出ると、廊下には一目見て効果とわかるふかふかの赤い絨毯が引かれていて、
その上にちょこんと立っているのは、本日のエスコート役であるクロフォード卿。
ごく一般的な男性用のスーツをケットシー体型に合わせ、
トレードマークの紅いマフラーをスカーフのように首に巻いている。
「おお、ご主人綺麗ニャ」
出会い頭にそうも真正面から褒められると照れるな~
「おお、そっちもよく似合ってるぜ、クロ」
「クロ先輩、アタシは?」
エスコートと言っても当然のごとく身長差があるわけで、
クロをテニアが抱え上げ、一般男性の背丈に合わせる案も出たのだけれど、
『いや、アタシの手が痺れるし』
などと断られてしまったので、普通に横に並んで歩くだけ。
ま、別にエスコートとかいらんしな、オレは。
「さて、行くか」
「応ニャ」
「は~い」
三人そろって案内係に連れられて広間を目指す。
☆
「ステラ=アルハザート公爵令嬢様、ご入場」
進行係の大きな声と共に広間のドアが開き、
あふれ出す歓声、拍手、音楽、そしてまばゆい光。
「アタシ絶句」
「絶句って口にする奴初めて見たわ」
「これは……びっくりにゃ」
天井は高く、巨大なシャンデリアが煌々と明かりを灯し、
どこかから流れてくる楽団の演奏が場を華やかに盛り上げている。
純白のテーブルに並べられた贅をつくした料理の数々。
壁際には鋭く目を光らせる衛兵たち。何もかもが一級品。
そして贅をつくした広間に集まるは貴族、貴族もひとつ貴族。
談笑する年配者がいると思えば、今日が社交界デヴューではないかと思われる若い子女もたくさん。
まさしく老若男女な連中が一様にこちらに目を光らせる。
「な、何か目茶苦茶みられてるんですけど!」
「そういうもんだ、慣れろ」
つーか、さっさと諦めろ。
オレはもう諦めた。
「そ、そんなこと言われても、どうすればいいの?」
って言われてもなぁ……
「普通に考えたら主催者とか知り合いに挨拶して回るもんだと思うのだが」
目下の者から目上の者に勝手に話しかけたらダメなんだっけ?
よくよく思い返してみれば、オレ自身今日が社交界デヴューなんじゃねってくらい経験がない。
十歳で帝都を飛び出したんだから当然と言えば当然なんだけど、
こういう舞台でどう動けばいいのか全然わからん。
恥ずかしがらずに誰かに聞いとけばよかったと、後悔しても後の祭り。
「……黙って壁に寄っとくか」
「そうだね」
そして好奇の視線を浴びながら壁際に移動する最中、
「お久しぶりですわね、ステラ=アルハザート」
何となく聞き覚えのある、まだ若い女の声。
いかにも貴族らしい自信に満ちた、それでいて後を引かない柔らかな響き。
振り向けば、金糸にも似た黄金の髪を丁寧に結い上げ、
綺麗に化粧された顔の中でも特に目立つアメジストの瞳。
フリルとレースに飾られた純白のドレス。
となりに銀の髪に淡い緑のドレスを合わせた女性を伴うコイツは……
――だ、誰だっけ……
『契約者よ……』
エオルディアが呆れている。
それにしてもコイツは随分落ち着いてるなぁ。
人間社会の諸事に興味がないのか……
『古の王国では、もっと壮大な催しを見たこともある』
左様ですか。
翠竜先生はいろいろご存知ですなぁ。
『今は契約者の記憶の方が心配なのだが』
――ち、違うんだ。そう、喉元まで出かかってるんだよ……
「申し訳ございませんが、ヒントをお願いします」
「ヒントですって!?」
いきなりなんてことを仰るの!
真っ白だった顔がふーっと紅潮し、怒りの感情をあらわにする金髪。
――やべ、言っちまった。
「……わたくしが誰か忘れてしまったということかしら、ステラ=アルハザート」
「いえ、その、わからないというわけではなく。まあ、ちょっと記憶があいまいで」
「それを忘れているというのです!」
「火に油にゃ」
――うっせー、わかってるよ!
「ふ、ふん。思えばあなたは五年もの間、市井を流浪していたのですから、わたくしも気を利かせるべきでしたわ」
銀の髪の相方に窘められて冷静さを取り戻しつつある金の髪の女。
この光景は、オレの記憶の奥にしまった部分に触れてくるぞ……
――金の髪と銀の髪……あ、
両手をポンと合わせて、ひと声。
「金さん銀さん」
「なんですって!」
やべ、また切れた。金さんの眉毛の角度がキツイ。
でも、おかげで思い出せたわ。
「ほほほ、これは失礼。グリューネルト=サスカス伯爵令嬢に、こちらはフェミリアーナ=へイルドゥム公爵令嬢でしたわね」
金さん=グリューネルト。南部の伯爵家の令嬢。十六歳。
銀さん=フェミリアーナ。帝国四大公爵家が一、西のヘイルドゥム家の令嬢。十七歳。
二人とも、レオンハルト第一皇子に思いを寄せる同年代の女子ということで、
特に注意するよう親父殿に耳にタコができるほど覚えさせられたものだ。
――大丈夫、思い出した。オレ完璧。
「お久しぶりです、お二方とも」
慌てて頭を下げると、
「お久しぶりですわね、ステラさん」
こちらに合わせて銀さんことフェミリアーナが丁寧に頭を下げる。
「つい先ほどまで忘れていたくせに……」
「ほら、リューネも機嫌治して」
「……ええ、そうね、お久しぶり」
まだ何か納得のいかない様子のグリューネルト。
「何かございましたか?」
「……そちらの方々はご紹介いただけないのかしら?」
紫の視線はオレの後ろに控えているテニアと、足元のクロを行ったり来たり。
「えっと……こちらケットシーのクロフォード卿、そして」
こちらが南海諸島から共に行動している――
「デスティニアと申します」
そう口にして俺たちと同じように挨拶して見せるテニア。
「デスティニア?」
え、どちら様?
「なぜあなたが疑問形なのですか?」
呆れる金さんもといグリューネルト。
「土地の習いで本来ならば秘すべき名前なのですが、ステラ様のご友人をお見受けしましたので……」
とフォローしつつ、こちらにウィンクひとつ。
――ふーん……
何だろう。
名前を隠されていたことが、ちょっと悔しい。
でも、コイツのことだから単なるデタラメかもしれない。
「南海諸島と言えば、これはまたずいぶん遠いところからいらっしゃったのね」
「はい、ステラ様と縁がありまして」
如才なく対応するテニア。
コイツ、こういうのは本当うまいな。
さっきまであれほど緊張してたくせに。
「それにしても、お付きがケットシー一匹だけだなんて危険ではありませんの?」
訝しげに眉を寄せるグリューネルト。
「あら、クロフォード卿は武術の達人ですのよ」
ねぇ、と話を振ってみれば、
なんか奇怪なものを見たかのような、言葉にしづらい表情を浮かべたクロと視線が合う。
――お前……オレがお嬢様やってるのがそんなに変か……変なんだな……
何だろう、このやるせない気持ち。
「わ、吾輩は……えと、そのですにゃ……」
テニアと違って場に慣れないのか、しどろもどろになりながらの返答。
「なんだか頼りなさげですわね。もう少しまともな騎士を探しては――」
嘲笑しかけたグリューネルトが、こちらを見て硬直する。
「……何か、おっしゃいまして?」
思っていたよりも、かなり低い声が出た。
こんな声を出したのはいつ振りかと思ってみれば、アールス近くのダンジョン以来。
目の前のグリューネルトもフェミリアーナも、二人して顔面蒼白になってしまい、
歯の音も合わない様子。
「ステラ、ステラ。落ち着いて!」
背後から掛けられたテニアの声に、ふと我を取り戻す。
いつの間にか、手にしていた扇がおかしな音を立てていた。
「失礼しましたわ」
ホホホ、と笑って見せても、金さんも銀さんもぎこちなさげな表情で。
そんな中――
「ヴァイスハイト皇子、マリエル=スィールハーツ公爵令嬢、ご入場!」
「え!?」
第一皇子であるレオンハルトと皇位継承権を争う第二皇子ヴァイスハイト、
そして聞き覚えのない公爵令嬢の名が合わせて広間に響き渡った。
次回より『華麗なる戦場』となります。




