第11話 そうだ、買い物に行こう(南海編) その4
買い物から戻って(帰る途中で酔い止めを買い忘れたことに気付いて引き返した)、
案内役のフローラとは宿の前で別れた。彼女は『海竜亭』の住み込みではなく実家通いとのこと。
宿についたころにはちょうど夕食で、テニアに今日のフローラの仕事ぶりについて報告。
併せて市場で買ってきたばかりの魚を焼いてもらうよう依頼。さほど高くもない別料金を支払った。
こうして食堂のテーブルに並べられた日替わりスープとクロの焼き魚。
そして――
「魚にはねぇ、これが合うんだよ」
と言ってテニアが持ってきたのは……水だろうか?
色のついていない透明な液体。
いや、魚に合うなら水のわけがない。
つまり、これは――
「水は要らないにゃ」
香ばしい魚の臭いに我を忘れかけたクロが拒否したけれども、
「ふっふっふっ、これはお酒なんだな~」
ポニーテールが揺れ揺れ、他のところもユラユラ。
揺れる各部に視線が吸い込まれるオレとは異なり、
『酒』という単語に耳をピクリとさせる黒猫。
ためしに椀に注がれた透明な液体に顔を近づけると、
確かにフルーティーな甘さとヘヴィな香りが鼻に残る。
遥か彼方の記憶を刺激するこの酒は――
「これはね、東の方の小さな島で作られている特製の――」
「コメ、か?」
「あれ、ポラリス知ってたんだ?」
大きく張り出した胸の上に、
キョトンとした表情を乗せるテニア。
「ご主人?」
「あ、まあ教養みたいなもん?」
とりあえず食べようぜ、と声をかけたがクロが動かない。
左右の手に一本ずつ細い棒を構えたまま固まってしまっている。
「クロ?」
「これは、どうやって食べればいいんかニャ?」
二本の棒を所在なさげにカチカチ叩きながら困惑する黒猫。
「ちっと貸してみな」
クロから奪った二本の棒を右手に構え、魚の腹に差し込んで中身を空ける。
内側から立ち上がる湯気。瑞々しさを残したふんわりと白い身。
「おお」
「おお~~~にゃ」
思わず歓声、つばを飲み込む猫の音。
もう見ただけでこれは美味いとわかる。
魚屋の店主が褒めていただけあって、
テニアの焼きの技術は大したものだ。
「ご主人、早く早く!」
「あいよ」
魚の頭を掴んで背骨を引き抜くと、綺麗に身から外れてゆく。
残されたホカホカの身を摘まんで持ち上げる動きと、
クロの顔の動きがシンクロしている。
「あれ、ポラリス、箸の使い方知ってたの?」
「箸?」
クロの疑問に『この棒だよ』と答えるテニア。
「まあ、これも教養」
「……珍しいね。大陸から来た人で、そんなにうまく使うの見たことないよ」
「いいじゃねーの、そこんとこは」
「そうにゃ、そうにゃ!」
「よーし、口開け!」
「あいにゃ~~~」
大きく開かれたクロの口に魚の身を放り込む。
口が閉じられて、もぐもぐと咀嚼。
そして――
「う、うう……」
「なぜ泣く!?」
普段はニコニコ顔のクロが、突然涙をこぼし始める。
オレには出会ってからのことしかわからないが、
クロは笑うか怒るかしたところを見たことはあっても、
泣く姿を見るのは、これが初めてかもしれない。
「わ、吾輩だけ、こんなに美味しいものを食べるだにゃんて……」
「あ、オレは入ってないのね」
「そうではにゃくて……」
「まあいいや、これはお前のだし」
ほれもうひとつ。
魚の身をつまみ上げればクロの機嫌はたちまち直る。
再び魚を口に放り込んでやると、
「はい、そこでこのお酒です」
一杯目は奢りだからグイ~っとどうぞ。
後ろから楽しそうに声をかけてきたテニアの言うとおり、
口をもごもごさせながら、透明な酒を流し込むクロ。
「おお、おお……」
もはや感極まった模様。
……なんか、言葉もないくらい美味いらしいですよ?
強い酒が苦手なオレには理解できないけれど。
「吾輩……ご主人に付いてきてよかったにゃ」
こんなことで感涙にむせび泣かれても、困る。
☆
「な~クロ、今大丈夫か?」
「吾輩満足すぎて大丈夫にゃ」
怪しげな返事をするクロに一抹の不安を憶えつつ、
先日エオルディアと語り合った件について説明。
「故郷にゃ……?」
気持ちよさげに仰向けになっていたクロの口から言葉が漏れる。
思えば、オレもクロも故郷を飛び出して放浪する身。
帰郷を求めるエオルディアの気持ちについては、
頭では理解することはできても、
心から納得することは叶わないのではないかという疑問はある。
「それで、ご主人はどう答えたんにゃ?」
「ん~、協力するって言ったよ」
「じゃあ、吾輩もそれでいいにゃ~」
あっさりしてんな。
「それにしても竜のご仁が、そんなおセンチなお方だったのは意外にゃ」
「ん~、まぁ。オレ達よりずっと長生きしてるみたいだし」
それに、オレ達と違ってエオルディアは自分の意思で故郷を出たわけではない。
何事もなければ竜の国とやらで両親や同胞とともに平穏に暮らしていたわけで、
夢の中で見たあの穏やかな姿には、そういう生活がよく似あうように感じられる。
「ケットシーの国に、何かそういう話って伝わってないか?」
人間と異なる世界に住まう妖精族ならではの伝承に期待したのだが、返事がない。
「クロ?」
足元を見れば、びろ~んと広がったまますやすや眠る黒猫が。
――ま、あれだけ飲めば、こうなるか。
一杯目はテニアの奢り、で終わるはずもなく、
当然の流れで二杯目を飲みたがったクロ。
欲しいモノもあらかた買えて気が大きくなっていたのかもしれない。
奢ってやると言ったら、遠慮なくガバガバ行ってくれた。
テニアに嵌められたと気付いたときにはもう遅く、
実は財布がちょっと寂しい。
「買い物したし、働かねぇとな」
ということにしておく。
☆
「南海諸島、か」
いまだ冷めやらぬ食堂のざわめき。波の音。クロの寝息。
様々な音が入り混じり、酒が入った頭の中に流れ込んでくる。
着いて二日目の夜、ランタンの薄明かりに照らされながら思考を巡らせる。
――マーマン、ギルマン、それにサハギンまで……
人間の日常領域にまで深く入り込んだ、通称『海の人々』たち。
彼らは『万象の書』の分類によれば『魔物』扱いとなる種族。
「……言い出してもきりがないか」
大陸で姿を見かけるエルフやドワーフだって、
今ベッドで寝息を立てているケットシーだって、
『万象の書』あるいは人間にとっては『魔物』になるのだ。
だからと言って彼らを排除する動きがあるかというとそうでもない。
オレが『海の人々』に驚いているのは、単にここの風習に慣れていないというだけ。
ただ、街で小耳にはさんだ話が、のどに刺さった魚の小骨のように引っかかる。
『海の人々』がこれほど人間に密着するようになったのは、
この南海諸島でも比較的新しい話だということ。
年配の方々にとっては、まだ彼らの姿に違和感があるようだ。
ちょうど、今のオレのように。
「ファナ王女、か……」
『海の人々』に対する差別意識の撤廃、職業の解放など先進的な政策を打ち出した若き海王代理。
彼女がその地位についたのはわずか二年前。御歳十五の頃。
実の父親である海王から代々伝わる『海神の書』を継承し、海王代理に就任。
海王の後見のもと新機軸の政策を打ち出し、この国の生活様式を一変させた。
とは言え、たったの二年。
今のところ表面上は穏やかに融合しつつある人間とその他の種族との暮らしは、
実際のところまだ完全にまとまってはいないようにも見受けられる。
「だからこそ、わざわざ足を運ぶのか?」
城の奥で理想論を語るのではなく、民の前に姿を現し同じ視線でモノを見る。
そういう彼女の態度こそが、これからの南海諸島の未来の姿そのものであると、
島民、特に『海の人々』や若い人間たちは感じ取っているらしい。
今のオレと同じ年齢で国王の代理に任命され、
以後二年間、一国の行く末を案じ舵取りを行う若き姫君。
同年代の女として、その姿に尊敬の念を抱かずにはいられない。
……とてもではないけれど、オレには真似のできないことだ。
――でも、あの女は……
島に来た当日の光景。
ひったくり犯に対して躊躇いなくカエルを囮にした蒼い王女。
凛とした態度で、己に過ちなしと胸を張るその姿に違和感を覚える。
――『海の人々』とカエル、どこに違いがあるってんだ?
同じ召喚術士として到底納得できることではない。
種族の問題なのだろうか、それとも知性の問題なのだろうか。
サハギンのように人語を話すことができない種族でも受け入れているくせに、
なんでカエルを使い捨てるような真似をするのか。
「あの女、気に入らねぇ……」
クロほどではないにせよ、酒を入れたせいか次第に思考が曖昧に。
いつもならば言葉にしないようなことまで口から漏れ始める。
――これ以上はよそう。
まだオレ達はこの島に来たばかり。
何事にせよ、即座に結論を下すのは危険だ。
ランタンの明かりを消し、クロを踏まないように足をよける。
闇の中で眠りにつくまでのわずかな時間、閉じた瞼に蒼い女の影が浮かんだ。
次回より「お仕事の日々、始まります!」となります。




