第10話 そうだ、買い物に行こう(南海編) その3
「ニャニャ―――!」
奇声を上げながら器用に人混みを避けて進むクロをフローラと二人で追う。
「待てって言ってるだろ!」
「クロ様、急がなくても魚は逃げませんわ!」
二人でなんとか呼び止めると、その場で足を上下させながら振り返り、
「売り切れてしまうかもしれんニャ!」
「ああ、それは、まあ」
ちょ、フローラさん!?
押し弱ッ!
「そんな簡単に売り切れちまったら商売にならねーだろ」
だから焦らなくっても大丈夫だっつーの。
逸りにすぎるクロに追いついて、息を切らせながら言葉を吐き出す。
このままコイツを市場に突っ込ませると、
興奮のあまり何をしでかすか想像もつかない。
「わ、わかったから、もうちょっと急ぎたいニャ?」
可愛らしく首をかしげるクロに抱き着くフローラ。
猫好きか、コイツ。
「わかりました。不肖このフローラがクロ様をお連れいたします!」
なんかおかしなことを言い出したし。
これ以上変な方向に進むくらいなら、さっさと市場に向かった方がよさそうだ。
歩調を早めつつも、いまだ市場に着く前だというのに、
全身を包む疲労感を覚えてぐったりせずにはいられなかった。
☆
「お、お、お……」
変な声で鳴く黒猫は置いといて、なかなかの絶景ではある。
石造りの大きな建物の中に足を踏み入れたところ、見渡す限りの魚、魚、そして魚。
いくつもの店がそれぞれに異なる品を陳列し、
あちこちで大きな声を張り上げて取引されるキラキラ光る魚たち。
「お魚さんニャ――――――!!!」
フローラの腕の中から飛び降りたクロの絶叫が、
まるで気にならないほどに活気あふれる市場の様相は、
見る者を圧倒させるだけのエネルギーに満ち満ちている。
生臭い臭いでむせ返るのは言わぬが花か。
「それで、クロ様はどういう魚をお探しですか?」
ここまでクロを抱き上げていたフローラが問うと、
「……どういう?」
クロが首をかしげる。
え……なんだそのリアクション!?
「はい、魚と言ってもこのように相当な種類がありますから」
さすがにすべての魚を買い付けるわけにもいきませんと諭すフローラ。
……それくらいはクロにだってわかってもらえると期待したい。
「どういう……魚……」
今まで見たこともないような真顔になって悩む相棒の姿に一抹の不安を憶えながらも、
「まあ、とりあえずそこらを歩いてみたらいいんじゃねえかな?」
などと提案してみる。
「そ、そうですね」
不穏な気配を感じ取ったらしいフローラも同意してくれる。
「吾輩、お魚さんをほとんど見たことがないのニャ」
「え、そうなん?」
クロの告白は少し意外な気がした。
ケットシー界生まれの純粋なケットシーであるところのクロならば、
さぞかし魚にうるさいのではないかと思っていたのだけれども。
「ケットシーの国には、お魚さんはおらんのニャ」
「……意外だ。意外過ぎる」
初めて知らされるケットシー界の真相。
ケットシー界に存在する魚というのは、
人間界に働きに出た同胞が持ち帰る、ほんの僅かなモノに限られており、
それもほとんどは国王や偉いさんの口にしか入らないという。
世知辛いな、ケットシー界。
「だから、どんな魚と言われても困ってしまうニャ、ニャにゃ……」
「気を落とすなって」
凹んでしまったクロの頭を軽く撫でてやる。
「ほれ、ここにはこんなにたくさんの魚がいて、オレ達には金を稼ぐ力がある」
「にゃ?」
「だから、たくさん仕事して片っ端から食い尽くしてやればいいのさ」
「にゃ!」
垂れていた尻尾がピンと伸び、
しおれていた顔に英気が宿る。
「そ、そうにゃ……ご主人に言われるまで、吾輩としたことが我を見失っていたニャ」
「大いに戦い、大いに喰らうがよい!」
アーッハッハッハ!
「にゃ!」
クロを抱き上げて拳を突き合わせる。
「ほら行くぞ、クロ」
「応にゃ」
歩き始めたオレ達の背後から、凍えるような奇妙な気配がした。
☆
前方のとある魚屋で、何とも奇妙な光景が展開されている。
「魚が、魚を買っている、だと!?」
その姿はどう見ても魚。
赤い鱗に大きく張り出した目玉。
分厚い唇はパクパクと開き、中には鋭い歯がキラリ。
そんな魚のフォルムから、人間の手足が生えている。
「ああ、あちらはサハギン族ですね」
フローラの落ち着いた声。
ギルマン、マーマンとともに『海の人々』と呼ばれる一族で、
ユーモラスな外見とは裏腹に、槍の名手を多く輩出し、
水中では無類の強さを発揮するとのこと。
用心棒として彼らを雇い入れる商船も多く、
人間の言葉を口にすることはできないが、人語そのものは理解しており、
人間の貨幣を手にいれたサハギンが買い物をするのは珍しい光景ではないらしい。
「へ、へぇ~」
思わず声が漏れる。
南海諸島に来てから、ギルマンやマーマンが人間と共に暮らしている姿は見てきたけれど、
さすがにサハギンまで混ざってくるとなると相当シュールに感じられるが、
これは偏見なのだろう。
少なくとも、魚を包んで手渡している店のおばさんは平然としており、
この街では彼らは何の問題もなく受け入れられている。
サハギンは魚を受け取って金を払い、おばさんに手を振ってその場を後にする。
この店がいいかもしれない、そんな直感が走る。
「すみませ~ん」
「はいよ、いらっしゃい」
おや、これは可愛らしいお嬢さんだなどと世辞を言うおばさん。
「見ない顔だけど、お使いかい?」
「いえ、オレではなくて」
難しい顔をしているクロを抱き上げて続ける。
「魚をまともに食ったことがないコイツに、美味い奴を食わせてやりたいんですが」
オススメとかありませんか。
餅は餅屋。教えを乞うなら専門家がよかろう。
「よろしくお願いします。クロフォードです」
「おやまあ、珍しい」
アンタ、ケットシーのお客さんだよ。
店の奥に向かって呼びかけると、ほどなくして大柄な店主と思われる壮年の男が現れる。
「ほう、これはまた遠方からはるばるどうも」
つるりと禿げあがった頭を下げてくる。
……遠方か。遠方だな、何といっても妖精界だし。
「ウチの魚をご所望ということだが」
どんな魚をお求めで?
オッサンはそう聞いてくる。
「美味い魚をお願いしますにゃ」
「う~ん、ウチの魚は毎朝獲れたてピチピチ新鮮だからなぁ」
つまり全部美味い。
何を選んでもハズレなし。
胸を張ってそう堂々と答えられると、
どれを選んだものか困ってしまう。
「う~む」
店先に並べられた魚を凝視するクロ。
魚の良し悪しはオレにはわからんが、店主の言うとおり魚が新鮮というのは事実のようで、
わずかに屋内に差し込んだ光を反射して照り輝いていて、見るからに美味そうではある。
「どういう料理にするかは決まっているのかい?」
「え? あ~、どうだろう?」
テニアは魚を持ってくれば料理してやるとは言っていたが、
どう料理するのかまでは聞いていない。
マズいな、メニューによって合う魚は変わってくるだろうけど、
今から宿に聞きに帰るとなるとクロの正気が保証できない。
「このお二方は『海竜亭』に宿を取っていますから」
フローラが助け舟を出してくれる。
その言葉に、ほうと感心したような声を上げ、
「あそこのテニアなら焼き魚かな」
「焼き魚ですか」
随分と簡単な料理、というかオレでもできそうに思えてくるが。
「ああ、単純なようで奥が深い」
焼きの加減を見切るには、長年の経験か、あるいは特殊な才能が必要だという。
テニアは前者は足りないが、後者に長けているとの店主の評。
「焼きならこの辺が安くて美味いぞ」
ちょうど時期もあってるしな。
そう言って指さすのは、細身の青魚だろうか。
てらてらと輝き、全身にぷっくりと身がついている。
値札を見ると……なるほどオレ達でも十分に手が出せる。
「お勧めしてくれてるし、今日のところはこれにするか?」
「そうするにゃ!」
「まいどあり!」
ほかに何か欲しいものはあるかい?
愛想よく、そして手早く魚を包む主人に問われ、
「えっと、魚の乾物ってここで扱ってますか?」
テニアから貰った魚の乾物で恍惚としていたクロを思い出す。
「ああ、あるよ」
こっちだ。
主人に指さされた方には、これまた多くの魚の乾物がザルに乗って並べられている。
「それじゃ、乾物のおすすめもお願いできますか?」
「ご主人?」
「あいよ、ちょっと待ってな」
不思議そうな顔のクロ。
「奢ってやるよ」
「なんでにゃ?」
「……いや、特に理由はねーけど」
水着を買う時に大分待たせたし、これくらいは?
「乾物って、どれくらい保ちます?」
「そうだな……ちゃんと保管しとけば結構大丈夫なもんなんだが」
「だってよ」
一気に食うなよ。
乾物の包みを受け取ってクロに渡す。
「ご、ご主人……」
「いや、そんな顔されても困るんだが……」
感涙にむせぶクロをあやしながら、
「……魚で釣るなんてズルい」
背後から、底冷えのする声が聞こえた気がした。




