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ワケあり召喚術士、まかりとおる!  作者: 鈴木えんぺら
第1章 辺境の召喚術士
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第25話 アールスの戦い その1


 今日も今日とて朝から大変だった。

 街中のゴロツキどもにゴブリン退治の指示を出した『金竜亭』の看板受付嬢であるアニタは、

 彼らを見送った後、ひとり無言で受付カウンターに突っ伏す。

 普段の彼女なら決して人前で見せることのないほどに憔悴した姿に、

 同僚たちは気遣ってか、あるいは自らに害が及ぶのを恐れてか

 遠巻きにこちらの様子をうかがい、あるいは無関心を装って声をかけてこない。


「ハァ……」


 知らず、ため息が漏れた。

 無理もない。


「何で出てこないのよ、ゴブリン」


 誰かに聞かれるのも構わず愚痴も零れる。


 上役から今回の案件を聞かされた時の第一印象は『嫌な話』だった。

 当初より行政府の手厚い保護を受けてきた経緯から、

『金竜亭』自身がこういう仕事を与えられることに疑問を感じたりはしなかったが、

 ほかの宿の客まで自分の手足のように扱うというのは、

 一介の宿である『金竜亭』の領分を超えているように思われたから。


――どうせなら行政府が直々に命令を下してくれればよかったのに。

 

『金竜亭』も含めたすべての宿に、だ。

 それなら平等であるし、一介の受付である自分が指揮を執る必要もなかったのだ。


 集まった面々の顔を見ても、どいつもこいつも初日から不満を隠そうともしない。

 内心では自分も不満に思っているものだから、ことさら歩み寄ろうという気にもなれない。

 気乗りしない仕事ではあったが、業務内容はたかがゴブリンの討伐。

 ほんの数日我慢すれば、あとは何事もなかったかのように日常へ回帰するだろう。

 当初は、そう気軽に考えていたのだ。


 しかし、この楽観的な予測は脆くも崩れ去った。

 ゴブリンが姿を現さない。まったく。一匹たりとも。

 日を越すごとに険悪な感情を露わにする連中を探索に割り振り、

 成果を早急に求める上司や行政府に頭を下げ続ける日々が、自分から余裕を奪っていることに気付かされる。

 いつもどおりの自分なら、絶対に人前でこのような醜態をさらすことはなかったのに、と。


 軽い自己嫌悪に陥っていると、ふいに『金竜亭』のドアが乱暴にノックされる。

 力を入れて押せば容易に開く自慢のドアが、こうも荒々しく叩かれたことはアニタの記憶にはない。

 まるで、石斧か何かで叩き壊そうとしているかのよう。


「お客様、おやめください」


 立ち直ったアニタが、舌打ちを押さえつつカウンターを出て入り口に向かう。

 荒事稼業に身を置くものの中には、暴力を見せつけることで己の優位を獲得したがる連中がいる。

 今回も、その手合いのものだと思い、さっさと中に入れることにする。

 あの手の輩は、見た目によらず自分より大きな権威に弱い。

 豪奢な『金竜亭』の中に入れてしまえば、借りてきた猫のようにおとなしくなるに違いない。

 そういう事例を今までに何度も見てきたのだから。


 だが、扉を開けた先に人影はなかった。


 不審に思い周りを見回しても、それらしい人物は何処にもいない。

 ふと、首を傾げた際に視界におかしなものが移り込んだ。


 緑灰色の小汚い肌。

 禿げ上がった頭。

 人間の腰ほどの矮躯。

 耳まで避けた口と乱杭歯。

 手には石斧、腰には蓑だけ身につけて、腐臭をまき散らすその存在は――


「え、ゴブ……リン?」


 街の中にいるはずのない存在。

 街の外でちょうど今しがた皆が探し回っているはずの存在。

 それが、今、目の前にいる。

 小さな身体から伸びた右手を振りかぶり、その鈍器をこちらに叩きつけようとして――


「キャ――――――――――!!!!」



 ☆


 

 クライトス=レーヴェルは酒精に煙る頭の、遠いところでその声を聴いた。


『ゴブリンだッ!』


 切羽詰まった叫び声を耳にしても、『ああ、そうか』という程度の感想しか浮かばなかった。

 

――バカバカしい。


 澱んだ瞳で酒杯を呷る。

 ゴブリンなどという最下級の魔物になど興味はない。


 聖王国の貴族、レーヴェル侯爵家の三男として生まれたクライトスの将来は、決して明るいものではなかった。

 貴族といえば平民からすると羨むような暮らしが約束された身分に見えるようだが、

 次男、三男坊ともなれば普通は家を継ぐことなどなく、

 長男に万が一の問題があった場合のスペアとして飼い殺されるのが常。


 それが嫌なら聖王都の『学院』を卒業して軍人なり宮廷魔術士を目指すのが筋であり、

 仮に卒業できたとしても、士官先にそれほど空きがあるわけでもない。

 生存競争という点では平民と大差ないのだ。


 クライトスもまた、そのような生き馬の目を抜く闘争を運命づけられた子であったが、

 奇跡的に、神は彼に慈悲を与えた。


『万象の書』


 聖典に記されし創世の神より与えられ、レーヴェル家に代々伝わる支配者の証。

 魔物を支配し、その力を操る召喚術を行使するための書。

 クライトスの兄達は、この力を操る才能に欠けていた。

 そして逆にクライトスは、この『万象の書』の力を誰よりもうまく引き出す事ができた。


 この事実が明らかになった時、クライトスは兄達の身代わりではなく、

 レーヴェル家の次期当主となることを父から正式に告げられた。

 そして家のため、ひいては国のために召喚術の研鑽をより深める事を求められ、

 竜を宿す『レーヴェルの書』を若くして父より与えられた。


『俺は、神に愛されている』


 確信したクライトスは両親の反対を振り切って聖王都の『学院』に入学。

 同年代の他貴族たちと共に学び、戦い、そして召喚術の腕を磨いた。


 自分は、レーヴェル家に収まる人間ではない。

 神に愛されている自分は、さらなる高みを目指すべきなのだ、と。

 召喚術士であるクライトスは常に人の輪の中心に存在し、

 誰もが、自分に近づくために必死になった。


『世界は、俺を中心に回っている』


『学院』には、剣でも魔術でも自分より優れた腕を持つ者が何人も存在した。

 だが、彼らは召喚術を扱えなかった。

 その時点で、連中はクライトスと同じステージに立つことはできない。

 無駄な争いをするつもりはなかった。

 大人しく首を垂れれば、自分の部下として使ってやることもやぶさかではなかったのだが、

 彼らは自分の慈悲を拒み、それぞれ卒業試験に旅立っていった。


 いくら連中の腕をもってしても、神に愛されている自分に勝てるはずはないのに。

 差し出してやった手を跳ね除けられたことにいささか矜持を傷つけられながらも、

 残りからめぼしい者を拾い上げ、自らも試験に赴いた。


 目指すはアールス。

 複雑な魔力流により、常にどこかでダンジョンが発生しているという辺境。

 聖王国の領土の中でも最大級の危険地帯ではあるが、

 逆に考えれば、それは最強クラスの魔物が現れるということでもある。

 自分の手を跳ね除けた愚か者どもに身の程を思い知らせてやるためには、

 アールスに巣食う魔物を手土産に聖王都へ凱旋してやればよい。

 

 意気揚々とアールスを訪れ、街で一番の宿をとった。

 陰気臭い領主と顔を合わせる気にはなれなかったし、

『学院』でもたびたび噂となっていた『金竜亭』とやらにも興味があった。


 街についてすぐに浴びせられる周囲の羨望と嫉妬の入り混じった視線は、

『万象の書』を手にした時から欠かされることのないものであり、気にはならなかった。

 しかし――


「あの小娘……」


 忌々しい記憶を思い出して頭を掻きむしる。

 ある日『金竜亭』のロビーで出会った桃色髪の娘。

 その紫紺の瞳は自信に満ち溢れていて、夜空をかき消す太陽のごとき輝きを放っていた。


『まるで宝石のようだ』


 初めてその瞳を目にした時から、心が落ち着かない。

 理解不能な感情にからめとられたことを自覚せざるを得ない。

 今までの自分の周りにいた誰にも似ていない少女。


 後日、レーヴェル家に伝わる『翠竜エオルディア』を召喚し、サーベルタイガーから救ってやったというのに。

 ろくに感謝の言葉も寄越さず、まるで靡こうとしない女。


「クソッ」


 腹立ちまぎれに酒を呷り、むせる。

 時を経るごとに苛立ちが高まってゆく自分に、内心いささか驚きが隠せないでいる。


 そこに降ってわいたように現れたゴブリン討伐の依頼。

 いつも受付に突っ立っている気の利かない女が、

 貴族にして神に選ばれし者、竜を魂に宿すこのクライトスに雑事を押し付けようというのだ。

 いくら無知な田舎者とはいえ、無礼にして不遜という他ない。


――バカにしているのか!?


 なぜ自分がそのような些事に付き合わねばならないのか。

 身の程をわきまえるよう叱りつけ、宿泊している部屋に戻って備え付けの酒杯を呷る。

 そして数日が経過した今、むせかえるような酒気の彼方から聞こえてくる怒声。


――そういえば、ゴブリンがどうとか言っていたな。


 二日酔いに痛む頭に、顔すら思い出せない受付の言葉が蘇る。


――フン、そこまで言うなら少しぐらい力を貸してやらいでもない。


 乱れた衣服をそのままに階下に降りる。

 相手はたかがゴブリン。わざわざ装束を整える必要はない。

 普段は雑然としているはずの一階に降りたとき、妙に張りつめている空気を感じた。

 その場にいた連中の視線が集中する。

 羨望、希望、願望。

 彼らの顔に浮かんだ表情は、自尊心をくすぐるに充分であった。


――ハハハ、ようやく理解したということか。


 愚かであさましい平民どもではあるが、選ばれし者である自分には彼らを許す度量も必要だろう。

 なにしろ、このクライトス=レーヴェルは、ただの貴族家の当主で収まる器ではないのだから。

 慌てて駆け寄ってきたあの小生意気な受付が言うには、街中に突如としてゴブリンが現れたとのこと。


――なんだそれは?


 酔いが回って聞き間違えたのかと思い、もう一度聞きなおすも答えは同じ。


 この街の騎士はたかがゴブリンに侵入を許すほどに弛んでいるのか。

 あまりの愚かしさに呆れたが、自分の力を示すいい機会かもしれない。

 近場で見ればこの女もなかなか造作が整っている。肉付きは薄いが。

 自分の力をその眼で見れば、この女も態度を改めるに違いない。

 

――さて何を呼ぶか。


 力を見せつけてやるには、それなりの大物を使いたいところだが、

 ここは森ではなく街、呼ぶ魔物は選ばなければならない。


――まあ、どうとでもなるか。


「我、クライトス=レーヴェルが命ず。我が声に応じ――」


 何か適当な魔物を呼べばよいのだ。

 そう、軽い気持ちで『万象の書』を開いた瞬間、頭に激痛が走りよろめき倒れた。

 尻もちをついた俺を見下す醜悪な魔物――ゴブリン――の手に握られたボロボロの石斧。

 硬い石片についた赤い液体。

 着崩した服を汚す赤い液体。

 燃えるように熱い頭部に手を当てると、どろりと流れる赤い液体――俺の、血。


 周囲を取り囲む幾つもの濁った瞳。

 耳元まで引き裂かれた口から響き渡る哄笑。

 それは、今までに見たことのない暴力的な意思の顕れ。


「ギャア――――――!!」


 死にたくない。

 死にたくない。

 死にたくない。


「ヒィッ、ヒィ―――――!!」


 余裕は一瞬で吹き飛んだ。  

 己の生存を願う、ただその一念で『万象の書』をめくり『証』を引き出して叫ぶ。

 俺を守る力を。

 俺の最強の力を。


「出でよ、『翠竜エオルディア』!」


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