第22話 妖精の里 その2
「なんだ、いたのか」
久々に再会したグリューネルトはいつものドレス姿ではなく、
動きやすそうなパンツルックに扮していた。
もちろん遠目でも分かるほどの高級品で、
随所の意匠やレースなど一般人の旅装束とは一線を画していたが。
「『なんだ』ではなく、あなた一体何をしているの!?」
挨拶もしないうちから眉を吊り上げて、
雨の中濡れるのも構わずにこちらに向かってくる。
「何って?」
「なぜいきなりスフィード殿を手に掛けようとしているの!?」
「スフィード?」
誰だ、そいつ?
「信じられない……名前も聞かずにそのような蛮行を……」
これまでエルフと必死に交渉してきたわたくしの努力が……
などと愚痴をこぼすグリューネルトの様子から、
ようやく熊に捕えさせているエルフがスフィードという名だと気付いた。
「こんなやつ、どうでもいいだろ」
「どうでもよくありません!」
その方は族長のお孫様ですのよ。
柳眉を逆立てるグリューネルト。
「ふーん」
チラリとエルフに目をやれば、涙と鼻水と涎に塗れた醜い顔に歪な笑みを浮かべていて。
「だったら人質に使えるな」
孫そのものに用はないが、族長なら多少はマシだろう。
おかしな顔をしたまま固まるエルフ。見苦しい。
グリューネルトの援護に合わせて何か口走ろうとしたようだが、
口のあたりを一発殴らせて黙らせる。
コイツの口からは、オレが求める答えは出てこないのだから。
「人質って……どうしてそのようなことを」
おやめなさい。
雨に濡れた金髪を振り乱して掴みかかってくる。
この女が手を出してくるのは珍しいな、と頭のどこかで思った。
「オレは、ちゃんと頼んだんだ」
罵倒にも侮蔑にも耐えて頭を下げた。
意味不明で理不尽な要求にも従った。
その結果がこの有様では――
「……交渉もクソもねーだろ」
睨み付けてやると手を離し後ずさる。
「そこのあなたも、どうしてステラを止めないのですか?」
グリューネルトの矛先はテニアに向かう。
油断なく周囲のエルフたちの動きを探っていたところに声をかけられ、
「え、アタシ? う~ん。ステラが怒るのも無理ないしなぁ」
今回はどう考えてもエルフが悪い。
雨に濡れて重くなったポニーテールを煩わしげに払い、、
テニアは言葉を重ねる。
「髪をよこせってだけでも変態臭いのに、切らせておいて後から『冗談だった』はないよね」
「その髪ッ!?」
肩あたりで乱雑に切られた髪と、地に墜ちて泥まみれになった髪との間で、
何度も視線を行き来させて絶句するグリューネルト。
「今回の件に関しては、エルフは擁護できない」
テニアの答えもまたグリューネルトの期待したものではなく。
「大体どうしてそこまで性急に事を運ぼうと――」
「クロが危ないんだッ!」
オレ達のことはいい。
皇帝陛下の話も今は置く。
こうしてくだくだ話している間にも、
クロの小さな身体を死が蝕んでいくようで……
「時間がないんだ。それなのに――」
人間をバカにするのはいい。
見下すのも勝手にやってろ。
でも約束を守らないのは許さない。
クロを助けないなんて……絶対に認めない。
「なぁ、グリューネルト」
先ほどから一方的にこちらに命令口調で捲し立ててくる女に問う。
クロを助けるためにオレはどうしたらいい?
要求された対価を渡したのに、冗談だったと抜かす奴を相手に。
エルフどもが最初からまともな交渉なんてする気がなかったというのなら――
「あとは力づくで従わせるしかねーだろうが」
頭の固いエルフを柔らかくするには、
対価ではなく血を持って当たる。
「まぁ、身から出た錆ってやつだね」
「それではあまりにも――」
「てゆーかさ、お嬢さんはここで何やってんの?」
帝都を出たのはだいぶん前だよね?
まだここにいるということは、話はまとまってないんでしょ?
主君の命にかかわる問題なのに随分悠長だね?
せっかく立候補したくせに、やる気あるの?
テニアの声に露骨な非難と蔑みの色が滲む。
「お願い。二人とも落ち着いて!」
グリューネルトはなおも食い下がる。
しかし――
「「落ち着けるかッ!」」
期せずして俺とテニアの叫びが重なる。
「そこを曲げてお願いできんかの」
「族長さま!」
振り向いたグリューネルトの声に喜色が混じる。
彼女の後から現れたエルフの老人。
顔はエルフにしては皺だらけで、腰は曲がっており杖を突いている。
傘代わりに大きな雨避けの葉をさす若いエルフを引き連れていて――
「行き過ぎたところはあったかもしれんが、孫はエルフにとっては大事な若者」
そんなことは言われなくとも知っている。
人間よりもはるかに長命で魔力に優れるエルフ族が、
大陸の片隅に寄り添って細々と生きている理由、
その最たるものが繁殖力の低さだ。
何百年という寿命の内で子どもを一人産むのが精いっぱいと聞いている。
この優美な妖精族にとって、若者は未来の象徴であり希望の種でもあるのだ。
『契約者、ここは――』
「だったら、教えてくれよ」
『む?』
「……何をかの?」
「どれだけ頼んでも、言うことを聞いても、誰もクロを助けてくれない」
挙句の果てに冗談だとはぐらかされてしまって、
「じゃあ、どうすりゃいいんだ!?」
これ以上、何をすれば相棒の命を助けてもらえるんだ?
「教えてくれよ、言うとおりにするからさ」
『む……むう』
「だったら……コイツを人質にでもしねーと、なんにも話が進まねーだろッ!」
握りしめた拳からは痛みと共に血がしたたり落ちて、
頬を伝う水滴には雨とは異なる熱いものが混じる。
叫び声が痛みを伴って喉を走り抜け、そして――
「……わかった。今すぐ手配しよう」
だから孫を離してくれ、このとおりじゃ。
そう頭を下げた老エルフの薄い銀髪頭を視線で突き刺し、
『契約者よ!』
「……始めから、そう言えばいい」
熊に指示を出してエルフを放り投げさせると、
放物線を描いてから汚い音を立てて地面に落ちた。
「これでいいだろ。早くクロを治せ」
「ああ、ついて来るがええ」
族長が振り返って帰路に就く。
孫とやらには一瞥もくれずに。
老人の心を窺い知ることはできない。
「ステラ、先輩が……」
テニアがそっと近寄ってくる。
その腕に抱きしめられた丸まったクロの身体。
「……あと少しの辛抱だぞ」
黒い毛におおわれた手を握っても、握り返す力もなく。
もう息も絶え絶えに……なってて……早く……
「早く……早く、助けてくれ」
喉が詰まって……言葉が続かない。
「ああ……すまんかった。どうか堪忍しておくれ」
老いたエルフの声からは、孫の仇を恨むより、
小さな命が失われることに対する悲しみが勝っているように聞こえた。
☆
通された村長宅は、それほど大きな家屋ではなかった。
エルフの一般的な居宅がどういうものかまでは知悉しないが、
ここは一応外来の客の存在を想定しているようで、
普段は使われていなさそうな客室がいくつかと、さらに浴室が存在していた。
薬師を名乗るエルフにクロを引き渡し、
治療が終わるまで傍で見ていると告げたものの、
テニアとグリューネルトに猛反対を受けた。
『ずっとそのままでいたら、ステラも身体を壊しちゃうよ』
オレと同じようにキレているように見えて、テニアはだいぶん冷静だ。
年長者としての振る舞いを身につけているところに、
人としての器の違いを見せつけられる。
大人しくテニアの言葉に従って、ずぶ濡れになった身体を湯で暖め、
エルフから借りた服を身に纏う。
「間一髪といったところかの」
風呂から上がり、客室のテーブルを囲んだ一同。
若いエルフが皆に暖かい白湯を配り終えるのを待ち、
口火を切ったのは族長の言葉。
「クロは……助かるのか?」
「今は……何とも言えん」
使われていた毒はエルフにとっては既知の代物で、
解毒剤の予備も存在する。
既に処方済みで、あとは身体を休めるだけとのこと。
「いや……それだけしかできることがない、といった方が正しいかの」
傷口はふさがれているし、『治癒』を受け続けたおかげで命は繋いでいる。
しかし失われた血は多く、既にかなりの体力を消耗しており、現状では予断を許さない。
「薬師の見立てでは五分五分じゃ」
老人の言葉に、知らず歯噛みする。
目の前の椀に満たされた白湯を眺めていると、自然に言葉が零れる。
「オレが、もっと強力な魔術を使えれば……」
「それは違う」
思い違いをしてはいけないと族長が断言。
白湯に波紋が生まれる。
「……何が違う?」
「お嬢さんが『治癒』を使い続けてくれたからこそ、ケットシー殿はここまで保ったのじゃ」
そして行き違いはあったものの無事にエルフの治療を受け、今は静養している。
「決してあきらめなかったからこそ、希望を残すことができておるんじゃ」
「そんなことを言われても、クロは……クロは……」
テーブルに肘を落とし、頭を抱え込む。
両手が短くなってしまった髪を掻きむしる。
「すまん。薬術は万能というわけではないんじゃ」
『許してくれ』と頭を下げる老人は、
決して嘘をついているようには見えない。
『契約者よ』
――ああ……
頭を上げて大きく息を吸い込み、内に籠った様々な感情と共に吐き出す。
クロがケガを負わされてから、心の中に渦巻いていた靄を晴らすように。
「いや……こちらこそ申し訳ない」
こちらもまた、深く頭を下げる。
この老人の孫にして一族の希望であるはずの若いエルフ相手に、
随分過激な手段に出てしまったという自覚はある。
あのときは頭に血が昇っていたとはいえ、
時を置いて湯で身体を暖めた今となっては、
自分がどれだけ危ない橋を渡っていたのかも理解している。
グリューネルトが懸命に止めていた理由もわかる。
――オレは、すべてを台無しにするところだった。
しかし、相棒の命が失われそうだったあの瞬間、
オレはクロの命以外の全てを放り投げることに躊躇いはなかった。
「構わん構わん」
孫をひどい目にあわされたという割には、
族長の言葉に怒りの感情は見えない。
「我々が同胞を慈しむように、人間も仲間を想うのは当然」
そこに想像が至らなかった孫の不明と老エルフはこぼす。
森を出ることなく長い間一族から大切に育てられすぎたせいで、
歪な思想を抱えるに至ってしまったのは集落全体の問題。
たとえ目に入れても痛くないほどかわいい孫とはいえ、
帝国領に居を構えるエルフの族長筋に産まれた以上、
他種族、特に人間との関わり方を誤っては集落全体の不利益になる。
みなの上に立つことになる者としては、許されることではない。
「感謝はせんが、あ奴は一度痛い目に遭った方がええんじゃ」
永き時を生きるエルフの感覚は、どうにも理解しがたい。
「同じ妖精の同胞として、ここまで人に想われるケットシー殿が羨ましいわい」
その孫を見るような視線が気恥ずかしくて顔を逸らすと、
今度はテニアと目がある。
反対側にはグリューネルトがいて、逃げ場がない。
「オレは……クロが助かってくれれば、それでいい」
そんな大層な話じゃないし、偉いもんでもないんだ。
今オレが願うことは、ただそれだけ。