第21話 妖精の里 その1
薄暗い森の中に突如現れた光を抜けた先は、先ほどとは異なる森だった。
生い茂る木々は同様、雨が降っているのも変わらないが、
周囲に漂う雰囲気が全く違っている。
静謐あるいは神秘的とでも言うべき空気。
「お~い、エルフの人、いますか?」
雨に負けないほど大きなテニアの声は
静寂を切り裂いて遠くまで響くものの、
しかしなんの反応もないままに、
森の奥深くまで通りすぎていく。
「……居ないってんなら火ぃつけるぞ、コラ!」
苛立ちを隠そうともしない舌打ち一つ、
鞄の中から火打石を取り出しブンブンと振りかざす。
暴挙と言っても差支えないが、止める気にはならない。
案の定――
「フン。たった一人で、しかもその小さな石で森を焼くことが叶うと思っているのか」
これだから人間は度し難い。
あからさまな侮蔑の声色は傍の木の上から。
声色からは聖別を判断することは難しい。
余裕があるように聞こえはするが、放置はできないと判断された模様。
「こっちは急いでる。さっさと降りてこい」
しかしその言葉が最後まで続くことはなく、
テニアの左手が閃き、ナイフが飛ぶ。
枝が大きくしなり、濡れた大地に重い何か――あるいは誰か――が落下。
「おのれ……人間風情が」
「デカい耳のくせに、アタシの声が聞こえなかったかな?」
ナイフは木の枝に突き刺さり、その幹の裏側からエルフの男が姿を現す。
動きやすさの中にもわずかに装飾された衣服をまとい、
背中にはエルフの特徴的武装の一つである弓矢を背負っている。
雨に濡れた長い銀の髪はストレートに垂らされており、
整った顔には怒りと蔑みの表情を乗せてこちらを睨み付けてくる。
頬だけでなく尖った耳まで紅潮させて。
「おい、テニア」
「アイツを人質にするよ」
こちらの話を聞くことなく、いきなり物騒なことを小声で口走る。
オレも相当焦っている自覚はあるが、テニアの反応はあまりにも性急すぎる。
万事において飄々としたコイツらしくもない。
「ちょっと待てって!」
「周り、もう囲まれてる」
その声に身体がビクンと震える。
慌てて視線を走らせれば、きらりと光る鉄の矢じりがあちらこちらに。
結界を通り抜ける前には全く気付かなかった。
おそらくそういう機構になっているのだろう。
「先に武器を抜いてきたのはあちらだからね」
「待て、二人とも待ってくれ」
相棒を抱きかかえたまま、テニアを制して前に出る。
胸の温もりは、いつ消えてもおかしくないほどに儚く、
牙の生えた口から漏れる吐息は切れ切れで。
――今は揉めてる場合じゃないんだ!
「なあ、コイツ……ケットシーはアンタらと同じ妖精族だろ」
エルフの視線に留まるよう、クロを少し抱き上げる。
その小さな身体が苦しげに揺れるさまを見るだけで痛ましい。
「同じ妖精のよしみでコイツだけでも助けてやってくれないか?」
オレの頼みをどう解釈したか、周囲を取り囲むエルフの圧が増し、
緊張をはらんだ空気の中、最初に声をかけてきた若い男がこちらに近づいてくる。
少し離れたところでクロの様子を見て――
「確かにケットシーは我らと同じ妖精の同胞だが、袂を分かって既に久しい」
「助けてくれるのか、くれないのかどっちなんだ?」
回りくどい言い回しはよしてほしい。
今は一刻を争っているのだから。
「我らにその猫を助ける義理はない」
「なッ……」
義理がなければ人助けもしないってのか。
エルフってのはそういうもんなのか。
言葉にできない怒りが胸の奥に火をともす。
「ほらステラ、コイツら外の奴らと同じだよ」
外の奴ら、というテニアの言葉に耳をピクリと振るわせるエルフ。
「外……とはどういうことだ?」
「どういうことって……こっちは親切で来てやったのに、いきなり襲ってきといてよく言う!」
「別に人間を招いたつもりはない」
「アンタらにとって用はなくても、こっちにはあるんだよ!」
そんなこともわからないのか、この――
また脱線しそうになったテニアに軽く肩を当てて止める。
余計なことを話す時間が惜しい。
「とにかく……我らの集落から外に出ている同胞はいない」
これは間違いないとエルフは胸を張って主張する。
「はぁ? 長い耳をとがらせて襲いかかってきたじゃん」
ちょうど今のアンタ等みたいに。
噛み合わない会話の応酬。
――いい加減にしてくれ。
「だからそれはお前たちの……」
「……でもいい」
「ステラ?」
「そんなことは……どうでもいい」
外で襲ってきた連中のことなんて今はどうでもいい。
クロを助けられるのか、助けられないのかそれだけ応えてくれ。
「コイツの命が最優先だ!」
『契約者よ』
――大丈夫、オレはまだ冷静だ。
翠竜の声はちゃんと心に届いている。応えることもできる。
ここで事を荒立てても、何もいいことはない。
それぐらいのことは理解できている。
「ふむ……毒にやられているようだが」
「なぁ……治せないのか?」
テニアとエルフが言い争っている間も、
『治癒』を続けているが、クロの容体はまるで回復しない。
「薬師ならばどうにかなろう。しかし我々には――」
「義理がないってんだろ。それはもう聞いた」
義理がなければ何もしないというのなら――
「対価を支払う」
金か、人手か。
必要な物を言ってくれればいい。
「……これだから下賤な人間は」
対価と聞いて露骨に眉をしかめるエルフ。
じゃあ、どうすりゃいいんだ?
できることなら何でもする。
渡せるものは全部渡す。
だからコイツの命を救ってくれ。
「ほう……何でもする、と言ったか?」
「ちょ、ステラ、何でもは言い過ぎ……でもないです」
止めにかかったテニアを睨み付けると、あっさり引き下がった。
「そうだな……ならばその髪はどうだ?」
「髪?」
いかにも、と男は頷き、
「そちらの栗色はともかく、桃色の髪は希少だ」
人間風情にはもったいないほどに。
まあ、猫一匹と引き換えにするなど、貴様には無理だろうがな。
その声と見下した視線に入り混じる嗜虐は不愉快だが――
「テニア、ちょっとクロを抱いててくれ」
「え、ステラ、ちょっと待って」
「待てない」
クロをテニアに押し付けて、腰に差したままの短剣を抜き、
髪を左手でまとめ、その下に刃を差し込み、勢いよく横に引く。
「あ、あ~」
幾筋もの桃色が宙を舞い、
左手には収穫期の麦のように太い束が残る。
雨に濡れて重みを増した春を思わせる糸から水滴が垂れる。
「これでいいんだな」
「え、あ、ああ」
呆然と口を開けてこちらを見ていたエルフだが、
言うとおりにしたわりには反応が薄い。
髪を切るのがそれほど不思議なのか?
「じゃあ治してくれ。さあ!」
「待て、人間よ」
先ほどまでずいぶん威勢のよかった銀髪エルフが、
両手を広げてこちらを推しとどめようとしてくる。
「まだ足りないのか。次は何だ?」
手か、足か、それとも首か。
それとも身体中の血でも欲しいか。
時間がないからさっさと言ってくれ。
こんなくだらない遣り取りの最中にも、
クロの命の灯し火が消えようとしている。
その事実が耐えられないほど苦しい。
「いや……あれは、その、そう、冗談だ」
それは、ただの言葉の綾だったのかもしれない。
しかし、ただの一言で、このエルフはオレの逆鱗に触れた。
「冗談?」
あまりにも平坦な自分の声に驚いた。
たじろいだテニアが一歩後ずさった音が耳に届く。
「えっとステラ、ちょっと待って」
怒りは限界を超えると脳裏を白く灼く。
余計な感情が全て焼却され、残されたのは――もはや憎悪ですらない。
「お前を殺す」
短剣と髪を捨て『万象の書』を開き、ビッグベアを呼ぶ。
これまで伸ばしてきた桃色髪が地面に落ちて泥水にまみれてしまったが、
そんなことは――もうどうでもいい。
「しょ、召喚術士!?」
へたり込んだ男の頭を熊が器用に掴み上げた。
「オレはお前の理不尽な言い分を聞いたのに、お前はオレの頼みを聞かない」
熊が拳を男の腹に叩き込む。
耳障りな音。どうやら骨が折れたらしい。
偉そうなくせに軟弱な奴。
「ふげっ」
「おまえはもういらない」
二発目は引き攣った顔面に。
冷淡だった男の顔が潰れ、血やら何やら液体をまき散らす。
オレ達を取り囲んでいたエルフたちに動揺が走るが、
もし何かあればコイツを盾にすればいいだけの話。
それに――頭数がいるというのは案外いいことかもしれない。
――足りない。
こいつを殺して次の奴に頼む。
そいつがダメなら、また殺す。
集落にどれだけのエルフがいるのかは知らないが、
こちらの言い分が通るまで殺す。
『落ち着け、契約者』
――これが……
エオルディアの制止すら苛立たしい。
奥歯が、力の入り過ぎで割れそうだ。
「落ち着いていられるかッ!」
ほんのわずかな時間さえ勿体ないこの状況で、
こちらの言うことをまともに取り合おうともしない。
挙句の果てに……冗談だと――
「や、止めろ、止めてぐあぁぁぁ、痛い痛い痛い」
銀色の頭を掴んでいたビッグベアの大きな手に力がこもる。
エルフ族は人間に比べれば優美だが華奢な存在でもある。
骨だって人間よりも軽くて脆い。
熊の力なら握りつぶすことなど朝飯前。
「さっさとしね」
「す……ステラ? ステラ=アルハザート!?」
血やら涙やら鼻水やららいろいろ垂れ流して、
泥にまみれた醜い耳長のその向こう、
森の中に唯一開かれた道の彼方から、
聞き覚えのある声が響く。
「……グリューネルト?」
チラリとそちらに視線を投げてみれば、
ルドルフ将軍の親書を携えてオレ達よりも先に帝都から旅立った、
金髪の伯爵令嬢がそこにいた。




