第1話 村人Aと剣術の授業
目が覚めたら、見覚えのある空だった。
正確には「見覚えがありすぎる」空だ。ピクセル数こそ格段に上がっているが、この妙に発色のいい青は、間違いなくあの神ゲー『エンドレス・フロンティア』のものだった。三年間、廃人と呼ばれるレベルまでやり込んだ、あのゲームだ。
――で、俺のステータスは?
恐る恐る確認したウィンドウには、こう表示されていた。
【種族】ヒューマン 【職業】村人A
村人A。よりによって、モブ中のモブである。
「いや……いやいやいや」
前世の俺――カイトは、あのゲームで「剣聖」を極め、隠しダンジョンを単独踏破し、運営に「バランス調整対象プレイヤー」として名指しされたこともある男だった。それがまさかの村人A。しかも職業ランクは最底辺、初期ステータスは村人平均以下という、なんとも夢のない数字が並んでいる。
「まあ、いい。職業なんて所詮は器だ。中身が全部持ち越されてるなら、どうとでもなる」
そう自分に言い聞かせて、俺は与えられた新生活――辺境の村での剣術指南役見習いという仕事に、静かに、地味に、目立たないように取り組むことにした。
つもりだった。
「はい、じゃあ次、カイト君。構えてみて」
指南役のおじさん――ゴードンさんが、木剣を放ってよこす。集められた村の子どもたちが十人ほど、俺の一挙一動を興味なさそうに眺めていた。無理もない。村人Aの剣術指南役見習いなんて、誰も期待していない。
(よし、ここは目立たず、平凡に、それっぽく構えるだけにしよう)
俺は「いかにも初心者」を意識して、木剣をそれっぽく構えた。つもりだった。
しかし前世で三年間、毎日八時間、剣を振り続けた身体は、俺の意志などお構いなしに勝手に「正解」を選ぶ。重心はまっすぐ落ち、切っ先はぶれず、呼吸は自然と止まる。それはもう、地方の道場が束になっても敵わないレベルの、完成された「構え」だった。
村の子どもたちが、ざわついた。
「……え、なにあれ」 「動いてないのに、なんか、こわい」 「呼吸、してなくない?」
(ま、まずい。地味にしくじった)
「カイト君」
ゴードンさんの声が、明らかに一段低くなっていた。
「その構え、どこで習った?」
「え、いや、なんとなくです。見よう見まねで」
「見よう見まねで、王国騎士団の対人戦用構えが出るわけないだろう」
ゴードンさんは木剣を握り直すと、まっすぐに俺を見た。目が本気だった。
「一本、試してみたい。手加減はしなくていい」
(いやいやいや。ここで本気を出したら、目立つどころの騒ぎじゃない。地味に、平凡に、村人Aらしく――)
そう思いながらも、俺の身体は既に「相手の重心」「間合い」「打ち込みの初動」を無意識に計算し終えていた。前世の癖というのは、こんなにも恐ろしいものらしい。
「――いきます」
ゴードンさんが踏み込んだ瞬間、俺の身体は考えるより先に動いていた。相手の木剣を最小限の動きで受け流し、体重移動だけで軽く押し返す。力は入れていない。本当に、これっぽっちも入れていない。ただ「正しい位置に、正しく立った」だけだ。
ドン、という音とともに、ゴードンさんが後方に二歩よろめいた。
静寂。
「……今のは、なんだ」
「え、あの、たまたま体がびっくりして動いただけで」
「たまたまで王国騎士団長クラスの技が出るか!」
ゴードンさんの怒鳴り声に、子どもたちがビクッと肩を跳ねさせる。一人の女の子が、こそこそと隣の子に耳打ちしていた。
「ねえ……あの人、ほんとに村人Aなの?」 「たぶん違うと思う」 「じゃあ何?」 「わかんない。でも、絶対やばい人だと思う」
俺は乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
(おかしい。俺はただ、平凡に、地味に、モブとして生きようとしただけなのに)
前世の実力は、思っていた以上に「隠せる」ものではなかったらしい。しかも本人にはその自覚が、恐ろしいほど薄い。
「カイト君」
ゴードンさんは息を整えると、なぜか真剣な顔で俺の肩をつかんだ。
「明日、村長のところへ一緒に来てくれ」
「え、なんでですか」
「なんでもだ。……いいから来い。これは村にとって、重要なことなんだ」
俺はその時、まだ知らなかった。
自分がこの日から「村人A」ではなく、「あの村に突然現れた規格外の何か」として、辺境から少しずつ噂になっていくことを。そして本人だけが、その噂の存在にまったく気づいていないことを。
(明日か……。とりあえず、明日はもっと地味に振る舞おう)
そんな決意も、まったくの見当違いだったと知るのは、もう少し先の話である。




