第八話 泣けない人間
人は、痛みを抱えながら生きている。
だからこそ、“痛みを失った人間”は時々、ひどく空っぽに見える。
「悲しくないのに、苦しい?」
レンは聞き返した。
ユイは静かに頷く。
ファミレスの窓には、雨上がりの街が映っている。
濡れた道路が、ぼんやり光っていた。
「変ですよね」
ユイはメロンソーダの氷を見つめながら呟く。
「泣きたくないから売ったのに」
「今は泣けないんです」
その声は、どこまでも平坦だった。
レンは目の前の少女を見る。
綺麗な顔をしている。
けれど、人形みたいだった。
怒りも。
悲しみも。
喜びも。
全部、薄い。
「……友達とか、いるのか」
レンがそう聞くと、ユイは少しだけ考えた。
「います」
「楽しい?」
「わかりません」
即答だった。
レンは言葉に詰まる。
ユイは続けた。
「みんな笑ってるので、多分、楽しい場面なんだと思います」
その言い方が、妙に痛かった。
“自分の感情”じゃなく、“周囲の反応”で判断している。
それはもう、感情を感じていると言えるのだろうか。
「恋愛とかは」
ユイは小さく首を振る。
「よくわからないです」
「好きな人も?」
「いました」
レンは少し驚く。
「今はいないのか」
ユイはメロンソーダをひと口飲んだ。
「その人が告白してきた時、何も感じなかったので」
「……」
「多分、好きじゃなかったんだと思います」
そう言うユイの顔は、本当に何も揺れていなかった。
レンはふと思う。
もし自分が、愛した人を思い出しても何も感じなくなったら。
それは、楽なのだろうか。
その時。
ユイが小さく言った。
「でも、一回だけ泣きそうになりました」
レンは顔を上げる。
「いつ」
ユイは少し黙った。
「母の命日です」
店内の空気が静かになる。
「お墓参りに行った時」
「父が泣いてたんです」
ユイは窓の外を見つめる。
「その時、胸が苦しくなって」
「でも、涙は出ませんでした」
レンは何も言えなかった。
ユイは続ける。
「そのあと父に、“お前は強いな”って言われたんです」
少しだけ間が空く。
「……違うのに」
その言葉だけ、かすかに震えていた。
レンは初めて、ユイが“壊れている”のを感じた。
感情がないんじゃない。
押し込められている。
出口を失っている。
だから苦しい。
泣けないから。
悲しめないから。
ユイは小さく笑った。
「藤堂さんは、“悲しみを失った人間は綺麗”って言ってました」
レンは眉をひそめる。
「綺麗?」
「はい。壊れにくいからって」
その瞬間。
レンの中に、強い嫌悪感が生まれた。
人間を、“壊れにくさ”で測る。
そんな考え方が、気持ち悪かった。
ユイはそんなレンを見て、少しだけ不思議そうな顔をした。
「真壁さんは、怒るんですね」
「当たり前だろ」
レンは低く言う。
「悲しめないのは、普通じゃない」
ユイは少し黙ったあと。
静かに聞いた。
「……普通って、何ですか」
読んでいただきありがとうございます!
ユイ編、少しずつ“感情を失う怖さ”が見えてきました。
次回、レンはユイの中に残る“悲しみの破片”を見ることになります!




