第六話 失った人間の値段
人は、失った時に初めて気づく。
自分が何に支えられて生きていたのかを。
「取引?」
レンは低く聞き返した。
雨はまだ降っている。
街灯に照らされた水面が、ぼんやり揺れていた。
『ええ』
電話の向こうで、藤堂アカネは静かに笑う。
『あなた、自分の記憶を取り戻したいんでしょう?』
「当たり前だ」
『なら、それ相応の対価が必要』
レンは眉をひそめた。
「金なら返す」
『違う』
アカネの声が少しだけ低くなる。
『私はお金に興味ないの』
レンは言葉を失った。
じゃあ、この女は何のためにこんなことをしている。
『私が欲しいのは、“本物”だけ』
「……本物?」
『偽物の愛は価値がない』
アカネは淡々と続ける。
『依存。打算。寂しさ。承認欲求。そういうものはすぐ濁る』
『でも、本当に誰かを愛した感情は綺麗』
その言葉だけは、妙に真剣だった。
レンは思う。
この女は、壊れている。
でも同時に。
“愛”というものを、異常なくらい信じてもいる。
『だから知りたいの』
「何をだ」
『あなたが、その人をどれだけ愛してたのか』
レンの喉が乾く。
『記憶を失った今でも、その人を求めるなら』
アカネは小さく息を吐いた。
『それは、本物だから』
レンは理解できなかった。
愛を測るために、人の人生を壊すのか。
そんなもの、狂ってる。
「……会わせる気はあるのか」
『あるわ』
即答だった。
『でも条件がある』
レンは黙って続きを待った。
雨音だけが静かに続く。
『あなたには、“失った人間”を見てもらう』
「……は?」
『記憶を売った人たち』
『感情を失った人たち』
『愛を捨てた人たち』
アカネの声は穏やかだった。
まるで夜景でも眺めるみたいに。
『その人たちを見て、それでもあなたが愛を求めるなら』
少しだけ間が空く。
『記憶を返してあげる』
レンは眉をひそめた。
「……試してるのか」
『確認してるだけ』
アカネは小さく笑った。
『人って、本当に愛した相手のためなら、どこまで壊れられるのかなって』
レンは寒気を覚えた。
この女は、人間を観察している。
感情を。
執着を。
愛によって壊れていく姿を。
まるで標本みたいに。
「……断ったら?」
『別に』
アカネの声はどこまでも静かだった。
『あなたはそのまま、名前も思い出せないまま生きていくだけ』
レンは目を閉じた。
知らない女。
顔も思い出せない。
声も曖昧。
なのに。
失った感覚だけが、胸を締めつける。
その時。
脳裏に、一瞬だけ映像が走った。
夕暮れ。
電車のホーム。
誰かが笑っている。
『レン』
たったそれだけ。
名前を呼ぶ声だけで。
胸が、壊れそうになる。
レンはゆっくり目を開いた。
「……やるよ」
電話の向こうで、アカネが微笑んだ気がした。
『嬉しい』
その声は、どこか本当に嬉しそうだった。
『じゃあ最初の人を紹介する』
読んでいただきありがとうございます!
次回から、“記憶を売った人間たち”の物語が始まります。
透明都市の歪みが、少しずつ見えてきます!




