第一話 愛を売った朝
何かを失ったことに、気づいていますか。
これは、“見えない喪失”の物語。
目覚ましが鳴る、三秒前に目が覚めた。
真壁レンは、白い天井を見つめていた。
涙が流れていた。
悲しくはない。
苦しくもない。
なのに、涙だけが勝手に頬を伝っている。
まるで体だけが、何かを覚えているみたいだった。
枕元のスマートフォンが震える。
通知には、銀行アプリの文字。
【入金:三百万円】
レンはそれを見て、しばらく瞬きを忘れた。
三百万円。
見覚えはない。
けれど不思議と、驚きはなかった。
むしろ胸の奥に、ぞっとするほど冷たい納得があった。
――ああ、やっぱり売ったんだ。
何を?
それが、思い出せない。
キッチンでコーヒーを淹れる。
いつもの豆。
いつもの朝。
いつもの部屋。
けれど、味がしなかった。
苦い、ということはわかる。
でもその苦さを「好きだった理由」が、どこにもない。
レンはカップを置いた。
その瞬間、視界の端に光が走った。
透明な結晶が、床の上で小さく輝いている。
涙の形に似ていた。
拾おうとした瞬間、指先が震えた。
触れてはいけない。
なぜか、そう思った。
けれど触れた。
次の瞬間――
女の笑い声が聞こえた。
春の夜。
安い居酒屋。
誰かが言う。
「レンってさ、お金ないくせに幸せそうだよね」
その声を、レンは知らない。
知らないはずなのに。
胸だけが、壊れそうに痛んだ。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
次回、レンは“記憶を売った店”へ向かいます。
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