準優勝戦の反重力・死闘の決算
第52話 準優勝戦の反重力・死闘の決算
二〇四一年、十一月。グランプリ準優勝戦。聖地・住之江の水面は、凛と張り詰めた冬の夜気と、詰めかけたファンの熱狂が混じり合い、白く幻想的に煙っていた。
ピットに並ぶ三艇は、まさに現代競艇界の「頂点」を象徴する、異能の面々であった。
一号機:難波大吾(浪速のドン・絶対的王者)
二号機:西貴斗(最強の計算機・冷徹な天才)
三号機:佐伯健太(不屈の特命係長・復活のハヤブサ)
「おい、佐伯。今日の二号機(西)は一味違うぞ。データの奴隷が、ついに『感情』という名のバグを発生させとるわ」
難波が不敵な笑みを浮かべ、隣のピットを顎で指す。そこには、普段ならモニターの数字を病的なまでに凝視しているはずの西貴斗が、眼鏡を静かに押し上げ、ただ一点、暗い水面を見つめて佇んでいた。
「……難波さん。それはバグではありません。佐伯さんを完全に論理破綻させるために導き出した、私なりの『最適解』です」
赤のカポックを纏った健太は何も答えず、ヘルメットのシールドを下ろした。脳裏にあるのは、朝指定ペットホテルで見たスエのあの力強い眼光だ。あの激しい腹痛という名の負債を乗り越えたことで、研ぎ澄まされた処刑人の刃のような鋭さを宿した相棒の姿。
「……入れるわけないやろッ!!」
難波の怒号が、エンジンの爆音を突き破って響き渡る!
待機行動。三号機の健太と二号機の西が、阿吽の呼吸で一コースの難波に猛烈なプレッシャーをかける。住之江名物、そしてグランプリの華である「前付け」の応酬だ!
しかし、地元のドン・難波は、文字通り鉄壁のブロックで一コースを死守! 結果として、スタートラインまで僅か百メートル足らずの「深イン」となった難波に対し、西が二コース、赤のカポックの健太が三コースという、一歩も引かない超至近距離のスタート隊形が形成された!
「……レディー、ゴーッ!!」
大時計の針が垂直に重なる!
三人全員が、人間の反射神経の限界を超える「コンマゼロ三」以内の超抜スタートを叩き出した!
「計算通りです、佐伯さん!」
西の二号機が、健太の進路を一ミリ単位で封じ込めるように被せてくる! 同時に、インから難波の一号機が、深インの不利を絶対的王者としての圧倒的な気迫と覇気で補い、強引に先マイの旋回を開始した!
「これだ! 西、そして難波さん! これこそが、俺とスエによる株主総会の『特別決議』だ!!」
難波が逃げ、西が差す。その一瞬、水面に生じた物理限界の隙間に、健太はハヤブサの舳先をねじ込んだ!
右腕が引きちぎれるほどのレバー操作。そして健太は、スエが西の機体が生み出す複雑な引き波の周期を読み切ったあの体幹移動のイメージを全身で完全再現し、空中で重心を入れ替えるような『反重力・旋回』を披露する!
「……バカな! その軌道、僕の予測モデル(アルゴリズム)には存在しないッ!!」
西の二号機を外側から力で抑え込み、難波の懐へと潜り込む! 三台のボートが、激しい火花を散らすほどの距離で第一ターンマークを旋回! スタンドからは地鳴りのような歓声が沸き起こり、住之江の空を揺らした!
バックストレッチ。三台がほぼ真横に一線に並ぶ!
地元の利を生かした難波の「伸び」、西の驚異的な「再加速」、そして健太の神がかった「旋回」。
結果は――。
一着、難波大吾。
二着、佐伯健太。
三着、西貴斗。
わずかな差で難波が逃げ切ったが、健太と西のタイム差は公式時計では計測不能なほどの接戦であった。
「……ハァ、ハァ……。西くん。実に良い『監査』だったよ。君の計算のおかげで、俺たちも限界を超えられた」
ピットに戻り、敗北の悔しさに膝をつく西に、健太が静かに声をかける。
「……完敗です。私のデータでは、あなたのパグが『あのタイミング』の体幹イメージを与える確率はコンマ二%以下だった。……佐伯さん、あなたたちは、すでに私の計算式の外側に存在している」
西が初めて、敗北の中に清々しい笑みを浮かべた。
「ガハハ! 面白い! 難波大吾、六十を過ぎて初めて震えてきたわ! 明日の優勝戦、この三人に麗華を加えた『地獄の最終決済』、最高に楽しもうやないか!!」
難波の豪快な声が夜の住之江に響き渡る。
退走手続きを終え、ペットホテルで健太の腕の中に飛び込んできたスエは、明日の完全勝利を確信したように「フゴー」と一つ、大きな欠伸をした。




