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からくり競艇〜サラリーマン、魂のフルスロットル〜  作者: 水前寺鯉太郎
グランプリ編

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49/56

『聖地の洗礼・難波大吾の「鉄壁の決算」』

「……クッ、これ以上は……締め切れないか!」

 住之江競艇場、第十二レース。最終周回バックストレッチ。

 佐伯健太が駆る漆黒の機体『ハヤブサ』は、インコースを鉄壁の守りで死守する難波大吾の一号機を、あと一歩のところで捉えきれずにいた。

 普段ならば、機体と一体化したかのような鋭い旋回を見せるスエだが、今、その重心移動には腹痛という「システムエラー」の影響で、コンマ数秒の致命的なラグが生じている。その僅かな計算違い、すなわち「投資判断の遅れ」を、浪速の重鎮・難波は見逃すほど甘い男ではなかった。

 「甘いんじゃ、東京のサラリーマン! 住之江のコンクリートは、タコを食うたパグの涙で湿るほど柔やないわッ!!」

 難波の咆哮と共に、一号機が磁石に吸い寄せられるかのような精密さで最終ターンマークの最短距離をえぐり取った。

 健太は一瞬、内側への強引な切り込みを思考したが、足元で震えるスエの限界を察知し、その選択肢を「損切り(ロスカット)」した。ハヤブサを外側に持ち出し、全速の差しにすべてを賭けたが――。

 「……ゴール!!」

 一着、難波大吾。

 二着、佐伯健太。

 着差はわずか、ボート半艇身。コンマ一秒にも満たないその差は、健太にとってグランプリ初戦という最も重要な決算日における、あまりに重い「赤字計上」を意味していた。

 ピットに戻るやいなや、健太は機体の係留もそこそこに、足元のスエを左腕一本で優しく抱き上げた。

 「……よくやった、スエ。お前の意地は、難波さんの強靭なマブイすら一瞬、確実に怯ませた。それは数字には表れない『隠れた実績』だ」

 スエは「フガッ……」と蚊の鳴くような声で応えると、健太の温かい胸の中で、張り詰めていた糸が切れたようについに深く目を閉じた。

 一着こそ逃したものの、この満身創痍の状態で、しかも聖地・住之江の荒波を乗り越えて二着に食い込んだ事実は、ピットで見守る西貴斗や霧島麗華ら、並み居る競艇界の「怪物」たちに戦慄を与えるには十分すぎるパフォーマンスであった。

 「ガハハ! 佐伯、お前とパグの根性、確かに浪速の神さんに見せてもうたわ」

 勝利の美酒に酔う難波大吾が、豪快な足取りで近づいてくる。

 「だがな、二着は二着や。グランプリは、最後に一着テッペンを獲った奴だけが黄金のヘルメットを被る権利を得る。……明日までにパグの腹、一円の狂いもなく治してこい。万全のお前らを、もう一度真正面から叩き潰してやるのが、俺の礼儀やからな」

 「……ああ。難波さん。次は単なる『営業利益』の積み上げではなく、あなたの持つ純利益のすべてを、こちらの帳簿に付け替えさせてもらう」

 健太は、麗華が何も言わずに差し出してきた経口補水液をスエに一滴ずつ含ませながら、眼鏡の奥で次戦に向けた膨大なデータの再計算を開始した。

 初戦二着。獲得ポイントとしては、予選突破を狙うには決して悪くない数値だ。

 だが、今日のレースで得られたハヤブサの旋回ログと、スエの肉体的なコンディション、そして住之江特有の、スタンドを跳ね返って渦を巻く「コンクリートの風」の相関関係を突き合わせると、次戦の勝算は依然として五十%に満たない。

 「佐伯さん。……私の十四号機で使っている、特別なプロペラゲージを使いませんか? 福岡の潮の流れにも負けない、特殊な捻りを入れたものです」

 松風みなみが、福岡支部の秘伝とも言える技術を惜しげもなく差し出してきた。

 健太はその厚意に感謝しつつも、静かに首を振った。

 「……いや。みなみちゃん、ありがとう。だが、この解は、俺とスエ自身の手で見つける必要がある。……タコを食って腹を壊し、敗北を喫したというこの苦い経験すら『資産』に変える、逆転の仕訳しわけをな」

 夜の住之江競艇場に、冬を予感させる冷たい風が吹き抜ける。

 傷ついたおじさんと、健太の腕の中で泥のように眠るパグ。

 初戦敗北という名の崖っぷちから始まる、グランプリ「逆転劇」のシナリオが、浪速の夜の闇の中で静かに、そして苛烈に書き換えられようとしていた。

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