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からくり競艇〜サラリーマン、魂のフルスロットル〜  作者: 水前寺鯉太郎
グランプリ編

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『浪速の誤算・パグの腹痛と緊急監査』

住之江競艇場の選手宿舎。明日のグランプリ初戦という、人生最大の「連結決算」を控えた極めて重要な夜のことである。

 佐伯健太が、住之江特有の硬い淡水に対応させるべくインペラ(プロペラ)のセッティングデータを精査していると、背後で「キュルルル……」という、精密機械の故障を思わせる不穏な異音が響いた。

 「……? スエ、どうした。その資産価値が暴落したような情けない顔は」

 振り返ると、そこにはいつもの猛々しい威勢を完全に喪失し、震える前足でお腹を抱えるようにして丸まるスエの姿があった。その口元には、先ほど道頓堀の雑踏で「現場監査」と称して素早くつまみ食いをした、**『巨大なタコの足』**の吸盤が、一切れだけ空しく付着していた。

 「……お前、まさかタコを丸ごと……! あれほど『出汁の効いた生地の部分だけだ』と厳命したはずだろう!」

 「フ、フゴー……(お腹の内部保留が……大損害だわ……)」

 スエの目は虚ろになり、その腹部からは絶え間なく雷鳴のような音が鳴り続けている。本来、犬にとってタコは極めて消化に悪く、特にお腹のデリケートなパグにとっては、システムを根底から破壊しかねない「禁じオーバーロード」であった。

 健太は慌ててアタッシュケースから「緊急用・犬用胃腸薬」を取り出し、スエに服用させた。そのまま一晩中、寝る間も惜しんでスエの腹部を優しくマッサージし続ける羽目になった。

 「……これでは明日の本番、出走すら危ういぞ。お前の絶妙な重心移動バランサーがなければ、住之江の『コンクリートの壁』を攻略する計算式は成立しないんだ」

 健太の懸念は深まるばかりであった。

 グランプリ初戦の朝。

 健太は徹夜明けの青白い顔でスエを抱き、住之江のピットへと現れた。対するスエは、昨日の「たこ焼きオーラ」が完全に霧散し、まるで天日に干された「干しブドウ」のようにしぼんでいた。

 「おやおや、東京の特命係長さん。自慢のパグ、えらい『塩辛』みたいな顔して震えとるやないか。どないしたんや?」

 地元の重鎮、難波大吾が下卑た笑みを浮かべて近づいてくる。

 「……食あたりです。大阪のタコに、文字通り『足』を掬われましたよ」

 「ガハハ! それこそが住之江の洗礼や! 腹の緩い奴に、この一マークの『うねり』は乗りこなせんぞ。今日の第十二レース、置いてきぼりにしてやるわ。ソースの匂いでも嗅いで指くわえて見とき!」

 難波の嘲笑がピットに響き渡る。

 そこへ、スエの異変を聞きつけた麗華と紫乃が、それぞれの愛犬を連れて駆け寄ってきた。

 「ちょっと、佐伯さん! 一体どんな健康管理をしているのよ! 大事なスエちゃんにタコなんて、特命係長失格、即刻クビよ!」

 麗華は激怒しながらも、手慣れた手つきでスエに「福井の名水で割った犬用電解質飲料」を慎重に飲ませる。その手捌きには、ライバル心を超えた優しさが滲んでいた。

 「……佐伯さん、ハクが言っています。『タコのエラーを消すには、那珂川の清流のイメージ(イメージ療法)』が必要だって……」

 紫乃も必死にハクと一緒にスエの耳元で励ましの声をかけ続ける。仲間の支援という「追加出資」により、スエの瞳に微かな光が戻り始めた。

第四章:満身創痍の「ど根性スタート」

 本番五分前。展示航走(試運転)を終えた健太がピットに戻ると、スエは震える足でなんとか立ち上がっていた。足元はおぼつかないが、その瞳には不思議な輝きがあった。

 健太がハヤブサに乗り込もうとしたその時、スエが健太のレーシングブーツをペロリと一度、力強く舐めた。

 「……フガッ(……借りは……水面で一括返済してやるわ……)」

 その瞳には、腹痛という名の絶望を根性でねじ伏せる、かつての特命パグとしての「矜持」が宿っていた。

 「……よし。スエ。お前がそこまで踏ん張るなら、俺も左腕一本のハンデを執念でカバーしてみせる。……タコに負けて倒産したなどという伝説、ここで一気に清算してやるぞ!」

 「レディー、ゴーッ!!」

 大時計の針が頂点を刻む。

 お腹を壊した満身創痍のパグと、不屈の決意を固めたおじさん。

 史上最も「腹具合の危うい」、しかし最も熱いグランプリの幕が、ついに切って落とされた。

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